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SSの幼生


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三輪車
 Kはいつものように郊外を運転していた。普段の外回りで通り慣れている道・・・。どこに誰が住んでいるか走らないが、どの辺りが危険なのかは把握している、つもりであった。
 次の十字路に取り付けられたカーブミラーは半分割れているので使い物にならない。だから、注意してゆっくりと走らなくては。そう思ってブレーキをかけ、身を乗り出しながら慎重に車を進める。
 曲がり角のすぐ側で女性が二人話していたが、車と接触する距離ではない。Kは安心して、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
 その時、一人の女性が傍らに止めていたベビーカーがゆっくりと滑り出し、あっという間に車の前方へ滑り込んだ。よく考えれば、この道には傾斜がある。車を運転する彼は、安心していたためか目の前に突然現れたベビーカーへ対応できなかった。
 嫌な音が響き、車体の下へベビーカーの一部が巻き込まれた。
「た、大変だっ!」
 速度がでていなかったが、明らかにベビーカーが巻き込まれている。Kは車から飛び出した。向こうから、音に気づいた女性達が青い顔をして駆け寄ってくる。
 ベビーカーの中をのぞき込んだ彼は、黙り込んでしまった。誰もいないのである。衝突したとき、何かが飛び出したのは見えなかったし、座席が壊れていないために巻き込まれたとも考えられない。
 しかし、万が一ということもある。彼はおそるおそる車体の下をのぞき込んだ。ところが、見えたのはへし曲がったベビーカーの足とタイヤだけであった。
「あのー・・・。」
「す、すみませんっ。なんとお詫びをしていいやら・・・。」
 後ろから女性に声をかけられ、しゃがんだままのKは土下座のような形で女性達に謝った。
「いえ、あの・・・。」
「あ、あのベビーカーを・・・申し訳ありませんっ。」
「ですから、あの・・・。」
 子供がいないというのに女性達の対応がどうもよそよそしいのにKは気づいた。そこで、おそるおそる顔を上げ立ち上がった。
「あの、そのベビーカー・・・赤ちゃん乗っていないんですよ。」
「へっ?」
「それ、色々入れるのに便利で、私普段から使っているんです。」
 その言葉を聞いた瞬間、彼は緊張の糸が切れて倒れそうになった。あわてて自分の車に手を当てて女性達を見た。
「そうなんですか?」
「えぇ・・・。驚かせてすみません。」
 女性達に頭を下げられて、Kはさらにあわててしまった。
「しかし、対物事故というのは事故ですし、壊してしまったのは私です。と、とにかく弁償しなくては・・・。」
 数時間後、早めに仕事を切り上げたKは、女性から聞いた住所を便りに車を運転していた。後ろの席には使い物にならなくなったベビーカーが乗っている。
「こんばんは。Kです。今日は申し訳ありませんでした。」
「あ、Kさんですね。今開けます。」
 郊外の一戸建ての家の扉がゆっくりと開き、目の前に昼間にあった女性と、見知らぬ男性が現れた。恐らく、彼女の夫であろう。
「こんばんは、あなたがKさんですね。」
「えぇ、そうです。今日は、申し訳ありませんでした。」
 Kは深々とお辞儀をした。
「どうぞ、顔を上げてください。」
「いえ、ベビーカーを壊してしまって・・・。」
 この言葉で、目の前の夫婦は少し暗い顔をした。
「あの、本当はもっとちゃんした封筒に入れておくべきなのでしょうがこれしかなくって・・・。どうぞ、受け取ってください。」
 Kはそう言って自分の勤めている会社の封筒を差し出した。中には、数万円の現金が入っている。
「いえ、こんなに・・・。」
 封筒の厚みを考えて二人は驚いている様子であった。
「こんな、はした金では足りないとは思いますが、どうか許してください。」
 こういってKは再び頭を下げた。
「こちらこそ、私の不注意で車に傷を付けてしまって・・・。」
 ・・・、このような会話をあと数回重ねた後にKは帰っていった。車は前方がへこんでおり、会社のイメージを悪くしかねないので既に修理に出している。そこで、Kは一人とぼとぼと家まで歩いて帰った。
「ふぅ・・・。今日は災難だった。」
 一人住まいのアパートの扉を開け、中に入ったKはこうつぶやいた。
(2月29日 今日は、ベビーカーにぶつかった。)
 日課にしている短い日記を書き、Kは眠った。翌日は、車がないのでいつもよりも早く家を出なくてはならない。

