ゆっくりと、記憶が甦っていく。俺は誰なのか、ここに囚われて
どのくら時がたつのか・・・何も覚えてはいない。俺の心を覆う霧の中
を漂い、囚われてからの記憶、その破片が甦ってくる。 最初に記憶を蘇らせてくれたのは夢だった。その時の俺は、大地 の牙の近くでアシの茂みに横たわっていた。どのくらい時間がたっ たのか・・・どうやってここへ来たのか・・・それは思い出せない。空を 見上げると、絶壁から男が抜け出てこようとしているのが見える。 最初に頭が・・・次に肩・・・最後に胴体が出てきた。太陽が男の体を包 む。俺は動けない・・・どうやら、ついに死神が俺を連れにやって来た ようだ。 男は、悲しげに海を見下ろしながら、本を手にして崖の上に立っ ている。俺はその男に声をかけたかった。その男が探しているのは 俺であることを告げるために。だが、俺の喉はカラカラに渇ききっ ていて、言葉は出なかった。俺が立ち上がろうとするよりも早く男 は本を開いた。 そして、本のページの上に手を置き霧となって消えていった。 夢であるかと思った。 |
それから、どれくぐらいの時がたったのだろう・・・ 数時間? それとも数週間? 俺は、崖の上で男が持っていたのであろう、渦巻く本が落ちてい る事に気づいた。手を伸ばしてみると、その本は現実に存在した。 たちまち霧が俺を飲み込もうとしたが、俺は本という現実の存在 にしがみつき、本を手放さないようにした。体がしびれ・・・そのまま 意識を失いそうになったが、俺は必死に抵抗した。 |
気を付けろ、サーベドロ。 霧に飲み込まれてはいけない・・・長い呪文があるはずだ。 飲み込まれたら、何日・・・いや何ヶ月もの記憶を無くしてしまうか もしれない。俺をとりまく霧はあまりにも濃く、目の前に伸ばした 自分の手でさえ見えないほどだ。俺は必死に抵抗しようとしたが、 手応えは何も返ってこない。 |
あの男の息子達は、二度ほど俺達の村にやって来たと思う。 ナラヤンに。 一度目は、息子達に会ってくれとアトラスに頼まれた時だ。 あの男は、息子達は本を通ってやって来るだろうと言った。息子 達には、あなたの言葉が理解できないだろうが、その言葉を使って 障壁を外すだろうとも言った。ナラヤンは彼らが習得すべき事の集 大成なのだそうだ。 |
思い出した・・・アトラスの息子達が来た日、タームラは木に精霊の
仮面を彫り込んでいた。 彼女が俺の袖を引っ張って注意を引き、空を飛ぶ滑空船を指さし た。 姿を現したのが若い少年だったため、俺はとても驚いた。二人は 父親にそっくりだった。しかし、奴らは父親と違い、短期で荒っぽ く大人扱いされないとすぐに憤激した。 俺は奴らを家に招きラチスの木の世話の仕方を教えてやると言っ た。一緒にラチスの木を大きく育てようと・・・そう言う意味だった。 だが奴らは「なぜ自分達が働かなくてはならないのだ」と言って きたのだ。 |
いや、違うぞサーベドロ!!!それはもっと後の事だ。 アトラスが息子達を連れて帰った後だ。その言葉を言った時のあ いつらは、もっと大きくなっていたはずだ。頭が骨ばり、勇ましく なっていた。成長して大人になっていたのだ。 ただ・・・その瞳には暗い光が宿っていた。 その時奴らは、ナラヤンを修復するために戻って来た、そうお前 に告げたはずだ。 シーラス・・・そして・・・アクナー |
壁は絡まった枝と蒸気で赤くなっている。奴らは何を見ても、肉
