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SSの幼生


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最強の男 第七部
 砂登季は過去へ移動していた。もはや再び聖徳太子と戦うことはできない。しかし、砂登季はもう一度戦おうとは思わなかった。もし戦いたければ、阿臥命を 地上へたたきつけて、自分も地上へ移動すればよかったのだ。
「負けた・・・。」
 砂登季はこれまで何度となく口にしたこの言葉をまた言った。いくら言っても、何か変わるものではないのだが、砂登季はそれを口にする以外になかった。
 聖徳太子の霊力の高さはずば抜けていた。いまの砂登季がどのような手を施しても勝てる相手ではないだろう。初めて感じる敗北に砂登季はふるえていた。
「もし、再び時津砂天と戦うことができたとしたら・・・。」
 自分はもう一度戦おうとするだろうか? 砂登季は考えたが、そう簡単に答えは出てこない。過去に一度、命を落としたことがあるが、再び死んだらもう二度 と肉体を持つことはできないであろう。そして、時津砂天と戦えば確実に死ぬ。
 いくら考えても答えは出ない。砂登季は決断できない自分に嫌気がさした。ふっと腰に携えた剣に目がいく。
(これで命を絶つべきか?)
 柄を持ったが、それ以上引き抜くことはなかった。かつて仁海が言ったあの言葉がよみがえったのだ。
(過去に戻るお前はどこへ行くのか?)
「過去へ戻り続けると、どこに行き着くのか?」
 砂登季がそのことを疑問に感じた瞬間、天上界からどこかで感じた霊気が漂ってきた。砂登季は全力で過去に戻るのを止め、霊力の主が近づいてくるのを待っ た。
「そこの霊力者、そんなところで何をしている? 用事がすんだら地上へ戻れ!」
 時津砂天はそれだけ言って地上へ行ってしまった。
(何だ!? 聖徳太子の霊力とは比較にならないほど、強い・・・。)
 いま出会った時津砂天の霊力は、太子の倍以上あったであろう。絶対に勝てないと砂登季は確信したが、体は彼の意志に反して地上へ移動していた。
(戦え・・・)
 彼の心に刻まれた妖魔の血が騒ぐのだろうか。砂登季は負けを確信したまま、時津砂天に挑もうとしていた。

 強烈な嵐がやってきた。風は木々を倒し、家を破壊する。雷はいたる所に落ち、山火事を起こす。家を失った人々が当てもなく逃げ回っているのが見える。彼 らには聞こえないが、風の中に神の笑い声が響いている。
「なんだ? この世界は?」
 地上に降りた砂登季は唖然とした。人々の服装は非常に粗末で、文化や技術というものは存在しないらしい。逃げるのに疲れた人々は、岩の影で風雨をしのい でいるだけだ。やがて心ゆくまで全てを破壊した嵐は去っていった。
 それを確認すると、人々がぽつりぽつりと集落に集まってきた。集落といっても、もはや家はない。
「ああ、またやられてしまった・・・。」
 多くの人間がうなだれている。家にあったもの、そして家自体を完全に破壊され、もはや放心状態である。
 その光景に砂登季は心を痛めたが、しばらく様子を見ることにした。この世界の人と、砂登季の服装は開きがありすぎる。うかつに姿を現すことでよけいな混 乱を招きかねない。しばらくすると、どこからか立派な服装をした人間が数名現れた。彼らの顔は知的で、冷気も漂っている。
「大丈夫か?」
「おお、地蜘蛛神の方々・・・。このとおりじゃ、嵐で何もかもやられてしまった・・・。」
 集落の中でもっとも年上の男性が、立派な服装の人間の質問に答えた。
「ひどい嵐だった。我々の神殿も若干の被害を受けた。だが、たいしたことはない。」
 地蜘蛛神は、荒れ果てた集落を一望した。
「復旧にはかなりの時間がかかるだろう。それまでは我々の神殿で寝泊まりするように。」
「へえ。」
 そう言って集落の人間たちは山へと歩いていった。地蜘蛛神たちは、けが人の手当をし始めた。彼らは、傷口に霊気を当てて止血したり、痛みを緩和したり、 薬草で傷口を消毒したりと様々な治療をした。その様子を見て、敵意なしと判断した砂登季は岩陰から姿を現した。
「何者だ?」
 突然、消えていた砂登季の霊力を感じたのか地蜘蛛神たちは彼の方を見た。
「私は砂登季。ただの霊力者です。」
 砂登季のところへ一人の地蜘蛛神が近寄ってきた。神から発せられる霊力は、聖徳太子のそれには及ばないが非常に強力なものであった。
「ただの霊力者というと、神ではないのか。」
 地蜘蛛神は砂登季をまじまじと見つめた。
「確かに神ではないな。しかしすばらしい霊力だ。」
 けが人の手当が終わり、全ての地蜘蛛神が砂登季の周りに集まった。
「一体何の目的でここに来たのだ?」
 疑わしそうな目で一人が聞いた。
「理由は分かりませんが、私は過去へ過去へと移動しています。そして・・・」
 そこまで言ったとき、神々の様子が変わった。
「過去へ過去へ移動している? 奇妙なこともあったものだ。」
「ただの霊力者が時間を自由に移動するとは、他の国にはこのような霊力者を育てる神もいるのか?」
 しばらく勝手気ままに話していたが、ある一人の声で静かになった。皆の視線が集まるなか、砂登季は再び口を開いた。
「そして、私は時津砂天と話がしたくここへ降りてきました。」
「ほお、時津砂天か。あいにく我々はそのような神は知らないな。」
 神々は砂登季に対する敵意はいらしく砂登季は安心したが、時津砂天を知らないと言われ、少々がっかりした。
「知りませんか。」
「ああ。何しろ本当に多くの神々が人間を導くために地上界と天上界を行き来しているからな。私たちが知らない神の方が多いのだ。」
「だが、お前ほどの霊力者ならば、霊気をたどって会えるかもしれないぞ。」
 それ以上語らず、神々は山へ移動し始めた。
「神々、私も着いていきたのですが・・・。」
「かまわぬ。最近、客人が来ないので退屈しておった。」

 神々は巨大な神殿に暮らしていた。山腹に神殿は三つあり、山頂のものほど高位の神々が暮らすようになっている。砂登季は中間の神殿に案内され、そこで話 をすることになった。
 案内された部屋には、十名ほどの神が座っていた。そのうち数名が砂登季以上の霊力の持ち主であった。
「おお、砂登季。待っておったぞ。」
 ひげを蓄え、ひときわ強力な霊気を漂わせる神が言った。
「そこに座って、お前の過去を話してくれないか?」
「分かりました・・・。」
 神々の視線が砂登季に集まる。
「私は遠い未来から来ました。宙界へ移動し過去へ過去へとさかのぼって来たのですが、そこで多くの経験をしました。」
 神々は黙っている。
「寺院の僧侶と戦ったり、侍として敵を攻めたり、神の化身と戦ったり、命を落とし地獄へ行くこともありました。」
「何?」
 一人の神が口を挟んだので砂登季は黙った。
「砂登季、僧侶とはあの仏教を信仰する人間のことか?」
「はい、そうです。」
「そうすると、遠い将来、日本には仏教が伝わるのか・・・。大陸から来た神が、大陸で仏教が広まることを予測しておったが・・・。」
 すると、他の神から質問が出た。
「砂登季、侍とは何者だ?」
「侍とは戦うことを職業とする人間です。彼らは霊力を持たず、武器だけで戦います。たいていは身分の高い人物に雇われています。」
「なるほど。ところで、お前は何の目的で過去へさかのぼっているのだ?」
 砂登季は少し考えた。
「それは・・・。」
「どうした? 我々は過去へさかのぼることをとがめるつもりはない。」
「実は・・・、分からないのです。」
「何?」
 あまりにも意外な答えで神々の間に動揺が広がる。
「荊蜘蛛神、砂登季は確かにそう答えたのか?」
 ある神が、砂登季に同行し部屋にいる地蜘蛛神に聞いた。
「はい、砂登季は確かに過去に戻る理由は分からないと言っておりました。」
「そうか・・・。」
 神は困ったように腕を組んだ。
「神々、私はあなた方にこの理由を教えてもらおうとは思っておりません。どの時代を目指しているのかを見極めるのみです。」
「一つ聞いていいか? 理由は分からないにしろ、おまえの意志で過去に移動しているのであろう?」
「それが違うのです。宙界へ移動すると、謎の力で過去へと引っ張られてしまうのです。」
「なんと・・・。」
 神々は黙り込んでしまった。
 自分の意志とは無関係に過去へと移動している謎の霊力者はどのような縁でそのようになったのかを神々は考えてみたが答えは出てきそうにない。重苦しい空 気に耐えられなくなり、砂登季は口を開いた。
「ところで、どなたか時津砂天をご存じではないでしょうか?」
「時津砂天?」
「はい。私は過去へ引っ張られるとはいえ、地上界や地獄界へ自由に行くことはできます。私が宙界を漂っている時に、天が地上へ行くところを見ました。そこ で、かねてからの気になっていたことを問いたく地上へ移動したのです。」
「うーむ、ややこしいな。要するにお前は時津砂天に会うためにここにきたのか。」
「はい。」
「だが、お前は自分がどの時代に行くかを見極めるために宙界を漂っていたのではないか?」
「そうです。私は過去に何度も地上界へ移動しました。しかしそのたびに宙界へと飛ばされてしまい、否応なく過去へと戻されてきました。そんな中、時津砂天 に会いました。」
「地上へ戻るたびに宙界へ戻されるか・・・。何かしらの運命を感じてしまうな。やはり、お前を過去に呼んでいる人物がいるのではないか?」
「ええ・・・。」
 話がややこしいために、なかなか話が進まない。砂登季はこれを一度に飲み込める人間などいないと思っていたので、イライラすることはなかったが、時津砂 天の行方だけが気になってしょうがなかった。
「まあ、複雑な話だから細かいことは気にしない。要するにお前は時津砂天に会いたいのだな?」
「そうです。」
 そう言った神の顔には、自分は知っていると書いてあるような気がし、砂登季は気色ばんでいた。
「ならば、夜、一番奥の神殿に来るがいい。」
「はい。」
 これで時津砂天の行方が分かると思い、砂登季の胸は高鳴った。しかし、うれしそうな顔をしているのは彼一人であった。部屋にいる神々は砂登季の複雑な過 去をいきなり説明され、まだ完全に飲み込めていないようであった。
(気にしないと言いながら、皆気にしているではないか・・・。)
 そう思った砂登季は話題を変えることにした。

「ところで、あなた方は何をしているのですか?」
「はい?」
 あまりに意外な質問だったのか、神々が固まった。
「はっはっはぁ、そうだな。遠い未来から来たのなら、今のことを知らなくても仕方がない・・・。」
 数名の神はそんなことを言って笑っているが、残りの数名は真剣な顔である。
「だがそれが事実ならば、我々の働きは全く将来伝えられていないということだ。我々の行動は歴史に埋もれるのか・・・。」
「まあまあ、我々の使命は人間の生活水準を上げることだ。過去を伝える必要のないほど人間の技術は上昇し、人間たちが自分自身で歩いていけるようになるっ てことだ。」
「そうだな・・・。我々の使命は成功するのか。そう考えると確かにいいな。」
 どうも砂登季の考えている方向とは別なところへいってしまいそうだ。
「あの・・・。つまり、人間に技術を教えるために神々は地上界に来ているのですか。」
「おお、そうだそうだ。すまんすまん、ついつい抜け者にしてしまって。」
「いえいえ。」
 どうも砂登季が考えていた神とは印象が違っていた。もっと神々とは人間に冷たく、規則正しく、常に自分自身の行動に自信と責任を持っているものだと考え ていた。しかし、目の前にいる神々はどうだ。人間とにこやかに接し、人間の指摘にぺこぺこ笑いながら頭を下げている。酒も入っていないのに。
「どうやら、未来の神とは我々とは違うもののようですな。」
 年を取った神が、砂登季の不思議そうな顔に対して言った。
「説明するに及ばぬ。お前がそんな怪訝そうな顔をしているところから、時代と共に神の姿が分かっているのは分かる。」
「ええ。私が想像していた神とはずいぶん違うものです。」
「そうか。と・・・すると、やはり人間には恐怖の感情だけはしっかりと伝えているのかな?」
 突然その神が奇妙なことを言い出したので、砂登季の顔がさらに変化していく。
「砂登季、気になるだろう? 夜、奥にある神殿に行けば我々を率いるこの神が教えてくれるぞ。」
 それだけ言って、年を取った神は周りの神との会話に加わってしまった。砂登季は完全に一人きりであり、時々聞かれる質問にぽつりぽつりと答えるだけで あった。

