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SSの幼生


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最強の男 第六部
(おのれ・・・妖魔め・・・。私の体を奪っただけではなく、罪なき人間を次々と殺すとは・・・。)
 体を奪われ、妖魔のなすがままであった砂登季は延々と戦い続けていた。それは、表には見えない静かな戦いで、いつ果てるともなく続いた。
 妖魔が帝へとどめを刺そうとした時に、一瞬だけ隙が生まれた。砂登季はその時を逃さず、霊波を発し妖魔の憎しみを黒い液体として体からはき出した。試み は見事に成功し、彼の体から妖魔の怒りが消え、彼らの霊力だけが残った。
 しかし、実際には砂登季の思考も若干毒が混じるり、霊力にもほのかな妖力を漂わせるようになったのに気づいたものはいなかった。なぜなら、本人は知るよ しもなく、砂登季に着いて回る人間は一人もいなかったからだ。

「ふふふふふ・・・。砂登季、私の身に刻まれた恨み、今こそ晴らそうぞ。」
 森の中、男は空を見上げていた。彼の右手は空へ向けられ、延々と霊波が送られている。そして、彼の霊波に引かれ砂登季の姿が徐々に確認できるようになっ た。
(お前は誰だ?)
 ぶしつけな声が男に響いてくる。
(あぁ・・・。)
 若干の懐かしさとこみ上げてくる怒りで男はふるえた。これでいよいよ砂登季と戦えると思うと、彼の魂は異常なまでに熱くなった。肉体を失って久しいのだ が、彼には心臓がはじけるような感覚を受けた。
「ある・・・。」
 彼は右腕の存在を確かめてから、砂登季に対して霊波を送った。
(お前は覚えていないのか・・・? 私だ・・・。)
 何か意味があるのだろうが、砂登季には分からない。
(お前は阿臥命か? しかし、なぜ私に対して恨みを抱く?)
(忘れたか・・・。あの日を、あの天坂山の山頂での戦いを・・・。)
 僧侶や神官と戦った時の話なのかと砂登季は思ったが、その時代からはずいぶんと過去へ来ている。未来に対して恨みを抱く人間などいるとは考えられないの だ。
(死の衝撃で記憶がぬけたのか・・・。まぁいい、戦ううちに思い出すであろう。)
 男は霊波を送るのをやめた。彼は砂登季が自らこちらへ来るのが分かったのだ。

「くっ、阿臥命とは何者なのだ? それに・・・この星は?」
 位置としては、ここは地獄であろう。しかし、この光景はどうだ。森は青々と生い茂り、平地には草がまんべんなく群生し、美しい花が咲いている。かつて砂 登季が訪れた地獄とは全く違う世界であった。
「まぁいい。阿臥命と直接あって話をするか。」
 砂登季は地上へ降り立つと、剣を構えなおした。
 すると、草を折りながら霊体が現れた。
「待っていたぞ、砂登季。お前のように大罪を犯した人間は、私と同じ場所に来るのは分かっている。」
 阿臥命と思われる人間が静かに言った。
「待っていた・・・か。ここは地獄か?」
 砂登季は周囲を見渡しながら、前にいる男に聞いた。
「あぁ、そうだ。ここは地獄だ。獄使から聞いたから間違いない。」
「お前の罪は何だ?」
 砂登季は疑うような目で男に聞いた。
「あいにく私は罪を犯していない。しかし、地獄へ来てしまった。そのためか私の罪の決定が長引いており、ここで自由気ままに過ごしている。」
「そうか・・・。」
 砂登季に対して猛烈に恨みを抱いているのは分かるが、見るからに善人である。
「だが、残念だったなぁ・・・。私はまだ死んでいないのだよ。」
 砂登季は不気味に笑いながら言った。その時、阿臥命の顔が険しくなる。
「・・・! なぜだ?」
「お互いに何があったか分からないが・・・、おぬしは私と戦いたいのであろう? 私もおぬしには興味があるのだ・・・。」
 阿臥命の動揺を無視して、砂登季は剣を引き抜いた。阿臥命は未だに砂登季を見つめたままである。
(なぜだ? 霊力者が肉体のまま世界を行き来できるのか? そしてなぜ私のことを知らないのだ?)
 彼の頭の中には疑問符の数が増える一方だ。砂登季の頭の中も同じであったが、彼は気になる相手を見つけたためか目が生き生きしている。一歩、砂登季が歩 み寄った。足下に生える草は折れずに彼の体を貫いているが、痛みはない。どうやら、霊体や魂しか踏みつぶすことはできないらしい。
「まぁいい、ここで死のうが、地上界で死のうがお前は必ず地獄へ来る。その時期が早くなるか遅くなるかの違いだ。いいであろう、太子様のいないところだ。 いかなる醜態を見せても恥じ入ることはない!!」
 阿臥命の姿は、ヘビが鎌首をもたげ、獲物をにらみつけるかに見えた。その姿を見た砂登季は満足そうにほくそ笑んだ。