付きの良い顔をゆがめて笑っている。 俺は奴らがどんな嘘をついて、何をしたかを覚えている。 奴らは俺を消すためにここに連れて来たのだ。 俺は奴らについて悟った。 ラチスの根は育ちすぎて黒くなり、熱い蒸気の中で、胞子は浮き 上がり飛び散った。 胞子を枝に導く者はいなかった。織り合わせの儀式を行うために 待ち構えている者もいなかった。 争いが人々をバラバラにしたのだ。 奴らは、気にも留めない・・・ そんな事はどうでもいいのだ。 そう、奴らの望みはナラヤンが滅びることだったのだから。 |
ついにやった。 あの男の本を使って、あの男の後を追ったのだ。手のひらで触れ ると、本が震え始め、俺は吐き気を感じた。 次の瞬間、俺はページの中に引き込まれていた。 以前にも同じ事があった。 ハッキリ覚えている。最初はこの場所に来た時に起こったのだ。 ナラヤンから殺人を犯したあの男の息子達を追って来た頃、それ はあの男が隠していた本を使った時に起こった。 やっとの事であの機械を開いた時に、霧に初めて心を飲み込まれ る直前だった。 どうやら、今回は霧に見つからなかったようだ。気がついた時、 俺は部屋にいた・・・裏切り者達の家に・・・ 俺は動けなかった・・・怖かったのだ。連中は俺がここに来た事を知 っていて、待ち構えているだろうと思った。 まさにこの大地の牙の中で待っていた時の様に、縛り上げられる のではないかと思うと怖かった。あの毒蛇どもにまた襲われるのが。 だが、静寂は破られず家全体が静まりかえっていた。 俺は何をすべきか自分でも良く分からないまま、家の中を調べ始 めた。全ての部屋・・・全ての階・・・全ての棚を俺はくまなく探した。 そして、あの男の日記、アトラスの終わりのない日記を見つけた。 俺をこの世界・・・ あの男がジェナーニンと呼ぶ時代・・・つまり訓練のために時代へ連 れ帰ってくれる本も見つかった。 |
ああ、愛しいタームラ。 俺がここに囚われてから、どのくらいの時がたったのだろう? 水たまりに映った顔は、かつての俺の顔ではなく・・・ひどく年老い ていて・・・凶暴そうに見える。だが、それが俺・・・サーベドロなのだ。 俺は奴らのした事を忘れてはいない。どうやって仲間達を死に追 い込んだのかを・・・ |
記憶が走馬燈のように駆け巡り、俺の心は絶望で一杯になた。何
もできない。あの男の障壁の外では誰も生きられないと思えば思う
程、霧が勢いを増して忍び寄って来る。 霧に身を任せるのは簡単だ。十分に濃くなったら、その中に入れ ばいい。そうすれば心配事はなくなる。記憶を捨て去ることができ るのだから。 だが、忘れてしまう訳にはいかない。連中が俺の仲間についた嘘 を一つ残らず覚えていなくては・・・奴らがどの様にして俺達を操り、 欲しい物を奪ったのかを! |
奴らは俺達の世界を修復するために来たのだと言い、長老達と面
会する機会を作ってくれと頼んできた。 奴らは別の世界(生きるために必死で働く必要のない素晴らしい場 所)の本を見せ、それをアトラスが書いた本だと言った。ナラヤンも アトラスが書いた物らしい。 奴らはお、彼がわざと世界を不安定なものにし、俺達を木の奴隷 にするつもりなのだと言った。 「判りますか、サーベドロさん。」 彼らは続けてこう言った。 「父は僕らを学ばせるためにこの世界を書いたんです。自分の息子 達に、存在してはならない世界とはどんな物かを見せるためにね。」 何と言えば良いのだろう。それが真実であるかどうかも分からな い。 だが、わざわざ奴らが嘘をつく必要があるだろうか? アトラスに は嘘をつく必要があっただろうか? 奴らが持っていた本の中の世界・・・ 長老達は奴らの話を信じようとしなかった。そして、どんな理由 があっても木を放棄する訳にはいかないと言った。 何千年もの間、俺達はラチスの根を世話してきたのだ。その伝統 がなくなれば、俺達は滅んでしまうだろう。 俺は自分達の死など望んではいない。絶対に! シーラスとアクナーが「僕たちは戻ってくるよ。サーベドロ。」 と言った様に、あの男も戻ってくると言ったが戻ってはこなかった。 アトラスは戻ってこなかった・・・ 彼にはその埋め合わせをさせなくてはならない。 |