 日が暮れると、神々は夜の勤めに出かけていった。砂登季はある若い神と二人きりになってしまった。その神は、奥にある神殿へと砂登季を連れて行った。
「私の名前は、雲英伸大仁命。名前を呼ぶ時は大仁命でかまわない。」
「は、はぁ・・・。」
 砂登季は時津砂天の行方が気になってしょうがない。
「時津砂天が気になるのだな。顔に書いなくても、だいたい分かる。そう焦るな。順を追って話をするから。」
 大仁命は座布団を砂登季に差し出した。彼はその上に座って、改めて神殿を見渡した。さきほど神々と談笑した部屋と比べて非常に質素というか、本当になに も置かれていない。あるのは、外を眺めるためにくりぬかれた屋根と、近くにある鏡と、二人が座る座布団だけ。
「この窓は日の出から、正午まで太陽が見られる。月も見られるのだが・・・。」
 さすがは神と砂登季は思ったが、こうも考えていることを当てられると君が悪くなってきた。
「どうして、そのように私の考えることが分かるのですか?」
「きょろきょろしている人間が、一時的に目を止めたものに関する説明をしただけだ。そのくらいは、普通の人間でも注意して観察すればわかる。」
「・・・。」
 砂登季はそれ以上何も言わずに、鏡を見た。
「その鏡は、邪なものを退けるために使っている。鏡とは霊力を込めなくても、その力を持っている。」
「しかし、質素な神殿ですね。」
 大仁命は笑いながら周りを見た。
「無いからいいのだ。精神を統一するにはこれが一番よい。さて、本題に移ろうか・・・。」
 砂登季は身を乗り出した。
「時津砂天は、ここから東の方角にある国で人間に技術を教えていた。しかし・・・。」
「しかし?」
「いや、しかしではない。これはあの神だけでに限ったことではない。それでだ・・・。」
 どうも話が進まない。
「そして人間は神々の行うことが全て正しいと思い始めていたのだ。そして、神々は尊敬されて浮かれてしまった。そうなると、人間に限らずよけいな支配欲が 生まれてくる。」
「支配欲?」
「砂登季は先ほどの嵐を見ただろう? あの嵐から何を見た?」
 砂登季は神々と出会う直前に見た、猛烈な嵐を思い起こした。
「そういえば・・・、あの嵐には何者かの霊力を感じました。何となく風神のそれとは違うような気がして奇妙だとは思いましたけど。」
「よい線をいっている。あの嵐の正体は、どこかの神だ。正確に言うと、人間の尊敬に浮かれた風神以外の神だ。」
 砂登季はもう一度あの嵐を思い起こした。
「支配欲が出ると、人間が失敗したり、無知のためにうまくいかない姿を見るとイライラして手を挙げてしまうのだ。しかし、人間たちは自分たちが全て悪いと 考えてしまいひたすら謝るのだ。重ね重ね言うが、我々は人間に技術を教えるためにこちらへ来ている。技術を教える時に、人間をしかることがあっても、それ は発展させるためにしかるのであって、人間に恐怖だけを植え付けるのでは意味がない。」
「確かに・・・。」
 怒りに満ちた大仁命の声には説得力があった。大仁命は怒っていてもここまで言うと、しばらく黙り砂登季に冷静に考えさせる時間を与えた。
「神は怒っても、それに明確な理由がなければだめだ。最近、人間の前でただ暴れている神が多いらしい。そして、お前が探している時津砂天もその一人だ。」
「・・・。」
 昔から人間をもてあそんでいたと考えると、砂登季にも怒りが湧いてきた。しかし、圧倒的な霊力の差というものが彼の頭をちらつき、士気がなかなか高まら ない。
「そして時津砂天は、地上界で暴れている神々の中でもかなりの実力のある神だ。おそらく、我々が束になってもかなう神ではない・・・。」
「そ・・・そんな。神とはそれほど霊力に差があるものですか!?」
 自分よりも高い霊力を持つ人間が悔しそうに言うのを見て、砂登季は奈落の底へ突き落とされるような気がした。
(か、勝てない・・・。また負けるのか・・・?)
「霊力の差とは、鍛えることで埋められる。もうもうと怒り人間を傷つける神には成長がないが、我々には成長する余地がある。そのために我々も常に霊力を高 める訓練をしている。いつこの国にそのような愚かな神が侵入しても追い払えるように・・・。」
「その訓練とはどのようなものですか?」
 大仁命は細い目で砂登季を見た。彼の言葉に何かを感じたらしい。
「砂登季、その様子だとお前はあの神と戦おうと思っているだろう。お前には勝てない。あと十年訓練すれば、望みはあるが。」
「是非、その方法を教えてください!」
 砂登季は頭を下げた。
「いいだろう。ただし、条件がある。我々の任務の手伝いをしながら、霊力を高める訓練をしろ。寝床と食事はこちらが出す・・・。」
「ありがとうございます。」
 大仁命はくりぬかれた屋根の下で印を組んだ。彼の体が光り、一匹の鳳凰に変化した。
「国の見回りをしてくる。我らが治める国には十を超える集落があるから、人手が足りぬのだ!!」
 鳳凰はそう言って空高く舞い上がった。砂登季はしばらく空を見ていたが、することもないので神殿の外に出た。

 砂登季が外へ出ると、神が現れ寝室へ案内した。砂登季はそこで安心して眠った。
「砂登季、朝だ。」
「おはようございます。」
 鎧を着たまま眠っていた砂登季は、布団をどけて立ち上がった。
「私は須磨彦命。お前は私と組んで人間を指導する。」
 須磨彦命はそう言って、彼に服を差し出した。白い生地と、奇妙な首飾りを受け取った砂登季はしばらく呆然としていた。
「その服装は人間を率いていくものではない。お前の姿は人間に暴れる神々のことを思い起こさせるものである。さあ、その服を着て朝食を取るぞ。その前に、 布団をしまえ。」
 一度に色々と指示をしてくる神である。砂登季は布団をしまい、鎧を脱いで服を着た。見た目は他の神々と代わりがない。
「ところで私は人間です。この様な恰好をしたら人間をだますことになりませんか?」
「神と同じく霊力を持った人間として紹介すれば問題ない・・・はずだ。」
「・・・。」
 須磨彦命はそそくさと食堂へ移動してしまった。砂登季はあわてて彼を追いかけた。
「おお、砂登季。神そっくりだな。」
 先に食事を取っていた大仁命が笑いながら声をかけた。
「おはようございます。そうですか、そっくりですか。」
「ああ。」
 食事中に砂登季は食材を運んだり、食事を盛りつけている人間の姿を見た。
「人間を雇っているのか?」
「そんなところだ。こうして集落ごとに協力していくことを教えているのだ。」
 須磨彦命はそう言いながら魚を食べている。骨までも。ずいぶんとおおざっぱで豪快な神だと砂登季は感心した。
「そんな目で見るな。神も人間もかなり似ているのだ。お前が考えるよりも高い存在ではない。」
 須磨彦命は照れながらそう言い、次の皿へと手を伸ばした。

 食事は何事もなく終わり、後かたづけは朝食を作った神々が担当している。砂登季と須磨彦命は昨日嵐にあった集落へ行くことになった。彼ら以外にあの集落 を直接担当する地蜘蛛神が数名着いてきた。
「すると、あなた方は大仁命の髪から生まれたのですか!?」
「そうだよ。髪からだ。大仁命が国を治めるために率いた神は四十人。それだけではとても数が足りず、様々なものから神を化生させて今に至る。」
「そんな簡単に生まれるものなのですか、神というのは。」
「私には無理だが、霊力が高い神だと体の部位だけではなく家具や武器などからも化生させることができる。お前の霊力は大仁命と同じくらいだから、うまくや ると神を化生させることができるかもな。」
 地蜘蛛神の誕生の話を聞かされ砂登季は驚いていた。そんな会話をしている間に礼の集落に到着した。
「しばらくすると村人が来る。まずはがれきを取り除かねばならないから、そのための道具を用意するぞ。」
 須磨彦命がそう言うと、地蜘蛛神が元気よく返事をした。砂登季もとりあえず返事をする。
「砂登季は初めてだから、近くの小川から水をくんでこい。疲れたやつが飲めるように。」
 そう言って須磨彦命は近くのがれきに霊波を浴びせた。がれきはみるみるうちに削り取られ、大きな瓶の形になった。その光景に砂登季は唖然としていた。再 び霊力の差を見せつけられたのだ。
「はいはい。分かりました。」
(どうも神と接している感じがしない。まるで利久道や沖東山殿のようだ。)
 砂登季が水をくんで戻ってくると、村人と神々が協力してがれきを取り除いていた。神は霊力をほとんど使わず、できる限り肉体労働だけで仕事をこなしてい た。
 砂登季は瓶を置き、小さな木片を集め始めた。昼頃になると、がれきは全て取り除かれ、何もない平地が広がった。神殿から運ばれてきた差し入れを食べなが ら、須磨彦命は村の長老と建物を建てる位置について話し合っている。
「なるほど、確かにこの配置にすれば往来もいいし、日が当たらない家もなくなる。」
「そうじゃろそうじゃろ。前回は良介の家に日があまり当たらずもめてな。」
「ふーん。日の当たるところまでは頭が回らなかったからな。よしっ、食事を取ったら家を造るぞ。」
 須磨彦命は人間の意見を最大限くみ取るように努力をしている。彼は決して人間の発言に怒ることなく、友人のように接している。そして、人間も神を恐れる ことなく、まるで知り合いのような接し方だ。
「人間がなれなれしく接してくるのに、怒りを覚えないのか?」
 話をし終わった須磨彦命へ砂登季が近づいて聞いた。
「いや、全く。そもそも人が神を恐れないように技術を伝えるというのが大仁の方針だからな。」
「大仁・・・?」
「大仁命のことだよ。神々の間では普通は”命”をつけて呼ばないことの方が多いのだ。」
「ほお。では、天や神も省く時があるのか?」
「ない! 天や神と名が付く神は、天上界でもかなり高い地位にある神々だ。彼らを呼ぶ場合には略称を用いても、天や神を省くことはしない。」
「やはり天上界や神々というものは、私の考えるように厳しいではないか。」
 須磨彦命は言葉に詰まった。
「いや・・・。これは礼儀作法のようなもので、厳しいなどと言う言葉で片づける問題ではない。」
「そうか。」
 砂登季はそれだけ言って立ち上がった。村人たちの食事が終わりつつあり、そろそろ家を建てる準備をしなければならない。