「おはようございます。」
「やぁ、K君。昨日はどうだった?」
「いえ。大丈夫ですよ、課長。」
 会社に着くと待っていたかのように課長が現れた。
「今日は自分の車でないから疲れると思うけれど、お得意先まで行ってくれないか?」
「いいですよ。」
「今日はL君も同行するから、まぁ彼に周りを見てもらえば問題ないだろう。」
 この会話の一時間後に、LとKは車に乗って会社から出ていった。
「K君、君の方が運転がうまいからお願いするよ。事故の後だから嫌かもしれないけれど、私が周りを見ているから。」
「あぁ、頼むよ。二日連続でものにぶつかったら、周りにどんな顔をすればいいか分からないしね。はははっ・・・。」
 そんな会話をしているうちに二人は取引先のビルまで着いた。スピードを落とし地下の駐車場に車を止める。
「さて、運転も大事だけれどこれからが本番だから、気合いを入れていかなくてはね。」
 Kはそう言ってLの後を着いていく。
 得意先の会社で、新しい企画のプレゼンもどきを行った二人はニコニコしながら駐車場に戻った。今回のプレゼン自体のできは今ひとつであったが、相手の食いつき方が思った以上に良かったのだ。
「うまくいくかもしれないな。」
「ああ。」
 二人はそう言って車に乗り込む。
 鍵を回し、エンジンをかける。ギアをバックにしてアクセルをゆっくりと踏んだ瞬間、車の後方で鈍い音がした。
「しまったっ! 何にぶつけたんだ?」
 Kは青い顔して車から飛び出した。ここは得意先の会社である。何か大切なものを壊してしまった場合は、今後の取引にも関わる。
「・・・あれ? 三輪車?」
「なんでこんなところに・・・。」
 驚くKの後ろから、後から出てきたLの不思議そうな声が聞こえる。
 薄暗い駐車場に、誰も乗っていない三輪車が置いてあった。幸い、スピードがでていなかったために傷一つ無い。
「なんでこんな場所にあるのか知らないが、車の後ろに置いておく方も悪いよな。」
 Kの顔を気の毒そうに見ながらLが言う。Kは周りに自分たち以外に誰もいないことを確認してから、三輪車を運転の邪魔にならない場所へ移動させた。
「まぁ・・・偶然だよ、偶然。」
 再び車に乗り込んだLが言う。
「だよな・・・。」
 浮かない顔でKはアクセルを踏んだ。地下の駐車場を抜ける直前、彼はバックミラーで後ろを見た。光の加減なのだろうか、三輪車はどこにも見えなかった。
「どうした? 顔色が悪いぞ、二人とも。うまくいかなかったのか? まぁ、全く新しい企画だから仕方がないかもしれんぞ。さ、気を取り直して。」
 課長の言葉を笑って受け流し、二人は持ち場に戻った。

(3月1日 取引先で今度は三輪車にぶつかった。災難としか言いようがない。)
 Kは今日の日記と昨日のそれとを照らし合わせため息をついた。明日も車がないので、早く家を出なくてはならない。
 翌日、Kの携帯電話に電話があった。板金店からで、車が3日後に帰ってくるとのことだった。車なしの通勤が二日続いただけでうんざりしていた彼は大いに喜んだ。
(3月2日 3月5日に修理にだした車が戻ってくる。これで通勤も楽だ。)

 車が戻ってきて、Kは普段以上に注意して運転した。
「ふぅ・・・。」
 免許を取っあと初めて公道を走ったときのような疲れを彼は覚えた。
「K君、愛車が戻ってきて早速なんだが、今日は私とZ商事まで来てくれないか?」
 十時ごろ、お茶をすすっているKのところへ課長が現れた。
「いいですよ。」
「じゃ、昼食後また来るから。」
「分かりました。」
 Kはお茶を飲み干すと、机の上に置いてあった書類に目を通し始めた。
「じゃ、よろしくお願いするよ。」
「はい。事故を起こさないように気を付けます。」
「おいおい、冗談はよしてくれ。」
 助手席に乗っている課長を見ながら、Kは車のエンジンをかけた。
「おや、K君。その”小学二年生 計算ドリル”は何だ? いま、こうやって頭のトレーニングがはやっていると聞いたが、君もやっていたか。」
「へ?」
 課長に言われるがまま、Kは後部座席を見た。そこには確かに計算ドリルが置いてある。
「ええ、まぁそうなんですよ。」
 なぜこんなものが置かれているか分からないが、ややこしくなりそうなのでKはそういうことにした。

(3月5日 車が帰ってきたのはいいが、小学二年生の計算ドリルが付いてきた。どうしてだろうか。)
 最近は日記を書きながらため息をついてばかりいる自分を嘲りながら、Kは大きなため息をついた。そして、問題の計算ドリルを手に持ちひらひらさせてから、再びため息をついた。
「課長が言ったとおり、頭の体操でもしてみようか・・・。」
 ぼそりとつぶやき、計算ドリルを机に投げ出した。それから、Kは布団に寝転がった。