「消えろ! 砂登季!!」
 阿臥命がつきだした腕からヘビが現れ、砂登季に噛みつこうとした。砂登季はそれを魔剣で切り落とし、まわりの草に火をつけた。あっという間に火は成長 し、身長の倍ほどの高さになった。
「何の目的で時間稼ぎなど・・・。」
 阿臥命の声がして、突風が吹いた。その風は風圧で火を消すという次元のものではなく、彼らの周囲にある地面を丸ごとどこかへ飛ばしてしまった。
(すさまじい霊力だ・・・。あの男が生前何をしていたか、ますます興味が沸いてきたぞ。)
 不気味に笑った砂登季は手を地面に突きだした。それにより、魂の持つ霊気を食う虫が次々と集まってきた。虫たちは勢いよく阿臥命に飛びつき、彼の体を食 べ始めた。
「ぐぁぁぁぁ! こざかしい!!」
 今まで柔和であった顔が、一瞬にして鬼面に変わった。そして、その表情はいっこうに戻らない。阿臥命の体から炎が生じ、虫は一瞬にして黒こげになった。
(あの顔が彼の言う醜態か・・・?)
 砂登季の胸が高鳴った。
(おもしろい・・・。この男がどこまでやるか見るとしようか。)
 そう思ったが、阿臥命が先に攻撃を仕掛けてきた。
「地を成す者よ、我に従え!!」
 その声に地面が盛り上がり、何体もの土人形が現れた。彼らからは妖魔特有の霊気が漂っていた。
(妖魔の霊力を利用したのだろう・・・。無駄だ無駄だ・・・。私の体の一部は妖魔のそれなのだからな!!)
 土人形の放つ霊波を全て砂登季は吸収した。そして、魔剣の風圧で土人形を吹き飛ばした。
「霊力のみではらちがあかない。覚悟!!」
 風のように阿臥命に近づいた砂登季が、鮮やかな一撃を放った。阿臥命は突然の出来事で、それをよけきれず腕がはずれた。しかし、霊体のためにすぐに再生 する。
「くっ、見事な攻撃だ。あの時と遜色ない・・・。それなら手加減は無用か!」
 阿臥命も拳を繰り出してきた。どの一撃も素早く重かった。砂登季も魔剣をさやに収め、拳で対抗した。二人の肉弾戦は延々と続いていた。砂登季は殴られて 体にあざができ、一部からは血が流れている。阿臥命は霊体のために傷などはないが、すでに何度も霊体を再生させている。二人の動きは鈍ることなく、激しい 戦いが続いた。
 砂登季の一撃が阿臥命の顔をかすめた時、阿臥命の放ったけりが砂登季の腹部に命中した。霊気を含んだ一撃の威力はすさまじく、彼は宙に浮いて地面に突き 刺さった。砂登季も衝撃のためにしばらく立ち上がれなかった。
「早く立て!!」
 鬼面をゆがめながら阿臥命が叫んだ。その瞬間、金色の刃が砂登季の体に突き刺さった。幸い心臓を外したが、肺に二本、脊髄に一本刺さった。普通の人間な らば、瀕死の重傷である。
「くそっ・・・。」
 口から滝のように血を流して砂登季は立ち上がった。その血は形を変え、炎となり金色の刃を溶かした。どろどろに解けた金色の刃が体からとれると、そこか らもおびただしい血が吹き出てきた。彼は霊力でその血を固め、せんをしてから阿臥命へ再び飛びかかった。
 再び拳での戦いが始まったが、傷のためか砂登季は徐々に劣勢に追い込まれている。
「隙あり!」
 阿臥命の手刀が、砂登季の肺に食い込んだ。そこはまさに先ほど金色の刃が刺さった場所である。しかし、砂登季もただ彼の一撃を受け止めるだけではなかっ た。
 砂登季の両腕は阿臥命の頭部に食い込んでいた。
「阿臥命・・・、おぬしは確かに強かったが、最後のつめを誤ったようだ。」
 砂登季の手刀から霊波が浴びせられた。強烈な痛みが襲ったかと思うと、阿臥命の脳に様々な感情が次々に流れ込んできた。彼はわずか数秒間で泣き、笑い、 怒り、苦しみ、嫉妬し、混乱し、羽目を外した。そして、砂登季の手刀が引き抜かれた時、阿臥命の霊体は力を失い、その場に倒れた。もはや力を失った彼の腕 が、砂登季の胸からはずれ再び胸に滝ができた。
「・・・、傷が深い・・・。」
 勝ったという安心感のためか、砂登季も疲れを感じその場所に倒れた。彼の体からは、未だに滝のように血が流れている。彼の作り出す水たまりは、自分の体 よりも広く広がっていった。