 夕方になって砂登季は神殿に戻ってきた。神殿の縁側に腰をかけてため息をついた。思えば今日一日はかなり体を使った。木材を石や鉄製の斧で切り、それを 山から運ぶ。そして、やはり石や鉄製の道具を使って削り、柱にしていくのだ。人間にあわせて霊力を全く使わずに作業するのは、かなり体にこたえた。
「砂登季、休む暇はないぞ。霊力を鍛えなくては・・・!」
 見ると大仁命が立っていた。彼の服も真っ黒に汚れている。
「はい。」
 二人は滝へ向かった。非常に巨大な滝で、五階建てのビルがすっぽりと入るくらいあるだろう。滝壺付近には数名の神々が座り、滝に打たれている。
「あのように滝に打たれながら祈り、精神を集中させるのだ。」
「そんなことをするのか?」
「ああ。」
 こんなことをして霊力が高まるとは砂登季には思えなかった。毎日毎日、力つきるまで霊力を発揮し続けた方が効果的だと考えている砂登季には、滝に打たれ て精神を集中させるのは、霊力とは無関係に思えた。強いて言うのならば、霊力を効率よく発揮できる程度だろう。
「・・・。」
 砂登季は滝に打たれて、ぼーっと山並みを見つめていた。痛いことは確かだが、深刻な痛みではない。水音以外は全く聞こえないために、何が起きているのか は視覚が頼りである。山を見るのも飽き、砂登季は他の神々を見た。彼らは禅を組み、何かをぶつぶつとつぶやいている。いくら聞き取ろうとしても、水音が大 きすぎて全く分からないので、唇の動きを凝視することにした。
「・・・?」
 世に言う呪言のために、砂登季にとってはただの暗号であった。砂登季の視線に気づいたのか、大仁命が彼の方を見てきた。
(呪言だ。呪言を唱えれば、精神が集中できると己の体に暗示をかけているのだ。)
(暗示を?)
(そうだ。そうやって心を騙すことで、効率よく霊力を発揮できるようになる。)
 二人は霊波で語り合っている。
(それと霊力の上昇と何の関係があるのだ?)
(さあな。しかし、昔から霊力を鍛えるにはこの方法が一番らしい。)
(・・・。)
 本当に根拠があるのか砂登季は心配になってきた。彼は目をつぶり、周囲に霊気を漂わせ始めた。周囲に充ち満ちた霊気が一瞬にして爆発したと思った瞬間、 滝の流れが止まった。せき止めたわけではない。滝の上の川の流れまでもが止まったのだ。
「砂登季! これは?」
 突然の出来事で、神々が砂登季を見つめる。神々を無視して砂登季は目をつぶって何かを行おうとしている。川の流れを止めている霊気以外に、全く別の霊気 が砂登季から流れ出てきた。
 大きな地響きと共に、波紋一つ無い水面に一人の神が現れた。
「川の流れを止めてまでして私を呼ぶのは誰か?」
 もうかなりの年で、顔はしわだらけで、ひげが腰まで伸びた神は、見た目に似合わないほど若々しい声で問いかけてきた。
「私です。」
 川をせき止めるとにかなりの体力を使うのか、砂登季は苦しそうに立ち上がった。
「ほお。この滝を止めて、なおかつ立ち上がりしゃべるとは。かなりの霊力の持ち主のようだ。」
 実際にそうである。普通の霊力者ならば、全神経を流れを止めることに注がなければ不可能である。
「あなたはこの滝を守る神。滝に打たれることで霊力が高まるというのは、どのような理由からか教えていただけないでしょうか?」
「そのようなことのために、わざわざ川を止めたのか。おもしろい。」
 年老いた神はおもしろそうに砂登季の方へ歩み寄ってきた。神が手をかざすと、滝の上からぽたりぽたりと水滴が垂れてきた。神は再び水を流そうとしている のだ。
(ふふふふふ、霊力者よ。どこまで耐えきれるかな?)
 神の霊波が砂登季に流れてくる。砂登季は慌てて霊力を高め始めた。滝の周りには、次元をゆがめてしまうような強烈な霊気が衝突している。
 はじめは互角の戦いであったが、次第に砂登季が圧倒されてきた。上からは細い滝が何本も流れてきた。
(何か妙案はないか?)
 頭に滝を受けながら砂登季は考えた。彼は川下に手を向け、霊波を放った。すると、海からの水が巨大なヘビのように流れ込んできた。その勢いはすさまじ く、年老いた滝の神を、滝の上まで巻き上げてしまった。神は水に飲み込まれた瞬間、鯉に化け滝の頂上で龍へと変わった。
 龍は空中で弧を描き、川を正常な流れへと変えてしまった。しかし、砂登季の周囲だけは全く水が流れていなかった。
「はっはっは、おもしろいことを考えつく。私もそこまでは考えつかなかった。」
 龍は砂登季の前で豪快に笑った。
「答えを教えてやろう。滝に打たれている間、お前はずっと先ほどのように川の流れをせき止めるために戦っているのだよ。」
「何!?」
「無意識にだ。体の周りだけでも滝の流れが止まるようにとな・・・。非常にゆっくりと霊力を使っているのだ・・・。」
 龍はゆっくりと水の中へ潜っていく。砂登季も滝壺に潜り後を追おうとしたが、もうどこにもいなかった。
「砂登季、お前は本当にとんでもないことをするな・・・。確かに我々は理由を知らずに訓練してきたが、理由など知りたいとは思わなかった。仮に知りたいと 思ったら、天上界にいる知識のある神に聞くつもりだった。」
「ああ、まさか滝守神を呼び出して問いただすとは・・・。」
 神々が驚きそれぞれに意見を述べてくるが、砂登季は苦笑いをしたままである。
「・・・、砂登季、お前の霊力高まっているぞ・・・。」
 突然、須磨彦命が叫んだ。砂登季は自分の体を見渡したが、当然何の変化もない。それに、霊力が高まったという自覚もなかった。
「信じられぬ。この程度の訓練でこれほど霊力が上昇するとは人間では考えられないことだ。」
 須磨彦命はまじまじと砂登季を見つめている。
「神とてこれほど上昇することはない・・・。お前は一体何者なのだ?」
 この問いには砂登季自身も答えられなかった。何しろ自分がいつ、どこで生まれ、どのように育ったという記憶が無いのだ。
「まあよい。もう夜も更ける、そろそろ食事の時間だろう。」
 緊迫した空気をなんとかしようと、大仁命が皆に言った。神々もどうしたものかと困り果てていた状態であったので、皆大急ぎで変える準備を始めた。

 食後、砂登季は一番奥の神殿に案内された。
「大仁命、今回はどのような理由で私を招いたのですか?」
「ふふふふふ。そう深く考えるな。」
 二人は無言で座布団に座った。空は曇っており、星が見えないためか部屋の中は暗い。大仁命は人差し指を立てて光の玉を作り、部屋の上に浮かべた。
「今回招いた理由はただ一つ。砂登季、お前は何者だ?」
 大仁命の顔は非常に険しいものだった。
「・・・。何者と言われましても、説明しかねますね。」
「ならば、過去に特別な訓練を積んだ経験は?」
「全くないです。気づけば霊力が使えるようになっており、過去へ過去へと・・・。」
 以前聞いた内容のために、大仁命はため息をついた。
「幼少の思い出はないのか? お前が子どもの頃の・・・。」
「子ども・・・。」
 砂登季は空を見た。彼の記憶は、ある時点からぷっつりと消えている。いくら思い出そうとしても、空に浮かび光を遮っている雲があるのか何も出てこない。
「あいにく、私はある時点より昔の記憶がありません。」
「記憶がないだと? それは、何かありそうだ。」
 大仁命はにやりと笑い、砂登季に顔を近づけた。
「砂登季、目をつぶって心を落ち着けろ。私が術をかけてお前の過去を探ってみせる。」
「はあ・・・。」
「安心しろ、お前は我々にとっても大切な力だ。殺しはせんよ。」
 砂登季は目をつぶり、心を落ち着けようとした。まぶたの向こうで大仁命が禅を組み、呪言を唱えているのが分かった。
(そういえば、禅は仏教だったような・・・。なぜ神が・・・?)
 霊力を使うためというのではなく、ただ心を落ち着けようとするのは意外に難しいらしく、砂登季の頭にすぐ邪念が浮かんできた。こういう時の邪念というの は意外と気になるものである。
「砂登季、もう少し心を落ち着けて素直に術にかかってくれ・・・。」
 困ったように大仁命が言う。砂登季が邪念を捨てるために息を吐いた瞬間、急に地面が崩れたような感覚が襲い、彼は意識を失った。
「かかったか・・・。」
 大仁命は彼の過去を淡々と調べ始めた。時には吐き気を催すようなむごい光景も見ながら、砂登季の過去をたどっていった。しかし、あの未来の町で若者と肩 が触れる前の記憶はいくら努力しても引き出せなかった。まるで、彼はその時に生まれたかのようである。
「・・・。」
 ぼんやりとしたまま砂登季は目を開けた。大仁命の困り果てた顔が次第にはっきりと見えてきた。
「過去が見えましたか?」
「いや。ある場面より以前のものは見えなかった。まさか、もともとそれ以前には生を受けていないとか・・・。うーむ、分からぬ。」
「まあまあ、所詮私のことですのでそれほど気になさることもないでしょう。私が過去へ移動し続けて、行き着くところまで行けば何か分かるかもしれませ ん。」
「行き着くところまで行けば・・・か。それもそうだな。」
 砂登季はいとまを告げて立ち上がった。彼が神殿の出入り口にさしかかった時に、大仁命が呼びかけてきた。
「忘れるところであった。お前のような人間の霊力者が近くにいるらしい。」
「人間の霊力者が?」
「ああ、今日の昼に風の便りで聞いてな。名前は・・・、室井とか言ったな・・・。まあ、気にするな。」
「室井・・・。分かりました。それではこれで失礼します。」

 砂登季は自分の寝室へ戻った。一番奥にある神殿を出てから、彼の頭の中で室井という言葉が鳴り響いている。
「阿波山室井・・・か?」
 大仁命はどこにいるということを教えてくれなかった。砂登季は霊体を飛ばそうかとも考えたが、場所も分からないし今日の作業で疲れていたので寝ることに した。この時代、人間の霊力者が珍しい存在らしいので、いずれは正確な情報が伝わってくるだろう。
 そう考えると急に心が安心し、砂登季は深い眠りに落ちてしまった。
「おいおい、砂登季。戸くらい閉めて寝たらどうだ? 動物に部屋を荒らされたら片づけが面倒くさいぞ。」
 須磨彦命が砂登季をつつきながら言った。砂登季は大きなあくびをして立ち上がった。まだ日が昇っておらずずいぶんと暗い。
「まだ夜ではないか・・・。」
 須磨彦命の忠告を無視して、砂登季は抗議した。
「日が昇る前に起きて、日の出を拝む。それから一日の生活を始めるのだ。神の生き方だよ。」
「はあ・・・。しかし私は人間ですよ。」
「いいから起きて日を拝め。目が覚めるぞ!!」
「いや、もう目は覚めています。」
「・・・。」
 ムッとした顔で須磨彦命はどこかへ行ってしまった。砂登季は布団をしまい、部屋から出てみた。木が生えておらず遠くまで見通せる場所に神々が集まってい る。須磨彦命に悪いことをしたような気がしたので、砂登季もその中へ加わった。
「おっ、そろそろ日が昇るぞ。」
 先ほどのことをもう忘れたのか、須磨彦命がうれしそうに声をかけてきた。
「あの、拝むって何をすればいいのですか?」
「何でもいいから呪言を唱えていろ。面倒ならば、目をつぶって手を合わせていろ。」
 そう言って、須磨彦命が手を合わせ片目だけつむってみせた。
「なるほど・・・。」
 山の山頂が急に輝きだし、何本もの光が吹き出した。急に神々の口から呪言が聞こえ、にぎやかになった。その呪言は皆が同時に同じものを唱えており、えも いわれぬ迫力を持っていた。呪言を知らない砂登季は、仕方がないので目をつぶり手を合わせた。
 しばらくして聞こえていた呪言がぷつりと終わった。
「さあ、今日も一日気を引き締めていこうぞ。」
 大仁命の声が響き、神々が元気よく返事をする。どの顔も昨日の疲れは一切無く、目が輝いている。

 その日も砂登季は家を建てるべく汗を流していた。作業は意外と早く進み、昼までに半分ほど建て終わっていた。
「砂登季! どこだ?」
 すーっと一人の女神が村に現れた。昼食を取っていた村人が女神に対して頭を下げる。女神はしばらくきょろきょろしていたが、近寄ってくる砂登季を見つ け、自らも歩み寄ってきた。
「砂登季、神殿で大仁が呼んでいる。どうやら会わせたい者がいるようだ。」
「それは一体誰ですか?」
「私も分からない。とにかく、来るのだ。」
「はい。」
 女神がふわりと宙に浮き、山の中へ消えていく。砂登季も遅れぬように宙に浮き、後に続いた。その光景を見ていた村人が驚いている。
「須磨彦命様、やはり砂登季という人間はただものではございませんね。」
「うむ。ただ者ではないな。」
 須磨彦命はそれ以上、砂登季について語ろうとはしなかった。彼自身、砂登季のことはよく分かっていないためだ。