「あ、はい。そう言うことでしたら、どうぞ。」
 Kはそう言って、今日出向いた会社の人間に頭を下げた。
「それはありがたい。それでは、X君をお願いするよ。」
 先ほどまでKと話していた人間は、隣の部下に目配せした。部下は無言で部屋を出ていく。
「Kさん、彼がXです。どうぞ、よろしくお願いします。」
 部下が戻ってきたとき、Kは思わず目を見張った。部下と一緒に出てきた人物は、ベビーカーを壊してしまい弁償に言った家の夫であった。
「おや、Kさん・・・。名字が同じだと思ったら、あなたでしたか。」
「いえ・・・、私も驚きましたよ。まさか、こんなところで出会うとは。」

「すみません。本当はタクシーで行けばいいのですけれど・・・。」
「まぁ、いいですよ。特に急用ならばなおさらです。」
 Kの会社にXは用事があるらしい。
「さあ、行きますよ。」
 助手席に乗ったXの方を見ながら、Kは車のエンジンをかけた。会社の敷地を抜けて、一般道路に出ようとしたとき、一台の自転車が置いてあった。
「あーあ、こんな所に止めて・・・。これじゃ、外に出られないよ。」
 ぼやきながらKが扉を開けると、ガタリと音がして何かが倒れた。窓から外を見ると、車の横に止めてあった自転車が倒れている。
「なんだか新手のいたずらのようですね。今まではこんなこと無かったのに。」
 Xもぼやきながら、自転車をどかすのを手伝った。
「ベビーカーは買いましたか?」
 しばらく運転したところで、KはXに尋ねた。
「いえ、最近は忙しくてまだです。それに、当分子供を作る予定はありませんし。」
「そうですか。ま、考えれば三月ですから忙しいのも無理はないですね。」
 Kはそれだけ言って、運転に集中した。
「さ、着きましたよ。」
「ありがとうございます。」
「お互いに仕事、がんばりましょうね。」
 二人はそう言って別れた。

(3月11日 ベビーカーの持ち主であるX氏が勤める会社が分かった。)

 休日である。Kはやることが無く暇なので、桜を見に行くことにした。山の中腹で、二分咲きになったという。まだ若いKは、桜を見ること自体に全く興味がないのだが、本当に暇なので仕方がない。
「どうせ二分咲きならば誰もいないだろう。ま、暇つぶしくらいにはなるかな。」
 交差点で信号待ちをしていると、中型二輪がスルスルと移動し、Kの車の前方に止まった。そしてすぐ、信号が青になったので中型二輪は走り出した。Kもゆっくりとアクセルを踏む。
 前方を走る二輪はKと同じ方向に走り続け、目的地の近くまで一緒に来てしまった。
「たしかこの辺りだったらしいけれど・・・。」
 Kが横を見ようとした瞬間、前方の二輪が倒れた。Kはあわててブレーキを踏み、衝突は免れた。彼はあわてて外へ飛び出し、倒れている運転手に近寄った。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です・・・。申し訳ありません。」
 二輪の運転手はヘルメットの奥で痛そうな顔を見せながら車体を起こし、道の端へ寄せた。
「どうぞ、俺は大丈夫ですから先へ行ってください。」
「そうですか、それでは。この辺は砂利が多いですからね・・・。」
 Kは頭を下げて、車に乗り込んだ。それから数分間走り、公園へ着いた。街から離れたところに位置する公園のためか、人は全くいなかった。
「桜が咲いているといえば、咲いているが・・・。葉桜でもないし、枝ばかりじゃないか・・・。」
 こんな時期に来た自分が悪いとは思うのだが、結局暇をもてあますことになってしまった。
「・・・。」
 しばらくベンチに座っていたが、Kは立ち上がり下に広がる街を見渡した。自分が住んでいるアパートは見えなかったが、通っている会社のビルは見えた。辺りは静かで、Kが桜を見始めてから物音一つしなかった。まるで、ここだけ世界から切り離されたように静かである。
 本当に何も見るものもないが、Kはそこで二時間ほど時間をつぶした。
(3月12日 休日。暇なので、二分咲きの桜を見に行った。しかし、暇なものは暇だった。)

