食目狂
落日を思わせる微かだが力強い光の中に、苦痛に歪んだ男の顔が照らされている。そして、その男をにらみつける警官と、ペンを持ったまま下を向いている二
人目の警官・・・。
「さぁ、話を聞かせてもらおうか?」
先ほどまで何も言わずににらんでいた警官がついに口を開いた。
「・・・、青島さん。」
その声にペンを持っている警官が口を挟む。どうやら、”そんなに高圧的に迫ってはよくないのでは?”と言いたいらしい。
そんな警官の声にならぬ声を完全に無視して、青島警官は男に顔を近づけた。自分でも必死になっているのだろう。あらん限りの努力をして鬼の形相を作って
いる。
「俺達が聞きたいのは殺人の動機だ! どうして、罪もない女性を殺したんだ!?」
犯人は答えない。
「何でもいいから言ってみろ! ここには俺達とお前しかいない。」
「少し冷静になって下さい。・・・青島さん。」
青島警部の顔にペンを近づけて、もう一人の警官が彼の脅迫を遮った。
「さて、魚見さん。あなたは笹渋通りで若い女性・・・いえ、西鹿佳余子さんを殺しましたね? それは認めますね?」
青島警官の鬼の形相と、ドスの聞いた声のためか、もう一人の警官の声は仏のようである。
「・・・、あの女性はそういう名前でしたか・・・。」
焦点が定まっていないうつろな目を天井に向けて、魚見がぼそりとつぶやく。
その態度を見た青島がカッとなって、大きく息を吸い込んだ。しかし、彼が何かを言い出す前に、警官は続けた。
「殺人を認めるのですか?」
「魚見、何か言わないと後々の裁判でも不利になるぞ。それに・・・」
青島は顔を赤くしながら横槍を入れてきた。そして、ここまで言った時に、彼はもう一人の警官をちらりと見た。それに釣られて、魚見も同じ人物を見る。
「魚見、この島寄という男はな、見た目は恐ろしいが一度怒ると俺なんかとは比べものにならない。せいぜい、やつを怒らせないように努力すること
だ・・・。」
島寄はまだ若い。取り調べになれていないのか、青島のせりふの後に魚見に対してニコリと笑ってしまった。
薄明かりに照らされた島寄の顔に無数の影ができ、彼の優しい面影の裏にありもしない鬼の姿を浮き上がらせてしまった。
「・・・、認めます。」
魚見という男も、気の弱い男のようだ。島寄の笑顔に一瞬で青くなり、とたんに口からこの言葉が出てきてしまった。
「殺人を認めるのだな・・・。まぁ、目撃者もいることだし言い逃れの術はないと言えばそれまでだが。」
青島が勝ち誇ったようにいい、島寄に目で合図をする。島寄は、彼の視線を感じ、素早くノートにメモを取りだした。
「では、どうしてお前は西鹿さんを殺したんだ? お前の態度や、俺達の調査から判断しても赤の他人のようだが・・・」
そう言いながら、青島はマユを吊り上げた。
「彼女に恨みは全くありません・・・。」
ぼそりと魚見が言う。
「それは分かった。ならば包丁を持って、彼女を刺してそれから、目を・・・」
ここまで言った時、魚見が突然話し始めた。
「目・・・、彼女の目があまりにも生き生きしていて・・・。」
魚見は自分の顔を手で覆った。声も震えているが、全身が痙攣しているかのごとくガタガタとふるえている。
「私はあの目を見た時に、急に彼女のそれが欲しくなったのです・・・。」
麻薬でも使ったかのように彼はふるえている。そして、指と指の間から見える彼の目は何か光源があるかのように不気味に光っている。
「・・・、一体どういうことだ? 第一、どうして目を食べたりなんて・・・」
魚見は人通りの少ない通りで、女性を殺し、血まみれでその屍の上に乗っているところを通りすがりの人間に見つけられたのだ。彼は逃げようともせず、そこ
でじっとしており、その顔は恍惚としていたという。
そして、パトカーのサイレンが響き、彼の周りに警官が集まった時には、幸せそうに中を眺めている魚見と、両目をくりぬかれた女性の死体があったという。
「あなた方は目を食べたことがありますか・・・?」
魚見がふるえることでつぶやく。
「目・・・あの白い球体を口に含み、それを歯でかみ砕く・・・いやつぶす時のあの感覚を・・・。
いや・・・違う。まず目を口に含み、舌の上で転がす。・・・そっとです。シャボン玉のように大切にしないと、途中で割れてしまう。慎重に転がし、目の形
を確かめるのです。そして、微かに表面に付いている血を全部ふき取るのです。
そして、目をかみつぶすのです。あの感覚は、豆腐を噛むのとも、半熟の卵を噛むのとも違う・・・。目を噛むとしか表現できない感覚なのですよ。一度に完
全につぶしてしまうのではなく、何度も何度も繰り返して噛むことができるように慎重に噛むのです。そして、味・・・。無味といえば、無味ですし、ほのかに
塩味がするとも言える。そして、ゆっくりとかみ砕くと、うっすらと鉄の香りとともに、血の味が舌の上を転がるのです・・・。
そんなときに、まだかみつぶしていない白目の部分を舌でなぞると、目の毛細血管の突起まで分かります。血の味のために、まるで、その血管には血が流れて