 砂登季の意識は徐々に自分の肉体へと近づいていく感じがした。
「おい、そこの霊力者。ここは往来が激しいから寝ていると危ないぞ。」
 そんな声が聞こえてきた。砂登季が起きあがると、一人の獄使が彼の体をゆすっていた。
「起きたか・・・。しっかりしろ、こんなところで居眠りとは・・・。」
 獄使は心配そうに砂登季に声をかける。砂登季の意識もしっかりしてきて、彼は目の前の男が獄使だと気づいた。その瞬間、彼の体は宙を舞い、獄使と五メー トルほど距離ができた。
「おいおい、いきなりどうした? 妖魔と間違えたか?」
 獄使は死んでいない人間が地獄に来ているというのに、全く攻撃しようとしない。むしろ、親しげに声をかけてくる。その声にも裏はないようだ。
「なぜ攻撃してこない?」
 砂登季はゆっくりと剣を抜いて、構えた。それを見て、獄使の方が動揺してしまった。
「おいおい、しっかりしろよ。どうして獄使が地上から来た人間を攻撃しなければいかんのだ? 俺たちは暴れる妖魔を取り押さえるために、ここにいるんだ ぞ。」
「何?」
「だから、俺たちは妖魔を取り押さえるためにいるのであって、霊力者など攻撃しない。」
 砂登季の目はまだ疑っている。
「信じてもらえないようだなぁ。お前のような不勉強な霊力者がよくここまで鍛えたものだ。とにかく、そんな危ないもの納めてくれ。」
 獄使は砂登季の剣を指さしていった。獄使の言葉をとりあえず信じ、砂登季は剣を納めた。そして、獄使に近づく。
「すまない、不勉強で。」
「おっ、お前、肉体のままこっちへ来たのか! いやぁ、たまげた。」
 砂登季の謝罪に対して声をかけるどころか、獄使は彼に興味を抱き始めた。
「今まで何度か霊力者が霊体を飛ばして来たのは見たが、肉体のまま来るとは・・・。さぞかし素質があるんだなぁ・・・。」
「まぁ、地上では色々あったから・・・。」
 苦虫をかみつぶしたような顔で砂登季が言う。
「だろうなぁ・・・。不勉強の上、ものすごい実力とくれば周囲からねたまれるだろう。」
 やはり獄使の言っていることが完全に飲み込めない砂登季である。
(不勉強、不勉強ってどういうことだ?)
(生きている人間が地獄へ来ても罰せられないとは・・・? 訳が分からぬ。)
 そんな中、砂登季はあることを思い出した。
「ところで、阿臥命は?」
 その言葉で、獄使も何かを思いだしたようだ。
「そうだそうだ。阿臥命のことだ。俺もその男に用事を伝えに行く途中で、お前を見つけたんだ。ありがとうよ。」
 砂登季は獄使の言葉を無視し、周囲を探った。阿臥命の姿がない。
 それ以外にも砂登季は奇妙なことを発見した。先ほどの戦いで、荒らされた自然が既に復活していたのだ。地面には草が生い茂り、花も咲いている。そして、 砂登季の傷も治っており、もう自由に動けそうだ。
 しばらくきょろきょろしていると、阿臥命の霊気がかすかに漂ってきた。はじめは希薄なものであったが、徐々にはっきりとしたものになっていく。
「・・・。そこの草むらに倒れているのがそうではないか?」
 砂登季は指を指した。獄使もそれを見て駆け寄っていく。