 それから一週間後。毎週のことながら、基本的には暇な休日がKのもとへやってきた。桜も満開に近づいたが、会社でお花見の予定は入っていない。かといって、自分から好きこのんで人混みに近寄るのも嫌だった彼は、人がいそうもない海の近くまで車を走らせることにした。
(花見の時期に、桜のないところへ行こうとする人間もいないだろうな・・・。)
 そんなことを思いつつ、Kは初めて通る道をのんびりと走った。近くには「カーブ多し、スピード落とせ」と書いた看板が立ててあった。
 海は、人がほとんどいなかった。ずっと遠くで三十代くらいの男性が絵を描いているだけで、海岸に座って海を眺めている人間はKを含め二人だけだった。
 Kはちらちらと絵描きを見たが、声をかけようとは思わなかった。
 夏の海水浴場によく見られる風景のように、カモメが鳴くことはないし、砂浜で遊ぶ子供の姿も見えない。少し肌寒い風が吹き付けるだけであった。
 そのとき、KはふっとX氏の家のことを考えてみた。
「なぜ、ベビーカーを持っていたのだろう?」
 彼はぼそりとつぶやいた。事故の時はあわてていて気付かなかったが、もしかしたら、X氏の奥さんは妊娠しているのかもしれない。
 ふと横を見ると、先ほどまで絵を描いていた男性が去っていく。彼の周りで海を見る人間は誰もいなくなってしまった。

 気が付くと、夕方になっていた。Kは車に戻り、エンジンをかけた。それから、ゆっくりと来た道を戻る。
 車がほとんど通らないので、Kはカーステレオの電源を入れた。本当は、MDを再生するつもりだったのだが、ボタンを押し違えてしまいどこかのラジオが流れ始めた。彼は治そうかとも思ったが、面倒くさいのでやめた。
 ラジオからは、子供らしい声で朗読をしているのが聞こえてくる。
「知っているかい? あれは僕と家族とをつなぐ大切なものだったんだ。僕はあれに乗っていたし、当時の僕はあれに乗ってしか外へ出られなかった。」
 ラジオにはほとんど気を止めずに、Kは運転を続ける。発信側は当然受信者の姿が見えないので、音声を流し続ける。
「家の中には、僕が触れてものがいくらでもあるからいいんだ。でもね、僕が家族と一緒に外に出るにはあれが必要だったんだ。キミがいくら新しいものを買ってくれても、決して埋め合わせはできない。」
 そこで、数秒間何も聞こえなくなった。聞く側を引きつける手法らしい。
「僕はずっと家族と一緒にいたいから、外出するときはあれを持っていくように仕向けたんだ。僕はこの世界にいなくなってから、成長なんて望まなかったけれど、あれが壊され時、成長を望んだよ。そうしたら、一日に一歳ずつ歳を取ったよ。だからもう、僕は父さんと一緒にお酒も飲める二十代後半だ。」
 奇妙な話のために、Kは顔をしかめた。
「僕は歳を取りながら、あいつに問いかけようとしたよ。三輪車を見せたり、計算ドリルを見せたり、自転車を見せたり。そして、バイクに乗って・・・。」
 その時、Kの背筋に冷たいものが走った。あまりにも、自分の体験に一致している。
 彼は気分が悪くなったので、スピードを落とした。目の前のカーブものろのろ曲がる。ゆっくりと曲がり、今まで死角であった世界が目に飛び込んだとき、目の前には巨大なトラックが見えた。
(ハンドル操作を間違えたな!!)
 Kはあわててブレーキを踏もうとしたが、足は自分の意志に反しアクセルに伸びる。さらに、彼の目はトラックの運転席に釘付けになってしまった。
「でも、気付かなかったようだね。なに、僕は家族とのつながりを一つ断たれたことを怒っているんじゃないよ。キミはあの事件の後、僕の両親にちゃんと謝ったしあれ以来慎重に運転するようになった。」
 アクセルを踏む足は動かせないだけではなく、指を動かしたり、まばたきをすることもできない。Kの視線は、トラックのハンドルにつかまっている赤ん坊に釘付けのままである。
 赤ん坊は、Kの顔を見ながら無表情で話し続ける。
「だけどね、もしあの時、ベビーカーを僕の母さんが持っていたらどうなっていたかを想像したことはあるかい? ないだろう? キミは事故を起こして以来、対物事故は注意するようになったが、対人の注意は全く変わっていないようだね。」
 Kが運転する車は、ガードレールを突き破り、交通安全をうたう看板に飛び込んだ。いつの間にかシートベルトが外れていたらしく、Kの体はフロントガラスを突き破り、看板の支柱に頭をひどく打ち付け死んだ。
 道路にはKの車以外には何もなかった。


 ホラーものを作りたかったのですが、どうでしょうか? あ、これが20000HIT記念の作品です。
 ご不満かもしれませんが、許してください。そして、できれば作品を読んで背筋が冷たくなって欲しいです。無理でしょうけれど・・・。



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