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SSの幼生


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絵になる風景
 白い砂浜、真っ青な空と海・・・。
 そこには美しい海岸線が延びていた。子供たちは押し寄せる波に歓声を上げ、カップルは木陰で寄り添っている。中年の男女が子供が遠くに行くのを注意し、 老人が散歩をしながらゆっくりと人々の動きを眺めている。
 全くもってのどかな光景である。この海岸に面した民宿には一人の画家がいた。彼は海岸から見える景色をキャンバスに落とし込む努力を必死で行っている。 目の前に広がる絵になる光景を絵にできると言うことで画家冥利に尽きるのだろうか。
「ふぅ・・・。」
 画家は筆を止めて、キャンバスと実風景とを比較した。構図も色合いも申し分ないと彼は判断し、満足そうにうなずいた。
「画家の兄ちゃん、お茶でもどうだい?」
 あけっぱなしの玄関で、数分前から様子を見ていた民宿の主が声をかけてきた。
「あっ、すみません。いただきます。」
 画家は肩にかけてあったタオルで汗をぬぐいつつ、民宿を出て茶の間へ移動した。
「今日は特に暑いだろう? あんたも残念だったな、こんなエアコンすらない民宿にとまっちまってよ・・・。俺の家内も心配しとるぞ、部屋で倒れていやせん かとな。」
「大丈夫ですよ。私は水彩画ですから、湿気も高温も絵に影響しませんから。」
「自分の身より絵を思うとは、熱心なことだ。だが、夕方から天気が怪しくなるから早めに窓は閉めていた方がいいぞ。」
 二人は茶の間へ付いた。民宿の主の妻がアイスコーヒーを用意している。
「ハイ、どうぞ。ごめんなさいね、突然扇風機が故障してしまって暑いでしょう?」
「ご心配なく。ところで、夕方っていつ頃から天気が崩れるのですか?」
「ああ、天気予報だと6時頃ね。どうして時間まで聞くの?」
「今、絵がいいところなんですよ。天気が崩れると砂浜に人がいなくなるでしょう? 絵には砂浜にいる人々も描いていあるので、今日中にはある程度仕上げた いんですよ。」
「まあ熱心な方ね。」
「全くだ。うちの息子にあんたの爪を煎じて飲ませたいくらいだ。だが、天気予報なんてアテにしない方がいい。早めはやめにやった方がいいぞ。」
 コーヒーをぐっと飲み干してから主が言う。

「おや・・・。もうかげりだした・・・。」
 画家は時計を見た。まだ四時である。空にかかる雲は、すでに怪しい灰色になり動き始めている。あたりにはひんやりと冷えた空気が漂い始め、砂浜に活気が 消えていった。
「兄ちゃん、そろそろ窓を閉めないと。それに外に干してある洗濯物も・・・な。」
「あ、すみません。思ったより早いですね、天気が崩れるのは。」
 画家はリュックにしまってあったラジオを取り出して電源を入れた。絵を描いているときは、集中するために切ってあるが、人がいない海岸を見ても描けない ので、今日はここで筆を止めることにしたらしい。
「気象庁からの連絡です。今まで一週間続いたほど晴れ間が今日でちょっと一休みと予想しておりましたが、予定以上に雨雲の発生量が多く、しばらく天気は崩 れそうです。」
 ラジオから天気予報が流れ始めた。それを聞いた主がつぶやく。
「はあ・・・。その予報もどこまでアテになるやら。」
 そこまで言ったときに、空から白いものが降り始めた。雪である。水分をしっかり含み、巨大化しているために地熱を急速に下げ、周りの景色を銀世界へと変 えていく。
「あーあ、雪が積もっては明日も絵が描けませんね。」
 画家が残念そうに言う。
「どうだろうな? 暑い日に空から雪を降らして涼をとってる風景なんて、絵になるぜ。」
 主が皮肉混じりに言う。その言葉を聞いた画家は、自分の絵と外の風景を見比べてから口を開いた。
「それもそうかもしれませんね。過去には夏に雪を望む人がたくさんいたでしょうから。」
「・・・そうだな。しかし、”さっきまで”は夏だったのかどうか・・。」
 画家の言葉を聞いた主が寂しそうに言う。二人は灰色の空を眺めた。空からはとどまることなく白い雪が落ちてくる。
「異常気象も予測できていたうちはよかったが、もう最新のコンピュータを使ってもできないんだよな。結局、人間は自然を壊し支配したつもりだったが、破壊 された自然も進化して異常気象という手段で再び人間を翻弄し始めたのかもしれない。」
 主が肩に掛かった雪を払いながら言った。
「おや、あなたもそんな科学的な言葉を言うのですね。」
「ふっ、異常気象が起こり始めた頃に気象予報士をやめてよかったぜ。もしやめていなかったら、今頃世間からの非難で俺の口はさらに悪くなっていたから よ。」
 画家の現状を、主の過去を、そして海岸にいた人をあざ笑うかのように雪は降り続いた。白いヴェールは全ての嘆きを吸い込み、それを凍り付かせ地面に積ま れていく。そして嘆きはやがて地中に流れ込み、誰にも届くことはない。


 異常気象も毎年続くと例年通り・・・。気候に関してこの柔軟性を適用できるのか どうかは、人類の経験が短いために判断できないのかもしれませんね。



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