「危ない!」
 後数歩で獄使が阿臥命の体に触れるという時に、砂登季は霊波を放った。彼の霊波は獄使と阿臥命の間に強固な壁を造り、阿臥命から放たれた邪悪な霊気を完 全に防いだ。周囲の草がめらめらと燃え始める。
「何だ? 何だ?」
 霊力の壁の向こう側で阿臥命が立ち上がるのが分かった。彼は立ち上がると、空へ咆吼した。
「砂登季・・・、おぬしが地上へ戻ろうとも我が恨みは地上へ刻まれ、永遠にお前を苦しめるだろう・・・!」
 阿臥命の体がふくらんだ。彼の体が徐々に黒ずみ、身長は普通の人間の三倍ほどになった。そして、阿臥命は黒いローブをかぶった巨人となったとき、彼は再 び叫んだ。
 阿臥命の口からあふれ出た霊気は彼の周囲の地面にこぼれ落ち、徐々に広がっていった。それと共に、草木は枯れ、あたりは土が露出した。所々に影を生み出 していた雲も消え、空にはぼんやりと光る太陽の姿だけになった。阿臥命の霊気は、地獄界の環境を完全に変え、砂登季が知っているそれとなった。
 阿臥命は地獄の変貌ぶりを確認すると、ゆっくりと空へと消えていった。砂登季も、そして獄使も唖然としたままである。

「くっ、阿臥命め・・・。己の恨みを地獄界へ刻みつけるとは・・・。」
 そう言い残し、砂登季も空へ消えていった。獄使は突然の出来事のためにずっと放心状態であったが、やがて意識を取り戻しどこかへ走っていった。

 砂登季は素早く宙界へ移動し、その勢いで地上へ戻った。その間に若干過去へ戻ったようだが、阿臥命の過去を知るにはちょうどよかった。

 当時としては豪華で巨大な神殿風の建物の中を、三人の男性が歩いている。どの男も身分の高そうな服装をして、深刻そうな顔をしている。
「太子様、まだ南部の地区に不穏な動きがあります。」
「そうか・・・。」
 背の高い男が真ん中にいた男に話しかける。彼は頭を丸めていたが、法衣を着ていないため僧侶ではないようだ。
 太子と呼ばれた人物は困ったような素振りを見せた。
「やはり・・・。今まで信仰していた神ではなく、仏を信仰しろというのは難しいな。」
「えぇ・・・。和の思想はすばらしいのですが・・・人とは保守的なものですね。」
 二人の話に一切加わらず、神官は歩き続けている。
「決して神社をつぶしたりすることはないというのに、どうも神官たちは疑ってくるな。」
「えぇ・・・。」
 二人は神官を話に加えようとするそぶりもなかった。しかし・・・。
「ところで、阿臥命よ。」
「はい?」
 太子と呼ばれた人物が、神官の阿臥命へと話をふった。彼は穏やかな口調で答える。
「おぬしはどう思う? やはり、神官たちとはあのように疑い深いのか?」
 阿臥命は手をあごにあて、眉を細めた。数年前に見た神官たちの様子を思い出している。
「まぁ、基本的に神官たちの考えで行くと、仏教は異教徒。国に害をなすものと見られても仕方がないでしょうね。」
「やはりそうか・・・。おぬしのように柔軟な思想をもつ者はおらぬのか?」
「どうでしょう? 和の思想を記した木管などは興味すら持たぬはず。和の思想の詳細を知る人間など国にいないと思われます。」
 神を信じる神官たちの側から考えた場合である・・・
 いつも高度な技術を伝えに来る大陸の人間に混じって、仏を信仰する異教徒が現れ、それを広めようとしたのである。当然、神官たちは反対したが、政治を行 う人間の間に仏教を広めていこうという意見が出始めた。彼らは仏教徒が力説する「和の思想」に共感しているらしい。そして、仏教を広めようとする者と、神 道を維持しようとする者とで政治は真っ二つに割れた。そして、争いが起き仏教派が勝ったのだ。しかし、反仏教派はあきらめずに各地で抵抗活動を広めている のである。
「うーむ。ゆっくりと浸透させるしかないか・・・。」
「はっはっは。阿波山よ、そう気を落とすな。時代の流れは我らを支持している。」
 太子はそう言って、ため息をつく長身の男を励ました。
「しかし・・・。」
 まだ何か言おうとする阿波山を無視して太子は続けた。
「いいではないか。反発するものはその都度、つぶせばいい。やがて、数も減り最後にはなくなるのだ。」
 阿波山は黙ってしまった。
「阿波山殿、太子様は必ず理想の国を作ってくれます。我らは太子様の力にならなければならないのですよ。」
「そうだな・・・。阿臥命、それでは今回の動きはお前に任せようか?」
「え、私に?」
 阿波山は大きくうなずいた。
「神官が仏教を基とする国造りに賛成するとなれば、より効果的に反対派を減らすことができるのではないか?」
 この阿波山の言葉に太子の目が光る。
「阿波山。浅はかな考えはやめろ。名のある神官ならまだしも、籍を抜けた阿臥命が行ってもまったく無意味だ。」
「そうですよ。太子様の言うとおりです。」
 阿波山もすまなそうに頭をかいた。
「たしかにその通りだ。おぬしの霊力は名がとおっているが、神官としての身分はからっきしだったな。」
 そんなことを言われても、阿臥命は嫌な顔せずうなずいた。
 しばらく廊下を歩いていた彼らのもとへ、一人の男性が駆け寄ってきた。両人とも苦しそうな顔をしながら、太子に頭を下げた。
「どうした、垂水岩?」
 阿波山が聞くと垂水岩が一歩前に進み出た。
「太子様。天上界に異変が!!」
「何!?」
 太子の顔がこわばる。
「もっと詳しく話してくれないか?」
「うむ。池兵が天上界の様子を探るために霊体を飛ばしたのだ。すると、天上界では・・・。」
 ちょうどいいところで、垂水岩は呼吸を整えるために深呼吸をし始めた。
「・・・。それで?」
「理由は分からないのですが、盛大に祝っておりました。」
「何をだ?」
「よく分からないのですが、高位の神か仏が復活したようでした。」
「ならばよい。天上界に争いごとがあるのとは雲泥の差だ。」
 太子はそう言って、歩き続けた。今度は太子の後ろに四人が続く形となった。