「砂登季、来たか。さあ、こっちへ。」
 大仁命は砂登季をある部屋へ案内した。部屋には白衣を着た神が、布団に入っている人間を心配そうに見つめている。
「この男は?」
 砂登季は布団に入っている男を近くで見た。
「・・・!」
「お前が過去で会った阿波山室井だ。私が昨日、お前に話した室井という霊力者はおそらくこの男だろう。」
「そんな・・・、まさか!?」
 目の前の男は阿波山とは似てもにつかぬ顔をしていた。しかし、彼から漂う霊気は間違いなく阿波山のそれであった。砂登季は自分が他人の体に乗り移ったこ とを思い出した。
(まさか、阿波山も・・・。)
 自分以外にも過去へさかのぼっている人間がいないと断定できる訳ではないが、そんなことはあり得ないと信じていたからだ。
「砂登季、この男のことは何か知っているか・・・?」
「いいえ。全く。聖徳太子に使えていたことしか知りません。」
「そうか・・・。この男、なかなかの霊力者で私が過去を調べようとしても術にかからぬ。これは奇妙な男を助けてしまったなぁ。」
 大仁命が笑っている。
「ところで、室井はどうしてこんな状態なのですか?」
 砂登季の質問には、看護をしている神が答えてきた。
「詳しいことは知らないが、大仁が山で倒れているのを見つけて連れてきたのだ。胸に細かい傷が大量にあって、出血がひどかったが命には別状はない。」
「胸に細かい傷?」
「ああ。どうも霊力による攻撃のようだ。おそらく、暴れている神と山でばったり出くわし、やられてしまったのだろう。」
 神はそう言ってあごをかいた。それから、室井の額に乗っている布を取り替えた。
「そうですか。」
「これは詳しく事情を聞く必要があるな・・・。」
 大仁命がつぶやいた。室井の霊力は砂登季よりも高いが、大仁命ほど高いわけではない。仮に室井が暴れても、大仁命一人で何とかなってしまう。
「私も気になります。その時は是非同席させてください。」
 砂登季が頭を下げるのを見て、大仁命が笑った。
「嫌でも参加させるつもりだったがな。話はこれだけだ。砂登季、村へ戻れ。私も行くところがあるから。」
「しかし、室井はどうするのですか?」
「安心しろ。そこにいる医菩釜蓮命の霊力を見ろ。」
 砂登季は看護する神を再び見た。大仁命に負けない霊力の持ち主であった。砂登季はそれを確認すると、頭を下げて村へ戻っていった。大仁命も釜蓮命に二三 の指示を与えてから姿を消してしまった。

「安心しろ、我々はお前を傷つける気はない。」
 夜になり、大仁命、釜蓮命、そして砂登季は一番奥の神殿で室井と話をしていた。室井は警戒しているためか全く話そうとしない。
「阿波山殿・・・いや、室井さん。話してくださいよ。」
 説得しても室井は全く口を開かないために、砂登季も呼びかけた。室井はかつて会った砂登季ということは分かると逆に警戒してしまった。
「室井、どうせ神に襲われて倒れていたのだろう。」
 釜蓮命の声に室井の眉がぴくりと動く。どうやら図星らしいが、本人の口からではないので何とも言えない。
「考えて見ろ、我々はお前を看病したのだ。お前を襲った神と同種ならば、倒れているところを襲い、とどめをさすではないか?」
「どうだ? 室井。我々を信じてくれまいか?」
 大仁命も優しく声をかける。
「考えてみてください。あなたが地上に来た時から、様々な神があなたを見ていたのですよ。あなたがこの近くにいるということは、昨日の夜から分かっていま した。」
 警戒されていると分かっていたが、砂登季は話し始めた。
「もし全ての神が、暴れている神ならばあなたが地上に降り立った瞬間、そこの森の神や木の神が襲ってくるはず。それなのに、あなたが襲われたのは今日の昼 前だ。どうか、大仁命と釜蓮命の言葉を信じてください。」
 室井は返事しなかった。沈黙がしばらく続く。
「いいだろう。話そう。」
 室井はきっと砂登季の顔を見た。
「しかし、目の前に控える神々は俺が倒れていた理由は見当が付いているはず。わざわざ口にすることもないだろう。」
「そうですね。しかし、私が知りたいのはもっと別のことです。」
 大仁命が淡々と答えてきた。
「あなたの過去ですよ。何の目的でここへ来たのですか?」
「何!? 砂登季、お前しゃべったのか?」
「いいえ。大仁命が私の過去を調べようとして術にかけたそうです。聖徳太子と出会った記憶を引き出して、あなたのことを知ったのですよ。」
 その言葉で室井の顔が赤くなり、わなわなと震えだした。えもいわれぬ殺気の混じった霊気があたりに漂い始めた。
「むざむざと神の術中にはまるとは・・・。一目置ける霊力者とは思ったが、砂登季! 見損なったぞ!!」
 痛みも忘れて室井は立ち上がった。しかし、すぐに体を押さえその場にしゃがみ込んだ。
「無理をするな室井。それに、砂登季とは合意の上で術にかけた。」
「何!? いったい何が目的だ!?」
 体を支えている釜蓮命を振り払って、室井は大仁命に飛びかかろうとした。しかし、痛みのために一歩進んだ瞬間、倒れてしまった。
「無理をするなと言っただろう。別にお前に興味があって砂登季に術をかけたのではない。ある時点より昔の記憶が無く、ひたすら時間をさかのぼる霊力者に興 味を持っただけだ。」
 ふっと大仁命は笑った。
「そんなに知られたくない過去があるのならば、それ以上砂登季につきまとわない方がいいぞ。ひょんなことで、とてつもないことを思い出すかもしれな い・・・。」
「くっ・・・。そうか、砂登季・・・。お前はまだだったな・・・。」
「まだ・・・?」
 勝利の喜びに浸っているような笑顔で室井は言ったが、すぐに気絶してしまった。
「この傷で暴れ回ろうとは無理のしすぎですぞ。さて、大仁。どうしますか?」
「このけがならば当分動けないのだな?」
「はい。」
「ならばいい。じっくりと聞き出すか。砂登季を追って来たわけをな。」
「それでは、室井を部屋に戻してきます。お休みなさい。」
 釜蓮命は室井を担いで神殿から出ていった。砂登季も帰ろうと思い、立ち上がったが大仁命から鋭い声が響いた。
「砂登季、まあ待て。」
 仕方がないので砂登季は座った。
「お前、室井とは一度しか会っていないよな?」
「ええ。」
「確かだろうな?」
「あなたは私の知っている過去を全て見たのでしょう? それならばこれ以上追求する意味は・・・。」
「・・・、それもそうだ。すると妙だぞ・・・。」
 大仁命は首をひねり空を見た。しばらく考えた彼は砂登季をちらっと見てから口を開いた。
「まず、あの男が妙に過去を知られることを経過していること。そして、最後に言った”まだ”・・・だ。」
「そういえばそうですね。私が室井さんと会ったのは二日間だけ。重大な秘密など知る余裕はなかったはずなのに・・・。」
「正確には二十四時間、一日だろう。そんな細かいことはよしとして、あいつは何をおそれているのだ?」
 二人ともうなってしまった。砂登季は必死で過去を掘り返したが、室井が奇妙な動きをしていない。ただ・・・
「そういえば、私が彼と初めてあった時、室井さんは私を知っていましたね。」
「おお、そういえばそうだ。」
 大仁命が手を叩く。
「あの時代に降りたってすぐのお前に、”過去をよく知っていますよ”とか言っていたな。すると、それ以前に会っていてもおかしくはないぞ・・・。」
 それからの会話が続かない。砂登季はそれ以前に室井に会っていないのだ。
「そういえば、”まだ”って言っていましたね。あれは何でしょうか?」
「おいおい、人ごとのように言うな。お前の話だぞ・・・。」
 砂登季は頭をかいた。
「”まだ”ねぇ・・・。室井の過去を知らないから、あの男が何かを越えたという話は知らないし。奇妙な男だ。」
「取り付く島なしですね。ところで大仁命、室井さんはどうして過去に来たのでしょうか?」
「何かの理由があってお前を追っていると私は考えているが・・・。」
「やはりそうでしょうか。しかし、肉体を変えてまで追ってくるとは・・・。」
 砂登季のこの言葉に、大仁命の目が点になった。
「しまった! 失念していた。お前の言うとおり、あいつは肉体を変えている。そうすると、あいつは一度死んでから、天上界にも地獄界にも行かず、宙界を過 去へ移動しここに来ていることになる。」
「まさか、私と同じく否応なく過去へさかのぼっているのでしょうか?」
「考慮する余地はあるな。その仮説と、あいつの”まだ”という言葉からして、お前に関する何か重大な秘密を知っているかもしれない。」
「すごい推理力ですね。」
 砂登季がうれしそうに手を叩く。その姿を見て、大仁命はため息をつく。
「だから、人ごとのように言うな・・・。」
「夜も更けたし、今日はここでおいとまさせていただきます。」
 この機を逃すまじと砂登季は素早く出ていった。大仁命が顔を上げた時には、砂登季は神殿の外に出ていた。
「室井といい砂登季といい奇妙な人間が来てしまった・・・。」
 大仁命は座布団を片づけ、神殿から出ていった。

 今日はちゃんと閉められていた戸が音もなく開いた。黒い影がゆっくりと中に入り扉を閉めた。影は無防備な状態で眠っている砂登季の顔を見て、にやりと 笑った。それから、手をかざし周囲に結界を作った。
「むっ?」
 砂登季が目を開けると、月明かりに照らされた室井の顔が浮かんだ。
「くっくっく。砂登季、安心しろ。」
「何を安心すればいいのだ!?」
「・・・。ふぅ、霊力とは便利なものだ。傷はふさがり、もう体はいつも通り動く。おっと、霊力者のお前に話しても意味がないな。」
 室井は再び笑った。笑ったと言っても、声を出さず肩をふるわせるだけである。
「何のようだ?」
「お前におもしろい話を伝えてやるよ。俺を倒した神の名を知りたくないか?」
 突然の展開に砂登季は少し考えた。
「この時代、私や室井さんよりも霊力の高い神はごまんといる。そのような神の名前を聞いて一体何の意味があるのだ?」
「あるさ・・・。大いにな。」
 室井は砂登季の耳に口を近づけ、小声で何かを言った。
「まさか!? そんなこと?」
「信じる信じないは別だ。もし、あいつでなければもう少し全線はできたはずだ。じゃあな、阿臥命との戦いで生き延びて運がいいとは思っていたが、その運も どこまで続くか・・・。父母の思いをくむとすれば、邪念は捨てた方がいいぞ。ま、それは俺にも言えるが・・・。」
 室井は結界を解き、部屋から出ようとした。
「どこへ行く!?」
「敵討ちさ。むろん、霊力を高めてからだが・・・。」
「それならば、ここで私と一緒にやればいいではないか!」
「馬鹿言うな。隣に刺客がいる場所でのんきに暮らすほど器用ではない!!」
 それだけ言って室井はどこかへ行ってしまった。砂登季は立ち上がろうとしたが、室井の術にはまり、足だけがしびれていた。室井の姿が完全に見えなくなっ た時、足のしびれが収まり、砂登季は部屋から出た。
「時津砂天・・・。この近くにいるのか?」
(時津砂天と出会い話しかけようとしたら、問答無用で攻撃してきた。なに、太子様に五十年以上仕えた身だ。霊気で分かる。)
 室井が耳元でささやいた言葉がよみがえってきた。砂登季は扉を閉めて眠ることにした。室井を探し、これ以上何かを聞き出そうとしても、彼は口を割らない だろう。

 日の出前に、砂登季の部屋に大仁命が駆け込んできた。
「起きろ。室井が逃げた。」
「ん・・・ん?」
 目をこすりながら砂登季は起きあがった。夜中に起きた出来事がゆっくりと浮かび上がると、目の前で興奮している大仁命の顔もくっきりと見えてきた。
「ああ。そうでしょう。夜中に挨拶に来ましたから。」
「何だと? では、何か言っていたか?」
「いいえ。ただ、彼を倒したのは時津砂天だと・・・。」
「そうか。と、なれば考えられるのは復讐か・・・。」
「そうでしょうね。しばらくは霊力を高めるために訓練し、それから挑むと言っていました。」
「・・・。」
 大仁命は考え込んでいる。眉間にしわを寄せたまま、祈りのために集まる神々の中へ入っていった。そんな姿を奇妙に思いつつ、砂登季は布団をしまった。
(今の時津砂天は室井さんを知らないから、攻撃してきてもおかしくはないが・・・。現在の時津砂天を知らない彼とすれば、かなりの衝撃だったかもしれな い。)
 部屋から出た時に、須磨彦命が砂登季を起こしにやってきた。もう起きている砂登季を見て感心しながら、須磨彦命は挨拶すらせずに神々のいる方へ歩いて いってしまった。