これまでに、何度かトマーナに帰ってきた。俺はあの男の息子達
の痕跡を探している。父親の元に帰った事は確かだが、あまりにも
時間が経過しすぎていた。仲間達の事を忘れるには十分な年月だっ
た。 |
アトラスよ、お前は何をしている? お前は美しく安全な家で、愛する妻や家族との生活を楽しんでい るのか? 新しい時代を思い描くのに忙しいのか? かつて創造した時 代の事など忘れてしまったのか? |
気をつけなくては。 俺が自由のみである事を奴らに知られてはならないのだ。 日記だ、日記を読んで息子達が隠れている場所を探すのだ。そし て、あの二人を見つけたら・・・ いや、奴らの家族を見つけたら殺してやる。皆殺しだ。アトラス とその家族に苦しみを味わせてやるのだ。 俺が何年もの間、苦しんできた様に。 |
シーラスとアクナーはトマーナにはいない。日を追うごとに、俺
はそう確信するようになった。アトラスの息子達は、あそこにはい
ない。 何があったんだ・・・アトラス? ナラヤンに飽きた様に、息子達にも 飽き飽きしたのか? 障壁の向川にいる俺達を見捨てた様に・・・息子達 を見捨てたのか? だが、そんなことはどうでも良い。まだ奴らの父親に復習するチャ ンスはある。俺はもう・・・ジェナーニンにしがみついてはいない。我 が時代の死者達の仇を取る事ができるのだ。 すでに俺は、アトラスの他の本を開いている。そして、アトラス自 身の訓練を逆に利用して、いくつもの世界に手を加え始めている。ま だまだやるべき事はたくさんあるが、最後にはあの男をこの大地の牙 に誘い込んでやるつもりだ。トマーナからここへ・・・あの男が俺の後を 追ってくる様にし向ける方法を考えるとしよう。 |
取りあえず、オービターに集中しなければ。オービターはこの世界
に元々あった物ではなく、今まで見た事のない材質でできてる。障壁
に似ている様な気もする。もし本当に同じ材質なら傷つけることはで
きないだろう。 それでもかまわない。その時は、他の装置を傷つければ良いだけの 話だ。 |
あの男が柱に記した詩を汚してやった。あの男の世界でナラヤンの
芸術を目にするのに耐えられなくなったのだ。 二番目の詩は樹液を使えば塗りつぶせるだろう。しかし、島につい ては何ができるのか分からない。 海液を変える方法など知らない。 アマテリアから水に浮かぶ奇妙な石を持ち帰ったらどうだろう? あの時代の岩は、分子構造中の何かのせいで、他の石を強く引き寄 せたり反発させたりする。 この石を島の地面に埋めたら、最後の詩を傷つけるのに、十分な干 渉を起こしてくれるのではないだろうか? いくつか実験を行う必要があるだろう。 |
あまりにも時間がかかりすぎた! 家を調べるのに時間を費やせば費やす程、誰かに見つかる危険性も 高い。あの男の日記を大地の牙に持ち帰るつもりだったが、無くなっ た事に気づかれたら・・・と思うと怖い。そうでなくても俺は、あの男が どこまで知っているのだろうかと恐れているのだ。 あの男の妻は何を知っているのだろうか? |
前回はあの女にあやうく見つかる所だった。俺は直接サンルームへ
移動した。あの男の書斎へ向かっている歩いている時、ホールから近
づいてくる足音が聞こえた。あの女は誰かと話をしていた。笑い声も
聞こえた。一瞬、それがタームラの声のような気がして、俺の心臓は