 日が暮れて、夜になった。初秋の夜は、心地よい風が吹き、虫の音が美しい。一日の疲れを落とすために、太子と阿臥命は酒を飲んでいた。
「ふぅ・・・。天上界の祝賀会に我々も参加したいものだ。」
 酔ったために気がゆるんだか、太子が言う。一方の阿臥命はあまり飲んでいないらしく、顔が赤くない。
「太子様、もう少しの努力です。この国に和の思想が広がり理想郷となるでしょう。その時までの辛抱です。」
「そうだな。それまではお前たちにも苦労をかけるな。」
「とんでもない。私はあなたのために全てをかけています。」
 阿臥命の目は本気だった。その目を見て、満足そうに太子はうなずいた。
「阿臥命、あのとき私に言ったことは本当か?」
「えっ?」
「私が神の化身だと言うことだ・・・。」
 阿臥命は目をつぶった。そして、静かに口を開く。
「そうです。あなたは時津砂天です。遠い昔に時津砂天は何かしらの理由で、消滅したという記録があります。」
「ほぉ・・・。その消滅した神がなぜ、今頃ここに?」
 太子は自分のことなのに、他人事のように聞いてくる。その顔が見たくないのであろう、阿臥命は目をつぶったままだ。
「神の消滅とは神の死を意味します。神は死ぬと、長い年月を経て地上界の人間、地獄界の鬼、もしくは天上界で神としてよみがえります。もちろん、天上界で よみがえらなくても、しばらくすれば天上界へ昇天し再び神となります。あなたは、いま聖徳太子として地上界にいるのですよ。」
「しかし、私には過去の記憶がない。」
「私も神ではありませんから、詳しいことは知りません。しかし、死んだ神は過去の記憶を一切覚えていないそうです。太子様、あなたが神の時の過去を知らな いのも無理はありません。」
「くっくっく。すまないな。未だに信じられないのだ。」
「いえ、誰でもそうでしょう。私があなただったら、きっと同じことを考えます。」
「酔いすぎはよくないな。ついつい、気になってしまう。」
 そう言って太子は立ち上がり、開きかけの障子を前回にした。一瞬にして目の前に夜が広がった。
「思い出すな。泥まみれになったお前があの門から飛び込んできた時のことを・・・。」
 太子は門を見つめながらつぶやいた。阿臥命も立ち上がり、その門を見た。
「えぇ。私は神官の籍を奪われただけでなく、命まで狙われました。備わった霊力で必死で逃げて、ここへ来たのですよね。」
「驚いたぞ。偶然、門の前で太陽を眺めていた私の前に座って、あなたは時津砂天だと言ってきたときは。」
 阿臥命は目を再び目をつぶって、あの日を思い出した。神官たちは、仏教派に破れて対抗策を練っていた時である。瞑想をしていた阿臥命へ神の言葉が伝わっ てきた。その内容、聖徳太子は神の化身ということを他の神官へ伝えたところ、妖魔に取り付かれたと噂され最終的には仏教派のスパイとして殺されそうになっ たのだ。それもそのはずである。仏教派の頂点に立ち、政治を行っていたのは聖徳太子であったのだから。
「ふぅ。太子様、今日はそろそろ寝て明日に備えませぬか?」
「そうだな。月の位置を見て、私もそう思った。」
 太子は押入から布団を引っ張り出して、寝る準備をし始めた。いつかの貴族よりもずっとしっかりしている。阿臥命は頭を下げて、太子の部屋を出た。