いるようだ・・・。
そして・・・水晶体。あの独特の堅さと、表面のなめらかさは非常に素晴らしい。あの水晶体こそ目でもっとも上手い場所です。
・・・味はないんです。まったくありません。しかし、ちょうど奥歯のくぼみに入るか入らないか・・・いえ、ほんの少しはみ出す程度の大きさの水晶体をか
み砕く瞬間。硬くもなく柔らかくもない水晶体がゆっくりと形を変化させて・・・それ以上変形に耐えきれなくなった時に、はじけるかのように分裂するんで
す。
そして、目と脳を繋ぐ神経の歯応えと・・・口全体に広がる血の味・・・。固ゆでのスパゲッティーと言うよりは、細長い海藻のようなその食感はたまらな
い・・・。
一つの目玉を食べ終わったとに、じっくりと口の中で今の味を反芻する。そして、その行為に満足した時に・・・、恐怖で歪むもう片方の瞼から目を抜き取
り、再び口に運ぶ・・・。
今度は一気にかみ砕き、素早く口の中で拡販し、目の総合的な味を楽しむんですよ・・・。
・・・、一度やってご覧なさい・・・。あのすばらしさは一度やってみないと分かりません・・・。」
島寄は、狭い独身用のアパートで食事を取っていた。取り調べをしていた魚見の声が胃までも耳の中に響いている。
心なしか普段よりもテレビのボリュームを上げているのに全く無意味に感じた。
「・・・。」
一人暮らしのために、話し相手もいない。島寄は大きくため息をついて、手に取ったお椀に盛られたご飯を一口食べた。
あの後、人間とは思えない叫び声を上げて、その場に気絶した魚見の姿が目をつぶると思い出されてしまい、あまり瞬きをしたくなかった。そもそも、気絶し
てもピクピクと痙攣している魚見を医務室まで運んだとき時の、何とも言えない感覚のために、今日の出来事はあまり思い出したくなかった。
ふっと彼の視線が食卓の一点に止まった。
アジの開きである。尾頭付きのアジの開きは、綺麗な焦げ目が付いて、皿の上に乗っている。島寄は急に、アジの目を意識した。焼く時には全く何も感じな
かったのにと、彼はため息をついた。
その瞬間、彼の耳の中に魚見の言葉が響いてくる。目をつぶした時の食感、水晶体の大きさ、そして血の味・・・。
彼は頭をぶんぶんと振った後に、気を取り直して食事を続けた。
食事が一段落し、彼は骨と頭だけ残った魚や、空になったお椀を眺めていた。
ふっとまだ置いていなかった箸が、魚の目にのびていった。単なる好奇心とも言うべきか、それとも自分の健康を保つためと言うべきか、島寄はえぐり取った
魚の目を口に運んだ。
強烈な塩味の後に、半熟の卵のような白味の食感が伝わってきた。そして、火が通り硬くなった水晶体が歯に当たった。
・・・、かみ砕けない・・・。彼は次第にムキになってかみ砕こうとしていた。気が付けば彼は片手で口を押さえながら、あの時の魚見と同じようにふるえて
いた。本人は必死に水晶体をかみつぶそうとしていたのだが、硬すぎでただふるえることしかできなかったのだ。
つぶすために努力しているうちに、食べられる部分は全て味わっていた。ほのかな苦みと塩味、そして白目の何とも言えない舌触りの表面部分と、まだ火の
通っていないやわらかい白目。
しばらく努力していたが、急にアゴの力が抜けて彼は水晶体を口の中で転がしていた。様々な場所に目の味が伝わり、口の中の味覚を完全に満たした時、ぐっ
とそれを飲み込んだ。そして口の中には、何とも言えない寂しさと、後悔の念が残った。
生身の人間の目ならば、水晶体ちゃんとかみ砕けるのかもしれない・・・。そう思った時、遠くから誰かのささやき声が近づいてくる気がした。
「キャーッ!!」
突然の女性の悲鳴に、島寄は反応した。職業柄仕方がないことなのかもしれない。しかし、見た先にはテレビがあり、犯人に追いつめられた女性のアップが
移っていた。
おびえた女性は、目を見張り犯人の方向を見ていた。そして、目は微かに涙ぐんでいた。
島寄の胸が高鳴った。彼は女性の顔を見ずに、目を凝視していた。先ほどから微かに聞こえてきた人間の話し声が徐々に大きくなってくる。それは、取り調べ
の時の魚見の声であった。
豆腐を噛むのとも、半熟の卵を噛むのとも違う・・・。目を噛むとしか表現できない感覚なのですよ。そして、味・・・。無味といえば、無味ですし、ほのか
に塩味が・・・。
島寄はテレビに映る女性の目を身ながら、自分の胸の高まりと、背中を流れる冷たい汗、微かに紅潮した頬、そしてゆっくりと上唇をなぞる舌の軌道を感じ
た。
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1500HIT記念にしようとした作品です。
ズバリ「読んでいて吐き気がする作品」をテーマに徹底的に
練り上げたものです。
しかし、あまりに不評なためにやめました。
余談ですが、管理人は牛の目を5,6個解剖したことがあります。
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