止まりそうになった。 だが、すぐに俺はその思いをかき消した・・・タームラは死んだのだ。 俺があの兄弟を追っている時に死んでしまったのだ。 |
彼女が俺にくれたネックレス。それに触れると彼女との事を思い出
す。俺はあのとき、彼女にふたりの娘を連れて岩礁に行き、隠れてい
るように言った。 ああ、タームラ! 俺は君に、全てうまく行くと言ってしまった! |
何年もの間、俺は自分の言った事が嘘にならない様に祈り続けてい
た。君が岩礁にたどり着き、病気にかかったラチスの根の世話をして
いる君を・・・織り合わせている君を・・・タームラ・・・どれほど祈ったこと
か! |
だがそれも、あの男の機械を開くまでだった。 あの男の障壁越しに俺はナラヤンを見た。バリアーに閉じ込められ ていたが、それでもラチスの木が枯れてしまっている事は分かった。 ナラヤンはラチスの木が枯れてしまっては生き延びられない。 あの男の障壁の外では誰も生きられない。 |
妻と子供達が死んだ事を尻、アトラスの家の中で立ちつくしている
と、霧が再び忍び寄ってくるのを感じた。いっそ飲み込まれて何も感
じない様になりたい、とさえ思ったがそうはいかなかった。そこに立
っているのをアトラスの妻に見られる訳にはいかないのだ。どうにか
こうにか、もやの中を進み書斎にたどり着くと、ジェナーニンに戻る
ための本を見つけた。本が俺が置いたままの場所にあった。 落ちているのを誰にも気づかれない場所だった。俺は本の上に手を 置いた。背後でドアを開く音がしたが、その時にはすでに俺の周りか らは書斎が消えていた。 もう少しであの女に見られる所だった。分かっている・・・今回は近づ きすぎた。もし本が置いてあるはずの場所になかったら・・・ 次回は、他の世界の本を持って来よう。二度とこんな目に遭わない ようにするために。 |
肉食の混成種を作ろうという俺の試みは、ある程度の成功をおさめ
た。大きな進歩だが森の中で育つ生物は、ナラヤンの植物とは違って
いる。はるかに強靱だが、移植が難しい。 沼地にいる種を掛け合わせてみたらどうだろうか? |
ウソだ!! そんなはずはない! きっと、俺を欺くために、日記に嘘を書いたのだ! そこには・・・ドニの人々を生き返らせ、新しい生命を与えたと書か れていた。一体、どうやって? どうしたら・・・ただの人間にそのような事ができるというのだ? 一 人の男が本を書くだけで、死んだ世界が息を吹き返すというのか? これは何を意味している? あらゆる神聖なものにかけて問いかけ たい。 ああ! タームラ・・・これはいったいどんな意味があるのだ? たとえどんな意味があろうとも、何かが変わる訳じゃない。俺は この計画をやめるつもりはないし、仲間達の復習もあきらめていな い。敵に苦しみを与えてやらねば。 タームラ・・・織り合わせの伝統にかけて誓おう。 これで全てが変わる。 |
操作装置の設定を変える方法が分かった。 大地の牙の別の装置から排気用の部品を取ってこなければならな いが、手で動かせば今後も使えるだろう。 |
最後の絵がもうじき完成する。 暑い中で描くのは大変だったが、起こった全ての事をあの男に分 からせることができるに違いない。 俺が残す指示どおりにすれば、あの男も俺と同じ苦痛を味わうこ とになるだろう。 そうならなければ、俺は二人としも死ぬ以外に道はないだろう。 |
準備は全て整った。後はアトラスの到着を待つだけだ。今夜は、
幽霊達に囲まれて眠るとしよう。 そして・・・明日はトマーナに接続する。あの男の本を持って戻っ てくるつもりだ。 仲間達の霊が俺を導かんことを・・・ |