 翌日、午前中は何事もなく過ぎ去った。しかし、午後に異変が起きた。
「太子様、大変です!」
 太子に仕える霊力者の一人、池兵が血相を変えて走ってきた。
「どうした? 昨日の天上界の件といい、忙しいな。」
「北東から強烈な霊気を感じます!」
「ん?」
 太子も立ち上がり、北東の方角を見た。確かに、霊気を感じる。
「言われてみれば、そうだ。私に仕えるものの霊気ではないが・・・。どこかの神官か、僧侶ではないのか?」
「そうかもしれませんが、これほど強力な霊気を感じたことはありません。」
「よし。誰かが見てこい。」
 池兵は立ち去った。

「さて、どうしたものか。」
 太子の面倒を見るために、二人は欠席していおり、十一人が丸く座って話し合っていた。
「霊力者ということならば、四人の誰かが行くしかないだろう。」
 小昌という男が言う。
「その通りだ。まぁ、誰が言ってもあまり変わらないから、くじで決めるか。」
 阿波山はそう言って、木の枝の入った缶を取り出した。缶には二十本ほどの枝が入っており、どれか一本だけあたりがある。四人の霊力者は順番に一本ずつ木 の枝を抜いていった。
「おや、私ですね。」
 そう言って、阿臥命が立ち上がった。彼は下が赤く塗られた木の枝を畳に置いて、北東の方角へ飛んでいった。その姿はまるで鳥のようである。