 それから二週間ほどは何事もなくすぎていった。神による襲撃などの災害もなく、平和な日々が続いた。どの集落の人間も砂登季の顔を覚え、彼自身も今の生 活になじんでいた。室井の情報は全く入ってこなかったが、人間の霊力者がどこかの国にいる噂がぽつぽつと届いた。砂登季は夜な夜な霊体を飛ばしたが、その 姿を見つけることはできなかった。砂登季と室井の過去についても議論が交わされたが、全く結論は出そうになかった。
「砂登季、だいぶ生活にも慣れてきただろう?」
 滝に打たれた後、大仁命が声をかけた。
「ええ。」
「お前の顔からも分かるが、その霊力からも分かるぞ・・・。初めてあった時と比べると、見違えるほど霊力が高まっている。あと数日すれば、この神殿で勝て る神はいなくなるな・・・。」
 この神殿の中でもっとも実力のある大仁命は、成長を続ける砂登季を見て寂しそうに笑った。人間に神が負けるというのはやはり悔しいのだろうと砂登季は解 釈したが、何も言わなかった。
「俺などもう小指であしらわれそうだ。」
 いつも一緒に活動している須磨彦命も近寄ってきた。
「ところで砂登季、お前もいつかは時津砂天に挑むのか?」
「ええ。必ず・・・。」
 笑っていた砂登季の顔が急に曇り、目が怪しく輝いた。その異様な輝きに神々は驚いた。砂登季の目が輝いた瞬間、その体から妖魔のごとき霊気が漂い始めた のだ。それはまるで、今までの霊気に不純物が混じり始めたかのように・・・。
「そ、そういえば砂登季は以前、妖魔の霊力を吸収したよな。」
「ええ。」
 砂登季の過去を完全に知る大仁命が、須磨彦命に説明するかのように言った。二人の神は妙におびえている。
「ずいぶんと驚いている様子ですが、どうかしましたか?」
「はっはっは。妖魔というのはどうも苦手でな。」
 不安を吹き飛ばすかのように、須磨彦命が言った。
(妖魔・・・。天一月戦で天上界を跋扈したという・・・。)
 当時、その場にいなかったためか、須磨彦命や大仁命は語り続けられている妖魔に特別な恐怖を抱いているのかもしれない。むろん、自力で妖魔を倒した経験 のある砂登季には全く恐怖感はない。
「まあまあ、妖魔くらい過去の私にも倒せた代物ですよ。そんなものの霊力を吸い取っても、あまり役には立ちませんよ。」
 砂登季は笑った。
「そうかもしれませんが・・・、珍しい霊力を持っていることは確かです。神はどんなに努力しても妖魔から霊力を吸い取ることはできませんから。」
「そうですか・・・。」
「そ、そうだ。先ほどで、地蜘蛛神の一人から隣の国に時津砂天が現れたという話を聞いたよ。それを話そうとしてこの話題にしたのだが・・・。」
 須磨彦命が話し始めた。
「どうやら、やつが現れた村も荒らされたらしい。それで、村の長が小さな子どもを三人、生け贄に捧げたらしい。全く命を無駄にして、と怒ったがもう手遅れ だな。」
「生け贄・・・?」
「ああ。子どもたちを山の頂上に置き去りにしたそうだ。そのようなことをしても、時津砂天が気持ちを入れ替えるはずがない。あの神は体の芯まで破壊するこ としか頭にないからな。」
 悔しそうに須磨彦命はうつむいた。
「破壊することしか頭にない・・・か。天上界にいる神々はそれをとがめないのか?」
「無理だろう。あの神は滅多に天上界へ戻らないというから。」
「いや、天上界の神がとがめるために地上に来ることは無いのか?」
「まずないな。地上界の問題は、その時地上界にいる神が解決するというのが暗黙の了解となっている。」
「ほお・・・。」
 砂登季は素っ気ない返事をして、神殿へ戻っていった。しかし、彼の頭の中では様々な意見が渦巻いていた。
(宙界で会った時に攻撃してこなかったのは、そこにさらに実力のある神がいたと言うことだろうか? それともただの気まぐれで攻撃してこなかったの か・・・。)
(いずれにしろ、いつかは会えるだろう。その時までに、霊力を高めておかなければ・・・。)
「地上界の神々も、暴れる神を押さえ込もうと努力しているが、数が多いし、かなりの実力者がそろっておりなかなか進まないのだ。情けないと笑わずに、協力 してくれるとありがたい・・・。」
 大仁命の小さな声が、考え事をする砂登季の背中で反射した。砂登季は返事をしなかったが、その言葉はしっかりと胸に届いていた。
(かつての室井のようにここで一生を終えるのもいいかもしれない・・・。いざとなれば、肉体を乗り換えて・・・。)

「おい、上を見ろ!!」
 昨日、生け贄を捧げた村上空の雲行きが怪しくなった。雲は村の上で渦巻き、巨大な入道雲のようになっていく。その異様な光景を村人全員が見上げている 中、雲中から小さな黒点が現れた。それは次第に大きくなって、やがて形が分かる大きさとなった。その物体は速度を上げて、勢いよく地上に突き刺さった。立 ち上った土煙が消えると、徐々に村人が集まってきた。
「うわああっ!!」
 村人は目の前にある物体を見て悲鳴を上げた。
 肩から肘までと、腰から膝までの肉が無く骨が露出している。そして、頭の上部が切り取られ、脳が抜き取られている。目からは奇妙なキノコが生え、胸には 無数の虫が張り付き、肉体をむさぼっている。体は六本の杭が突き抜けている。そんな人間が三人、落ちてきたのだ。それは間違いなく昨日生け贄として送り出 した子どもたちである。
 彼らの親はあまりに無惨な姿にただただ泣いている。村の長も、自分の決定に間違いが無かったが頭を抱えて考え込んでいる。
「お前が村の長か?」
「いかにも。私がそうだ。」
「神に生け贄を出して、暴走を止めようとしても無駄だ。奴らの気がすみ、他へ移るまで耐えていれば何事もなく終わる・・・。貴重な子どもの命をこれ以上無 駄にするな!」
 村の長はムッとして声をかけた人物の顔を見た。まだ若い青年である。
「あなたは一体誰だ?」
「俺は室井というものだ。見た目は人間だが、神だよ。」
「か、神!! では、あなたが昨日の嵐を!?」
 村の長は慌てて土下座をした。その姿を見て村人が次々に村の長に続く。
「おいおい、やめてくれ。俺は嵐など起こしてはいない。とにかく顔を上げて、俺の話を聞いてくれ!!」
 村の長はゆっくりと顔を上げた。それを確認してから、室井は息を吸った。
「いいか、この世界には二種類の神がいる。ひとつは昨日嵐を起こした神のように、人間に害をなす神、そしてもう一つは、人間に様々な知識を与え、人間に害 をなさない神だ。人間に害をなす神の心を静めることは簡単ではない。少なくとも、生け贄などをではどうしようもない。」
「で、では一体どうすれば・・・?」
「先ほども言ったようにひたすら通り過ぎるのを待つのだ。我々のように人に害をなさない神が、暴れる神を抑えようとつとめているが、数が多くなかなか進ん でいない。将来的にはかならずあのような神は地上から排除してみせる。それまで耐えてくれ!!」
「わ、分かりました。室井様の言葉を片時も忘れません!!」
「ところで、昨日の嵐はどの方角へ行った?」
「あ、あちらです・・・。」
「ありがとう。」
 室井は村の長が指さす方向へと歩いていった。その姿を見て村人は頭を下げたり、手祖併せて祈ったりしている。完全に彼を神だと信じているらしい。
 室井は移動時間を短縮するためにふわりと宙に浮き、どこかへ消えてしまった。それを見た村人は驚き、室井は神であったと確信した。

 その日の朝、砂登季と須磨彦命はある集落へ移動していた。大仁命が治ている国のある村で昨日嵐があった。そして、その嵐が移動した方角を考え、次に襲わ れる集落を予想したのだ。
「着いたぞ! よかった、まだ襲われていないみたいだ。」
 先頭を行く須磨彦命の声が聞こえ、砂登季は安心した。
「後は来るのを手ぐすね引いて待つだけ、ですか?」
「ああ。そうだ。しかし、お前としては残念だったろう。来るのが時津砂天でなくて。」
 砂登季の顔が急に曇った。彼は空をふっと見上げた。雲の流れが心なしか速くなっている。
「いいや、いま戦ったら負けます。勝つ自信がついた時に襲ってきてくれた方がずっといい。」
「・・・。」
 須磨彦命も雲を見た。
「近いな。砂登季、いつでも準備はいいな?」
「もちろん。」
 心配そうな顔をした村人が、二人を見つめている。そこへ、村長が駆け寄ってきた。
「神よ。何かあるのですか? そのように雲を見つめて・・・。」
「以前話しただろう。嵐などで人間に害をなす神が存在すると。それがこの村に来るので、我らが先回りし追い払うというわけだ。」
「ああ、ありがとうございます。何とお礼をいっていいやら。」
「お礼は狼藉者を追い払ってから言ってくれ。嵐が収まるまで家からでないように村人に伝えておけ!」
「分かりました。」
 村長が立ち去ると、風の冷たさが増した。いよいよ神は近づいてくる。
(ははははははは・・・・。)
 神の笑い声が響いている。砂登季は身構えて、声のする方を見た。木の高さほどの位置に神はおり、そこから猛烈な風と雨を巻き起こしている。風神や雷神の 力を使わず、自らの霊力で生み出しているらしい。
「来たか・・・。」
 須磨彦命が立ち上がり、精神を集中させている。
「どうするのですか?」
「とにかく徹底的に打ちのめし退散させるだけだ。」
 この言葉を砂登季は意外に感じた。
「殺せないのですか?」
「何を言う、神は死ぬことはない。正確に言うと寿命はあるが・・・。」
 風が強くなっており、須磨彦命はこれ以上話そうとしなかった。砂登季も戦闘態勢に入り、風がわき出す場所へつっこんでいった。
(立ち去れ! 愚かな人間よ!!)
 普通の人間には神の声は聞こえないが、霊力者の砂登季にははっきりと聞こえた。
(それはこちらのせりふだ。神よ、痛めつけられたくなければ立ち去れ!!)
 はじめから人間に聞こえるわけがないと分かっていて叫んだのに、その人間が返事をしてくる。この異常な光景に神は狼狽し、風が弱まった。
「はあっ!」
 霊体のような淡い神の実体に、砂登季は手刀を放った。豆腐をつぶすようなかすかな手応えが返ってくる。
「はっ!!」
 神の体を貫いている砂登季の腕から強烈な霊波が吹き出した。その圧力に耐えきれず、神の体はバラバラになった。それと主に風がやみ、村の上に集まってい た雲も引いていった。神の体はゆっくりと消えていく。
「やったな、見事な腕前だったぞ。」
 霊気で建物の崩壊を防いでいた須磨彦命の声がした。
「いえ、相手が弱いだけですよ。」
 砂登季は笑ったが、その笑いは須磨彦命にとっては若干の恐ろしさを含んでいるように見えた。
「神に対して弱いとは・・・。恐ろしい人間よ。ははははは。」
 須磨彦命の豪快な笑いに誘われて、家の中で小さくなっていた村人たちが顔を出し始めた。それに気づいた須磨彦命はさらに高らかに笑った。
「村人たちよ! 嵐は去った。もう家に出て、それぞれの仕事をしろ!!」
「ありがとうございます!!」
 村人たちは二人に頭を下げて、それぞれ目指す場所へと向かっていく。
「それでは我々も用事があるので、これで失礼する。」
 須磨彦命はふわりと宙に浮き、神殿のある方向へ移動していった。砂登季も慌てて着いていく。
「神は私の霊波でバラバラになりました。その体は霧が晴れるように消えていきましたが、どうなったのでしょうか?」
「ん? そうだなあ、たぶん水滴が大河になるように徐々に集まってもとに戻るだろう。どのくらい時間がかかるかは知らないが、当分はあのような悪事は働け まい。」
 須磨彦命は満足そうに答えた。