 砂登季は地上界へ降り立った。どこまでも続く田園とまばらな人影を見ていると、なぜか心がなごんだ。田園がなくなったあたりからは建物が建ち並び、人の 往来が激しいようだ。砂登季はしばらくはその場に座り、ぼんやりと世界の様子を見つめていた。
(この様に平和な世界は見たことがない・・・)
 砂登季はふっと自分に近づいてくる霊力者の霊気に感じた。かなりの早さで近づいてくるその霊力者は、阿臥命であろう。
(私の存在に気づき、戦いに来たのか?)
 砂登季は手のひらをかざし、阿臥命へ霊波を送った。
「阿臥命か?」
 砂登季に向かって飛んでいる阿臥命もそれに気づいて、返事をしてきた。
「いかにも。ところで、あなたは誰ですか? そして、なぜ私の名を?」
 その言葉に嘘が混じっているかどうかを砂登季は考えたが、分からなかった。
「私の名前は砂登季。」
「砂登季? 名前の響きからして、大陸から来た方ですか?」
 阿臥命の霊波には敵意が感じられない。どうやら、砂登季に怒りを覚える前のようである。いや、もしかしたらここで砂登季と出会い、交流したことが原因で 怒りを覚えるのかも知れない。
「大陸?」
「おや、ご存じないのですか? 大陸には巨大な国があり、皇帝が支配しております。その国から、定期的に技術を伝えに船を使って様々は人が来るのです よ。」
 この霊波が届いた時には、砂登季と阿臥命はお互いに姿を確認できるほどの距離であった。阿臥命はにこやかにほほえんで着地した。
「こんにちは。霊力者の方。」
 神官でもなく、僧侶でもない謎の霊力者に阿臥命はやさしく対応した。しかし、腹の中ではいつ攻撃されてもいいように準備をしていた。もちろん、砂登季も 同様である。
「こんにちは。阿臥命、私はあなたの名前を知っているのですが、以前どこかでお会いしませんでしたか?」
 とうとう砂登季はじれてこの質問をした。阿臥命の表情は全く変化がなかったが、彼の手があごに当てられた。
「ふーむ。砂登季・・・、砂登季・・・。あいにく、私はお会いした記憶はありませんね。しかし、以前はとある神社に勤めており、その縁で知ったのではない でしょうか?」
 その言葉には嘘は感じられなかった。どうしてこれほど温厚な阿臥命が自分に敵意を抱いていたのか砂登季はますます分からなくなった。
「そうかもしれませんね。しかし、お見受けするにあなたの服装は神官そのもの。以前とは一体どうして・・・?」
「はっはっは、頭の切れる方だ。あなたの想像どおり私はもう神官ではありません。ちょっとしたことで、神官の籍を抜かれ今は聖徳太子様のもとで日本の政治 を行っております。」
 聖徳太子とは一体どのような人物なのか砂登季には想像できなかった。ただ、阿臥命を従えるのであるから相当な霊力者のような気がした。
「気に障るやもしれませんが、以前いた神社とはどこですか?」
 砂登季はできるだけ静かに聞いてみた。
「あぁ、出雲にある雲海神社というところです。大社の下に位置する神社としては、一、二を争う地位ですよ。すぎたことなので、自分でいってもしょうがない のですがね。」
「えっ? 天坂大社ではないのですか?」
 その時、阿臥命の顔が急に険しくなった。
「あなた、今何をおっしゃいましたか?」
(こ、これはマズイ。しかし、もはや隠し通せるはずもないな。)
 砂登季はこう考えて、覚悟を決めた。
「天坂大社につとめていたのではないのか・・・、と言ったのですが。」
 阿臥命の顔がさらに険しくなる。明らかに警戒している。
「天坂大社・・・、なぜその名前を知っているのですか? あなたは一体?」
 阿臥命がゆっくりと攻撃態勢に移っていく。砂登季もつられて構えたが、遠くから誰かが近づいてくるのが見え、動きを止めた。阿臥命も砂登季に警戒しなが ら、近づいてくる人物に注目した。
「おや、阿波山殿だ・・・。」
 阿臥命は自分たちのいる位置を阿波山に伝えるために霊波を送り始めた。阿波山は彼らの周りを一度旋回してから着地した。
「砂登季殿、こちらは阿波山室井という方です。私同様、聖徳太子様に仕えております。」
「これはこれは、はじめまして。」
 砂登季が礼をすると、阿波山も頭を下げた。
「砂登季殿、あなたと会うのは初めてですが、噂は何度となく聞いておりましたよ。」
 阿波山のこの言葉に、阿臥命もそして砂登季にも驚きの表情が浮かぶ。
「そ、そうですか。」
 苦笑いしながら砂登季は答えた。彼には全く心当たりがない。
(阿波山室井・・・。霊力者だが、一体何者だ?)
 そんな砂登季のことを無視して阿波山は続けた。
「阿臥命、彼は決して怪しい人物ではない。私と同じように無宗教の霊力者だ。」
「よくご存じですね。しかし、彼は天坂大社のことを知っていましたよ。」
 阿波山はちょっと考えている様子である。
「うーむ、たしかにあの時はそうだったな。まぁ、この様な情報は理由は分からぬが必ず漏れるもの。そうピリピリする必要はないであろう。」
「し、しかし・・・。」
 阿臥命は承伏しかねる様子だ。阿波山は阿臥命の肩を軽く叩いて言った。
「まあいいじゃないか。これほどの霊力者、味方につければより精力的に太子様の思想が広められる。私の部屋に招こうと思うが、お前も出席するか?」
「えっ?」
 あまりに唐突なために砂登季はしばし呆然とした。相変わらず砂登季の気持ちなど無視する阿波山は、強引に彼の腕をつかみ自分たちが暮らす神殿風の建物へ 連れて行った。彼らが着地する場所には多くの人々が歓迎するために立っていた。
 建物内へ着地した阿波山の表情が一瞬笑ったように見えたが、どの面々もそれを歓迎しているものと考えた。