 それからまた数週間経った。何度か神の襲撃があり、その都度撃退したが、それ以外に事件という事件はなかった。大仁命が予想したとおり、砂登季の霊力は ぐんぐんと高まり、もうこの国で一番の霊力者となった。彼は神々からこの国の要と言われ、人間なのに神から尊敬されるまでになった。
「やはり、場所さえ分かれば戦うのだな。」
「はい。この気持ちは変わりません。」
 時津砂天と戦うかという問いに、砂登季はいつも通りの返事をした。いくら神と言っても、一人の人間の将来を自由に変えることはできないために、大仁命も 残念そうな顔をするだけである。
「最近、ずっと考えているのですが・・・。」
 残念そうな顔している大仁命に対して砂登季が話し始めた。
「仮に時津砂天との戦いに勝ったら、死ぬまでこの国にとどまろうと思っております。そして、死んだら宙界へ移動しまた過去へさかのぼるつもりです。」
 その言葉に大仁命の顔が明るくなった。
「そうか、すまない。我々としてもお前の勝利のために、どんな努力も惜しまないつもりだ。」
「ありがとうございます。」
 頭を下げたとき、どういうわけか竹が見えた。毎日ここに来て滝に打たれていたのに気づかなかった。
「大仁命、竹の花というものを見たことありますか?」
「何? 竹に花が・・・? そんなことがあるのか?」
 突然の質問に大仁命はしばらく呆然としていた。
「この擦盛という男、色々なことを知っておりましてね。竹の花は吉兆の印とか・・・。」
 砂登季はにこにこしながら、竹の方へ手をかざした。急に竹が波打ったかと思うと、竹から小さな枝が伸び、えもいわれぬ色合いの花が咲いた。
「・・・。」
 突然の出来事に他の神々も呆然として立っている。砂登季は未だに笑っている。
「ふふふふふ。花見とはこのことを言うのでしょうか・・・。」
 彼は誰よりも先に神殿へ戻っていった。神々はしばらく竹に咲いた花を見つめていたが、やがて帰る準備をしようとした。その時気づいたのだ。花が咲いたの は竹だけではなかった。もう季節のすぎた梅や草から花が咲き、枯れて今にも倒れそうだった木は生き生きと青い葉を茂らせていた。滝の周りの植物はどれもみ な活気が溢れているようだった。
「・・・。」
 神々は帰る準備を忘れしばしその光景に見入っていた。やがて、日が傾き竹の花が砂登季の不気味さを表すかのように光っていた。

 その日から三週間後。ある情報が入ってきた。
「砂登季、この国に再び室井が現れたらしい。」
「本当ですか!?」
 大仁命の声に砂登季はうれしそうに答えた。
「ああ。自らを神と名乗っているそうだ。それはよしとして・・・、どうして再びこの国に来たのだろうな。」
「室井さんは時津砂天を追っていると思うので、神もこの国に来ているのではないでしょうか?」
「うーむ、そうかもしれないが危険な神が入ってきたという情報は、地蜘蛛神からは来ていない。ただの偶然か、先回りをしているのか・・・。」
 大仁命にも判断は付きかねるらしい。ずっと考えながら話している。
「大仁命、今夜室井さんに会ってもいいでしょうか?」
「・・・。別にかまわないが、どこにいるという情報は入っていないぞ。」
「何とかなるでしょう。見つからなければ、あきらめて帰ってきますよ。」
 そう言って砂登季は滝に行く準備をした。
 夕食を終え、砂登季は神殿から離れた。地蜘蛛神から大仁命へ報告が入ったということは、室井は霊気を隠さずに移動していると砂登季は判断した。そのため に、砂登季は漂う霊気を頼りに移動すれば見つけられると考えたのだ。
「おっ・・・。」
 さっそく、砂登季は室井の霊気を見つけた。本当に隠していないらしく、さほど注意しなくても分かった。案外、近くに来ているのかもしれない。
 砂登季は霊気の漂ってくる方向へ向かっていく。森の岩場に人影が見えた。火をたいているらしく、影がふらふらとうごめく。
「室井さん・・・。」
「来たか・・・。よく考えれば、ここはお前が仕える神のいる国だったな。」
 室井はそれ以上何もいわずに火を見つめていた。
「やはり、時津砂天に攻撃された時は、かなり精神的にきましたか?」
 単刀直入な質問に、室井の表情が引きつった。
「言うな。霊気からして、心の広い太子様のことを思いだしたが、時代が変われば人は変わると言うことを忘れていた。」
「しかし、説得しようと思わないのですか?」
「無駄だ。お前は覚えていないのか? 太子様は神の化身で、過去の記憶が無かったことを。逆に考えれば、多少未来が見える神でもある時点より先の未来は見 えないはずだ。」
「そんな・・・。それだけの理由で、己の怒りのために神を討つのですか?」
「ふふふふふ。妖魔の霊気を持つお前がそんな優しいことを言うとは思わなかったが、それは正論かもしれない。しかし、な・・・。」
「しかし、何ですか?」
「・・・。」
 室井はそれ以上のことを言おうとしない。砂登季もこれ以上追求しても無駄だと思った。
「そういえば、どうしてここへ来たのですか?」
「一時避難さ。この国の国境すれすれを時津砂天が通る。今の俺の力では太刀打ちできないので、指をくわえて見つめているのさ。」
「時津砂天が・・・。」
 あの時に立てた誓いを砂登季は思い出した。しかし、今の自分はあの神を倒すほどの実力があるだろうか。宙界で会った時に感じた霊力からすれば、おそらく 互角である。しかし、霊気の漏れを防いで移動していたと考えると全く勝負は違ってくる。
「砂登季、見違えるほど力を持ったがやめておけ。まだ勝てぬだろうよ・・・。」
 砂登季の考えを見透かしたように室井は言った。
「どうせお前もいつかは戦おうと思っているだろう。特にお前の場合は、色々と理由があるだろうし・・・。食べるか?」
 川魚を木の枝に刺し焼いたものを室井が差し出した。砂登季は無言で受け取り、食べた。室井もたき火の近くにさしてある枝を引き抜き、魚を食べ始めた。
「そういえば、この時代の人間に乗り移ったのならば、この世界のことも分かるはず。どうして、時津砂天が危険だと知らなかったのですか?」
「この人間はどこかの村人だ。神や仏に対する知識は皆無に近い!」
「そうですか。そんな人間が現在、神を語るとは・・・。おもしろい・・・。」
 砂登季はくすくすと笑った。火に照らされた彼の顔は妖魔のそれを思い起こす。
「知っていたか・・・。俺が神を名乗っていることを。」
「時には私に教えてくれてもいいでしょう?」
 箸を使ったわけではないのに、標本のように見事に骨だけになった魚を砂登季は投げ捨てた。あまりに見事な骨に、室井も目を丸くしている。
「知らない人間には分かるまい・・・。自分の過去でも必死に思い出すように努力しろ!」
 室井は怒ったようにそっぽを向いてしまった。黙々と魚を食べ続けており、砂登季の存在すら無視している。砂登季はどうしようかしばらく立っていたが、や がて立ち去ろうと室井に背を向けた。その時である。
「あの月が一番高く昇るまで待て。おもしろいものが見られるかもしれないぞ。」
「おもしろいものか・・・。いいだろう。」
「はずれても悪く思うな。」
 室井はまた魚を食べ始めた。
 月がゆっくりと昇り、ついに頂上まで来た。すると徐々に空気が冷たくなり、強大な霊気が漂い始めた。たき火を前にした二人は、その霊気の主が誰だか分 かった。
 嵐が起きているわけではないのに、木が倒れ、石が砕けた。森をゆっくりと破壊しながら、霊力の主はどこかへ移動していった。
「あれが時津砂天だ。気が向いたら通り道を見てこい。微塵しか残っていないから。」
「・・・。」
 強大な霊力を目の当たりにして砂登季は何も言えなかった。彼はしばらく立っていたが、やがて神殿へ戻っていった。別れの挨拶を言わなかったのを不快に感 じたのか、室井は砂登季をちらと見たが、何事もなかったかのように魚を食べ続けた。

 水のようになめらかな動きで砂登季は寝室に戻った。音もなく障子を開け、素早く閉めた。
「思ったよりも早かったな。室井にはあったのか?」
 部屋の真ん中に大仁命が座っていた。
「大仁命・・・。部屋を間違えましたか?」
「いや、ここはお前の部屋だ。室井がこの国に来た訳が気になって、お前が帰ってくるのを待っていたのだ。」
「そうですか。」
 砂登季は布団を敷き始めた。
「この国の国境付近を先ほど時津砂天が通りました。室井さんの実力でも勝てないらしく、一時避難のためにこの国に入ったそうですよ。」
「そうか・・・。やはり時津砂天、実力はあるからなあ。」
 大仁命が腕を組んだ。
「そうそう、私も通り抜けるところを見ましたよ。いや、あの霊力はすさまじいものでした。通り抜ける場所の周囲のものを全て微塵へと変えているようです。 室井さんがあのような傷を受けるわけです。」
「勝てそうか?」
「さて、どうでしょうか? 大仁命も一度様子を見れば分かりますよ。」
 砂登季は影のある笑みを浮かべた。髪が伸びていれば妖魔を見間違えるほど迫力がある。それを見て大仁命の顔から脂汗が出てきた。
「砂登季、やはり妖魔の霊気を吸ったな・・・。霊力の種類だけでなく、性格も言動も・・・。」
「くっくっく。夜の闇がそうさせるのかもしれませんね。」
 砂登季が不気味に笑いながら、布団の中に足を滑らした。大仁命は小声でいとまを告げた、さっさと部屋を出ていってしまった。
(あと数日待てば時津砂天を越えられるかもしれない・・・)
 そんなことを考えながら、砂登季は眠りに落ちた。夢の中で彼は利久道と訓練をしている場面を見た。そう言えば彼はどうしているだろう? そんなことを 思った時、遠くから廊下を走っている足音が聞こえてきた。

「起きろ! 砂登季。もう日が昇るぞ!!」
 ガラッと扉を開けて、須磨彦命が飛び込んできた。まだ意識がはっきりしない砂登季の体をゆすり、布団をはぎ取った。それから、色々と大声で叫び砂登季の ほおを叩いた。
「・・・、起きたよ。」
 砂登季は須磨彦命を追い返し、布団をたたんだ。昨日、夜遅くまで活動していたのがたたったらしい。
 その日も何事もなく過ぎていった。国境付近を通り過ぎた時津砂天は、この国には入ってこなかったらしく、どの集落にも被害はない。砂登季と須磨彦命は、 危険な神が侵入していないか調べて回っていたが、今日は見あたらなかった。
「こう一日山を歩き回って何も出会わないとつまらないな。」
「それだけ平和でいいではありませんか。」
「よく言うよ。お前の方が戦いを好む性格だというのに。」
 神殿にある縁側で二人は水を飲んでいた。仕事を終えた神がぽつぽつと帰ってくるのが見える。
「そろそろ滝に行くか。」
「ええ。」
 二人は一足先に滝へ行った。

 それから一週間後の夜、寝室には砂登季の姿がなかった。彼はついに時津砂天に挑む決心をしたのだ。
「こっちか!?」
 かすかに漂う時津砂天の霊気を頼りに砂登季は移動した。かなり遠くにいるらしく、正確な位置までは分からない。
「ん?」
 しばらく近づくと、室井の霊気も感じ取れるようになった。
(あの人は時津砂天をいつも追いかけていたのか?)
 そんなことを考えながら、砂登季は森の中に入った。木の中を移動していると、誰かが倒れているのが見えた。
「室井さん・・・。」
 駆け寄った砂登季が、血まみれの室井の体を揺さぶった。室井はゆっくりと目を開けた。
「砂登季か・・・。まさかお前が時津砂天を倒すのか?」
「えっ? 私はこれから時津砂天を討ちに行きますが。」
「くっくっく。どうだろうな? 俺はもう戻れないが、お前は戻れるのか?」
 室井は目をつぶり動かなくなった。まだ死んではないが虫の息であるように見える。
「相変わらず意味深長なことを言う人だ・・・。」
 砂登季に負けず劣らず優れた霊力者のために、室井がここで死ぬとは思わなかった。出欠はひどいが傷は浅く見えるために、砂登季は室井にこれ以上かまわ ず、時津砂天を追うことにした。
「近いな・・・。」
 追うといっても霊気を頼りに追いかける必要はなかった。時津砂天が破壊した森をたどっていけばいいので、頭を使う必要がない。砂登季は徐々に時津砂天と の距離を縮めた。それに伴い、強烈な霊気と突風があたりを支配し始めた。
(想像以上に強烈だ・・・。)
 もう霊力なしでは体を支えることができない状態となったが、砂登季は進み続けた。風がわき出る一点に徐々に近づいているのが分かる。
(時津砂天! 聞こえるか!?)
(誰だ? 私の名を呼ぶのは・・・?)
 時津砂天は振り向いたのだろうか? 一瞬、風の流れが変わったような気がしたが、砂登季が見たのは砂煙だけで視界はすごぶる悪い。
(私だ! ここにいる人間、砂登季だ!!)
(このかまいたちの中を近寄るとはなかなかの霊力者だ・・・。おもしろい・・・、何か話でもあるなら聞いてやろう。)
 そうは言ったものの、風はますます強烈に吹き荒れて、砂登季も話しかける余裕がない。たまらず砂登季は土の中に潜り込んだ。これなら風の影響がないので 話しかけられそうだ。
(時津砂天! 私はかつてあなたにそそのかされ罪のない人を殺してしまった。なぜあなたは私をそそのかしたのだ!?)
(私がそそのかしただと? 人間に真実を教えただけで、それを知った人間が勝手に行動しただけだ!)
(そんなことはない! あなたが教えなければ私も含め彼らは平穏な日々を送ることができたはずだ! あなたは時に人が望まぬことまで教え、たぶらかし た!!)
(馬鹿を言うな! 私はその人間が知りたいことを教えただけだ!!)
(その邪な考えが神と名乗れるのか!? 人間に技術を教えるために地上界へ移動し、後先考えずに人をたぶらかし、破壊の限りを尽くすお前が!!)
(聞いておれば好きなことを述べ立てて!! 地中に潜っておらずに堂々と戦おうではないか!? 天上界の規則では勝者こそ真実である!!)
(望むところだ!!)
 砂登季も言いたいことは言ったので地面から飛び出した。気づくと嵐がやみ、目の前に時津砂天が立っている。彼は砂登季の姿を確認するとにやりと笑った。
(先ほどの霊力者とは理由が違えど、戦いを申し込むことには代わりがない。せいぜい、私を楽しませるのだな・・・。)
「望むところだ!」
 二人は手を広げ、霊波を放った。あまりの衝撃で、地面に亀裂が走る。
「ぐっ!」
(む・・・。おもしろい。先ほどの霊力者よりは手応えがある・・・。)
 時津砂天の立っている場所の草がぐんぐんと生長している。その草むらから一本のツルが伸び神の足に巻き付いた。ツルは徐々に太り、時津砂天の体をその幹 に取り込もうとしている。そんな状態でも神は不適に笑いながら、砂登季に霊波を放っている。
(このような小技が通じると思っているのか?)
「いいや。これからがおもしろい・・・。」
 ツルはもう巨大な木となっており、幹から神の手が出ているだけだ。砂登季が笑うと、幹が一瞬震えた気がした。
(ぐはぁ・・・。)
 苦悶する声が響き、時津砂天が周りを取り囲む木を吹き飛ばした。
「くくくくく・・・。木の形を内部的に変化させると、中身はどうなると思っていたのだ?」
 時津砂天の体から鎖骨が飛び出している。神は霊気で傷を治し、砂登季をにらみつけた。
(どうやら、本気で勝負する必要がありそうだ。)
 時津砂天が手を空に掲げると、空からこぶし程の石が次々と落ちてきた。石の威力はすさまじく、一発で木が倒れた。あっという間に周囲の木が倒れ、あたり は荒れ地へと変化した。
「・・・。」
(どうだ? 神をあなどると後が怖いぞ。)
 体中に石を受けた砂登季は、その場にうずくまった。霊力で結界を作ったはずなのに、石はそれを貫き砂登季に向かってきた。
(せいぜい己の無力さを呪うのだな・・・。)
「お前もだ!」
 急に石が宙に浮き、時津砂天へ向かい飛んできた。慌てて時津砂天も石の動きを止めた。じりじりと石は時津砂天へ近づいてくるが、神も必死で対抗している ためにほとんど進まない。
「私がたとえ神に及ばぬとしても、それは霊力だけだ・・・。地上での戦いの経験では誰にも負けぬ自信がある!」
 砂登季がそう叫んだ瞬間、全ての石から白い糸が吹き出した。全ては霊力で作られており、あっという間に時津砂天に巻き付いた。神が巨大なマユと化したよ うだ。
 突然の出来事に神もひるみ、霊波が途絶えた。その瞬間を逃さず、砂登季の霊波が石に送られ、石は神の体めがけて飛び込んでいく。
 神の体を貫くことはできなかったが、時津砂天も血まみれになりその場にうずくまった。砂登季は念のために全ての石を微塵へと変えた。
「まだ立ち上がれるだろう? さあ、立て!」
 砂登季は怒鳴りながら、時津砂天に飛びかかった。それに気づいた神も痛みをこらえつつ、立ち上がり攻撃態勢に入った。二人とも一進一退の肉弾戦を続ける が、お互いにケガをしており徐々に動きが鈍くなっていく。この場合、相手の動きが鈍っていないように見えるのか、自然と二人は飛び退き距離を置いた。
(ここまで私と張り合った者はいない。ほめてやろう・・・。)
「なぜ人を傷つける? 神の使命を忘れたか?」
(人に神の強大さを伝えるためだ・・・。)
「その方法で人は神を恐れるだろう。だが、何の利益になる!?」
(人間に何が分かる? 神の力を知らぬ人間に!)
「所詮、あなたは理由をつけて破壊を楽しむ悪神にすぎぬ!」
 砂登季をたぶらかした理由も納得いかず、人を傷つける訳も筋が通っていない。砂登季は本当にこの神を殺そうと決意した。

「妖魔よ! 我に従え! 我に力を貸せ!!」
 気が付くと砂登季の髪は伸び、彼は妖魔に見えた。そんな砂登季が妖魔を呼ぶために、地獄界へ霊波を送ったのだ。一瞬にして姿が変化したことに時津砂天は 驚いたが、徐々に妖魔が近づいているのに気づきさらに驚いた。
(馬鹿な! 妖魔がなぜ人間ごときの誘いに乗るのだ!?)
「同士だからだよ・・・。」
 砂登季の体からさらに霊気がみなぎった。周囲の倒木があっという間に枯れ、朽ち果てていく。近くを飛んでいた鳥は狂ったように絶叫し、骨となり地に落ち た。
(妖魔と通じる霊力者とは・・・。神と敵対する理由はそのためだったか!)
「違う! 私の目的はあなたを討つためであり、神全てと敵対するつもりはない!」
(神というのは妖魔を嫌い、排除しようとするものだ。私を討とうとする人間が妖魔と通じていると分かればもう情けを残す必要はない。お前が微塵となるまで 私は戦う!)
 こう神が叫んだ瞬間、地面から妖魔が飛び出してきた。並の妖魔の三倍以上の霊力と恨みを抱く強力な者ばかりが集まってきた。彼らは砂登季の指示通り、次 々と時津砂天に飛びついた。神は慌ててふりほどこうとしたが、巧みに傷口に爪を立てられ、その場に倒れ込んだ。
「妖魔よ、お前たちの犠牲を無駄にはしない! 恨み続けるだけの生活よりは、無となる方が遙かによいだろう・・・。」
(何!? お前はこの妖魔たちまでも・・・!)
 砂登季の霊気を受けて妖魔たちは破裂し、周囲に強烈な霊気をばらまいた。その尋常ではない霊気を浴び、大地は削れ風は周囲のものを吹き飛ばした。火山噴 火で山頂が吹き飛んだような大音声があたりに響き、土煙が月を隠した。
「・・・。」
 妖魔の気配も、時津砂天の気配も消えた。砂登季は霊気で土煙を吹き飛ばし、彼らが倒れている場所を調べてみた。その部分は深く削り取られており、何の霊 気も感じなかった。
(神は不死だ・・・。)
 この大仁命の言葉が脳裏をよぎり、砂登季は周囲を調べたがどこにも霊気を感じなかった。その時になって、砂登季の目から涙が流れた。
(時津砂天を討つことは討った・・・。だが、また私は無実の人間を・・・!)
 あの時の強烈な霊気により、室井の体も一瞬にして地面に帰ってしまったようだ。砂登季は泣きながらその場に倒れ込んだ。戦いで体力を使い、神殿へ行く体 力は残っていなかった。
 徐々に空が明るくなり、眠っている砂登季の顔をなでた。砂登季もすこし目を開けて、空の変化を確認している。
(須磨彦命が心配しているかもしれないな・・・。)
 そんなことを考えたが、立ち上がる体力もないので霊体を飛ばすことにした。まだその程度の霊力ならば残っている。砂登季は霊体となり、宙に浮き神殿へ向 かおうとした。
 しかし、宙に浮いた時から何者かに引かれるがごとく高く高く舞い上がり、ついに宙界まで移動してしまった。霊力も尽きかけているので、地上に戻ろうとし ても力が足りず過去へ戻されてしまう。行き着くべき場所に近づいているのか、以前よりも速度を増して砂登季は過去へ移動していった。
 いったいどれほど過去をさかのぼったのであろうか。もう、大仁命と会った時代から数百年ほど過去に移動しているようである。気が付くと砂登季の体は、天 上界へと移動していった。
(私もついに死んだのか?)
 そんなことを考えながら、今まで一度も訪れていない天上界を砂登季は見上げた。地上とは違う光に満ちた天上界は、どこか懐かしさを感じるものがあった。 砂登季の姿はどんどん小さくなり、ついに天上界の光の中へ消えていった。
 砂登季が天上界に着いた頃、砂登季の肉体に変化が現れた。一瞬にして腐敗し、白骨化、そして風化して消えてしまった。擦盛の肉体から魂が抜けてから、百 年以上経っており、一瞬にして分解が行われたのだろう。

「砂登季がいません!」
「昨日の爆発音は間違いなく砂登季の霊気だった。その後すぐに監視役の地蜘蛛神をあちらへ向かわせたが、砂登季の姿はありませんでした。」
 神殿では砂登季の姿がないことで大騒ぎである。日の出を拝むことなく、大仁命と須磨彦命は爆発があった場所へ移動した。
「どう考えてもここだろう・・・。」
「ええ。それは間違いありません。砂登季はどこへ行ってしまったのでしょうか?」
 地蜘蛛神と須磨彦命が話し合っている。
「あの爆発があったのは、我々が普段起きる時間よりも三十分ほど前。それから地蜘蛛神がここへ移動するのに三十分。往復で一時間かかり、日の出直前に神殿 に戻ってきたのだから・・・。」
「爆発してすぐに姿を消したか、それとも爆発で跡形もなく吹き飛んだか・・・。」
「結論は出そうにありませんな・・・。」
 神々がため息をついた頃、空から一人の神が降り立った。
「あなたが大仁命か?」
「はい。ところであなたは・・・?」
「私は刑神、醒闘大鬼神。時津砂天の地上での悪行を裁くために来たのだが、一足遅かったようだ。」
 刑神と言えば、天上界でも最上位の実力者である。慌てて三人の神はその場に座り頭を下げた。
「同じ神だ。そこまで恭しい態度を取らずともいい。」
「大鬼神は一足遅かったとおっしゃいましたが、時津砂天はどうなったのですか?」
 大鬼神はくすっと笑った。その目はまるで妖魔を思い起こす輝きを放った。
「消滅したよ。天上界でも神を消滅させるられるのは刑神を含めて八人。その力をもつ人間とは恐ろしい奴がいたものだ・・・。」
「す、すると砂登季は生きているのですか!?」
「ほぉ、時津砂天を消滅させた霊力者を知っているのか? 間違いなくその霊力者は生きている。しかし、もうお前たちと会うことはないだろう・・・。」
「そ、それはどうしてですか?」
「大仁命よ、この国を率いているのならば、この国の全てを知っておらねばなるまい。自分で考えることだな・・・。」
 大鬼神はそれ以上語らずに天上界へと移動してしまった。

 天上界のある建物。そこには三つのベットがあり、二人の若者がベットの上で眠っていた。ベットといっても、長いすの幅が広がったようなもので寝心地は非 常に悪そうだ。
 眠っている一人の若者の体に、光の玉が飛び込んだ。その瞬間、若者からおびただしい光が放たれ、建物全体が輝いた。数秒間若者はけいれんしたが、やがて 目を覚まし周囲を見渡した。
「おおっ! 砂登季命(しゃとうきのみこと)、帰ってきたか。」
 部屋の扉を勢いよく開けて、一人の老いた神が若者に飛びついた。長い黒髪に深紅の瞳、背は普通の人間より若干高い若者はしばらく呆然となすがままにして いたが、老いた神の顔を見てたまらず抱きついた。
「父! 私には何が起きたのですか!?」
「ああ、砂登季、砂登季。心配したぞ。お前が戻ってくるのをどれほど待っていたか・・・。おお、お前か! 砂登季が帰ってきたぞ。」
 父親に続き、砂登季の母親が部屋に入ってきた。
「よかった。砂登季。帰ってきてよかった。」
 喜び合う二人を見ながら、砂登季は次第に自分の過去を思い出し始めた。そんな中、部屋に三人の神が入ってきた。
「砂登季・・・、いや砂登季命。大籍神がお呼びだ。」
「はいっ。」
 大籍神とは戸籍を管理する神である。天上界の神々の戸籍を管理する神の中でもっとも力のある者が担当するのだが、地位も伊邪那岐命の子ども、天照大御神 や月読命、建速須佐之男命などの次ぐ地位である。
「砂登季、くれぐれも行儀よくな・・・。」
 父親が小さな声で言う。
「はい。」
 砂登季は小さくうなずいて、神々に連れられ部屋を出ていった。

「砂登季命、ただいま参上しました。」
「うむ。そこへ座り、楽にしろ。」
「はい。」
 大籍神は振り向いて砂登季を見た。そして満足そうにうなずく。
「砂登季、お前にもいくつか説明しなくてはならない。そして、私はお前に謝らねばならない。そう、お前は魂流し(たまながし)を受けたのだよ。」
「魂流し?」
「ああ。人間とは違うが神も肉体と魂を分けることができる。そして、その魂に人間の体を与え、遠い過去か未来へ移動させるのだ。そうすることにより、地上 でもまれその魂は急激に成長する。そして、宙界へ移動するたびにもとの肉体のある時代へと自然と引き寄せられるのだよ。」
「そ、それで私は宙界へいくと勝手に過去へ流されたのですか!!」
「そういうことだ。だが、魂流しには危険も伴う。地上では魂は神でも、完全に人間扱いされるのだ。死ねばその時代で死人となり、人間として裁かれ地獄へ 行ったり、天上界へ来たりするのだ・・・。そして、お前の友人は室井命と森津命は帰ることなく人間として死んでしまった。」
 砂登季の顔が青くなった。
「地上で何を経験したかは知らないが、よくここまでたどり着いた。お前を魂流しする時、眠っているお前の姿を見たよ。お前たち三人を魂流しにするのはつら い仕事だったよ。だが、その時とは比べものにならないほど力を付けている。」
「ところで、どうして魂流しなどしたのですか?」
「時が経つにつれて、天上界で生まれる神の力が衰えているのだ。このままでは最終的に地上の霊力者と同じような力しか持たない神しか生まれなくなる。そこ で我々は、伝説として伝わる魂流しを行うことを決断したのだ。そして、見事お前は帰ってきてくれた。」
 大籍神は感慨深げに砂登季の顔を見た。
「私はどのくらい眠っていたのですか?」
「だいたい一ヶ月。正確に言うと、四十八日だ。お前の父神、母神は毎日心配していたよ。特に昨日だ、室井命が死んでお前一人になった時などは、母神は泣き 崩れてなだめるのが大変だったよ。」
 砂登季は黙っていた。室井を殺したのは自分だということを伝えるべきかどうか迷っていた。
「さて、期待通りお前の霊力は天上界でも頂点の実力まで高まっている。それを記念し、お前に新しい名前を与えようか・・・。」
 大籍神はちょっと考えながら、砂登季の戸籍を取り寄せて燃やしてしまった。それから何もかかれていない戸籍の紙と筆を引き寄せた。
「時代をさかのぼるにつれ、地上界で暴る神を見たかもしれない。少なくとも、お前は天上界で暴れる神を見ているはずだ。砂登季、お前は今後、刑神という職 を与える。」
 砂登季は顔を上げて大籍神を見た。
「刑神・・・?」
「神に罰を与える神だ。お前が道理に反すると思われる神を自由に裁いてよい。」
 そこまで言って大籍神は戸籍に何かしら書いている。
「刑神という職は今までない。今後、実力のあるものを選び刑神へ加えていく予定だ。お前が彼らを率いるように。」
「はっ。」
「刑神 醒闘大鬼神(めざめいくさおおおにのかみ)。これがお前の名前だ。名を聞かれた時に間違えぬようにしろ。」
「醒闘大鬼神・・・。」
「字は違うが、しゃ・とう・きの文字が入っている。字の意味自体、刑罰を与える印象もあっていいだろう。」
「しかし、私に他の神々を裁くなどと言うことができるのでしょうか・・・?」
 心配そうな顔をする大鬼神の顔を見て大籍神は笑った。
「自覚がないようだが、大鬼神は既につとめを果たしておられますぞ。」
 神の名を得たために、大籍神の言葉使いが変わり、”お前”でなくちゃんと名前を呼ぶようになった。その態度の変化に大鬼神は少し恥ずかしくなった。
「時津砂天を倒したでしょう。完全に・・・。」
「完全に・・・。」
 砂登季が不思議な顔をして聞き返す。神は不死の為に完全という意味が分からなかった。
「時津砂天の存在を大鬼神は完全に消したではないですか。神は不死と言われていますが、完全に消滅しております。」
「だ、だからそれはどういうことですか?」
「存在が消滅してしまいましたよ。きっと長い年月をかけて、どこかの世界によみがえってくるでしょう。いやはや、普通の神がどんなに霊力を働かせても、他 の神を消滅させることはできません。やはり刑神にしかできないことでしょう。」
「はあ・・・。」
「大鬼神、あなたの体からはかすかに妖魔の霊気も感じます。もしかして、それが原因かもしれませんね。」
 笑いながら大籍神は戸籍を大鬼神につきだした。戸籍の字を見て大鬼神はぼーっとしていた。どうも実感がもてない。
「さて、大鬼神。このことを父母に伝えてきなされ。もうあなたの仕事は目の前に山積しております。」
「はいっ。」
 元気よく返事をして大鬼神は両親の元へと移動していった。

「砂登季、変なことを言っていないだろうな?」
 帰って早々、父が聞いてきた。
「いえ、そこは安心してください。ところで先ほど大籍神から名前を頂きました。」
「ほぉ、どんな?」
「醒闘大鬼神です。職は神に刑罰を与える神です。」
 両親はしばらく腕組みをしていたが、自分たちより地位の高い神が決めたことなのでとりあえず納得した。
「それでは大鬼、さっさと仕事をしてこい!!」
「はい。」
 大鬼神の父も母も、命や姫の名前が付いている神であり、大鬼神よりも地位は低いが、やはり親子。父は敬意のかけらもなく大鬼神を送り出した。大鬼神もう れしそうに出かけていった。まずは天上界の神々の様子を見なくてはならないだろう。
「危険を冒して得たものは確かに大きかったな。しかし、仮に失敗したらもう我々はあの子の顔を見られなかった・・・。」
「ええ。砂登季・・・いいえ、大鬼神はもう私たちの子どもという枠には収まりきらない立派な神になってしまいました。」
 大鬼神の父と母はその場に泣き崩れた。父と母には、大鬼神の背中が眠っていた時よりもひとまわりもふたまわりも大きくなっているように見えた。

 ある日、大鬼神は地上へと移動していった。彼は本来の体を手にし、さらに霊力が高まっていたのだが、天上界でおかしな行動をする神々を消すたびに、より 強大な霊力を身につけていた。数十年前に経験した天一月戦ではすばらしい働きを見せると共にその霊力はさらに高まった。これにより天上界で数名しかいない 刑神の名が知れ渡った。さらに、彼の霊力は神々の中で頂点に立つ天御中主神に匹敵するものと噂されるようになった。大鬼神にも刑神の仲間がいるが、仲間と いっても彼が生み出した子どもである。彼らも神を完全に消滅させる力を持っていたが、大鬼神の霊力に及ぶものはいなかった。
 地上界へ移動する時には、必ず魂流しにあう前の記憶を思い出していた。そしてその時のことをじっくりと検証するにつれて室井の言葉も理解できていった。
「室井命・・・すまないことをした・・・。」
 室井は天上界で彼の幼なじみであった。大鬼神の友人の中で室井命は競争心が強く、常に一番になろうとしていた。地上で出会った時の砂登季を敵視する態度 も、彼を地上で殺し自分だけが天上界へ戻ろうしたあの行動もその競争心から来ていたのかもしれない。室井は力を持とうとしていたし、過去の記憶を失ってい た砂登季ならば、簡単に出し抜くことができると考えていたのだろう。
(魂流し・・・。
 神の魂を抜き、人間として地上に送り出すこと。帰ってきた魂は非常に高い霊力を得ることができるが、成功する確率は皆無といってよい。送り出しても地上 で死んでしまうことが多く、霊力を駆使し帰ってくるものは滅多にいない。かつて何度か神々も挑戦したが、ほとんど失敗し現在は行われていない。
 現在、魂流しを行い帰ってきた神は二人だけで、彼らの証言によると、魂流しを行うと、記憶を失っていたり、霊力を使えなくなることが多々あるらしい。幸 いこの二人は記憶も消えず、霊力も扱えたために無事に帰ってきたのである。)
 大鬼神は以前学校で教わった魂流しに関する文章を思い出した。記憶もなく、霊力も一時的に使えなかった砂登季が生き延びたのは奇跡に近いだろう。もっと 言えば、一度死んでいるのに帰ってこられたのはまさに奇跡である。
 いよいよ地上界が大きく見えてきた。彼は遠くに見える荒らされていない地獄界をちらと見たが、地上界へ目を移した。今日の彼は地上界に用事があるのだ。
「ふう。そろそろ地上界だ。」
 雲を突き抜け、大鬼神は荒れ果てた森を見た。そこには大仁命と須磨彦命が立っているのが見える。
「あなたが大仁命か?」
 突然現れた大鬼神に大仁命が驚いている。
「はい。ところであなたは・・・?」
 大鬼神は久々に会う大仁命の顔を見て昔の出来事を思い出した。すでに何度となく名乗り、なじんでいる名前を言い間違えないようにしながら大鬼神は息を 吸った。
「私は刑神、醒闘大鬼神。時津砂天の地上での悪行を裁くために来たのだが、一足遅かったようだ。」

 時が経つに連れて、人間と神、天上界と地上界、そして地獄界の結びつきが薄れていく。人は神の姿を忘れ、全く違う姿の神を後世へ伝えていった。神も人間 に地上界の大部分の支配を任せるようになった。実力のある霊力者は徐々にいなくなり、天上界や地獄界を行き来できるもの、神や仏と会話ができるものはいな くなった。そして、人間は遺伝子を操作し神のように強力な人間を生み出すようになっていく。地上に残る神や仏は徐々に鍛錬を忘れ、力を失い人々の生活を見 つめる者が多い。それぞれが自分たちのために暮らしていく・・・。それは自然な流れなのかもしれない。しかし、その流れを砂登季はわずかだが加速させる役 割を持っていたのかもしれない。
 醒闘大鬼神に関する文献は、彼が倒した時津砂天により書き換えられた。大鬼神の名前は時代により消滅していくのだろう。そして、本当の彼の化身、砂登季 の記憶も徐々に消えていくだろう。醒闘大鬼神は様々な人間や神を犠牲にして、今の地位を得た。しかし、自分の運命を他の神に操られ、時代に名を残すことな く消えていくこの神がもっとも哀れな運命にあるのかもしれない。


 ついに管理人にとっては長かった物語も完結しました。
 実はあと1,2個ネタがあるのですが、気が向いたときにまたの機会に。あなたの心に己の意見に自信を持てる大鬼神の魂が宿ることを祈ります・・・



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