「まぁ、何も出ないがくつろいでくれ。」
 座布団の上に座らされた砂登季に阿波山は声をかけた。砂登季は相変わらず混乱したままで、そわそわしている。
「阿波山殿、どうしてこのようなことを?」
「先ほどの会話から察して欲しいなぁ・・・。お前は神も仏も信じない無宗教の霊力者だ。このような人間は珍しいが、俺もその一人。」
 そう言って、阿波山はうれしそうに自分を指さした。それから、一呼吸置いてこう付け加えた。
「どうも無宗教の霊力者は煙たがられてな。今、太子様がそのような風潮を消そうと努力しているがまだ時間がかかりそうだ。要するに俺と同類の霊力者が来 て、うれしくなって招待したのだ。」
「はぁ・・・。」
 本当にそんないい加減でいいのかと砂登季は疑問に思ったが、言わなかった。
 阿臥命は建物へ着いた時に、用事のために自室へ戻ったきりここへ来ない。砂登季は罠を仕掛けるのではないかと疑ったが、周りにいる霊力者があまりにも実 力者揃いなのでやめた。阿臥命と阿波山が同時に攻めかかってきたとすると、砂登季は対抗できないことは自分でも分かった。
「ところで、あなたはどうして霊力者になれたのですか?」
 砂登季は素朴な疑問を口にした。これは自分に対する疑問でもあるのだ。
「それはお前も俺も同じことさ。どうして霊力が扱えるのか、その疑問には気が付いたら仕えるようになっていたとしか答えられないだろう。」
 衣がすれる音がして、阿臥命が部屋に入ってきた。先ほどのように警戒している様子はない。
「それは私も興味がありますね。お二人はどうして霊力者になれたのか・・・。ただでさえ、僧侶も神官も血のにじむような努力と祈りを行わなければ霊力を扱 うことはできないというのに、何度聞いても全く答えが見えてこないのですよ。」
 部屋にいる三人は黙り込んでしまった。どことなく奇妙な空気が漂っている。
(とりあえず、客として何か話題を切り出すか・・・。)
「と、ところで聖徳太子とはどのような方ですか?」
 阿臥命は目が点になったが、阿波山は驚いた様子もなく質問に答えてきた。
「我々が使える立派な人物だ。太子様は仏教を中心として国の発展を進めなければならないと考えている。現在は、政治の世界でも高い位置にはいないが、いず れは先頭に立って日本を引っ張ってくれるだろう。」
 阿波山は力を込めて説明をしている。彼の説明には阿臥命も異論はないようだ。説明をし終わると、阿波山は思い出したかのように阿臥命の顔を見た。
「そうそう、太子様は今晩、鶴平宮での祝い事に出席する。そこで一泊するつもりらしい。」
「どおりで霊気を感じないわけですね。ところで太子様は出席に消極的だったはず。」
 阿波山が頭をかく。
「いや、今後のことを考えれば是非出席すべきと俺が進めたんだよ。太子様も力説する俺の姿を見て折れてくれて・・・。」
「おやおや・・・、どちらの立場が上かこれでは分からないですね。まぁ、あなたの言うとおり今後のことを考えれば出席した方がいいものですからね。」
 砂登季はぼんやりと会話を聞いていたが、聖徳太子という人物がますます気になってきた。
「おっと、夜も更けた。砂登季殿、今夜泊まる場所をお探しではないですか?」
 高い位置まで移動した月を見て阿波山が言った。
「えぇ、まあ。」
 阿波山はにやりと笑い、阿臥命の顔を見た。
「どうでしょうな。毛路も太子様に同行して部屋を空けている。そこへ泊まっていただかないか?」
「そんなことをしていいのでしょうか? 全く見ず知らずの人間が留守中に部屋に入ってきては、毛路殿も困るのでは・・・?」
「しかし、あの部屋はあなたの隣の部屋。監視しようと思えば、できるぞ。」
「・・・、確かに。」
「悪いな。俺の隣は両方とも空いていないのでな。」
 阿波山が頭を下げたので、阿臥命もしぶしぶ要求を受け入れた。彼は立ち上がり、砂登季を手招きした。
「どうぞ、こちらへ。」
「すみません。」
 阿臥命と砂登季がいなくなり、阿波山は一人きりになった。彼はしばらく月を眺めていたが、肩を揺らして静かに笑い始めた。
(砂登季、戻るのはお前ではない。俺だよ。)
 阿波山はしばらく笑っていたが、やがて眠る準備を始めた。

「どうぞ、こちらが今晩のあなたの部屋です。」
 今晩というところを強調しながら、阿臥命は砂登季を案内した。彼は無言のまま部屋に入り様子を見た。阿波山の部屋と造りは変わらないようだ。
「それでは、私はこれで失礼しますよ。」
 阿臥命がそう言って立ち去ろうとした時、砂登季が彼の腕をつかんだ。阿臥命は相手が攻撃してくると思い霊気を発したが、砂登季は笑って彼を部屋の中へ連 れ込んでしまった。
「いくつか聞きたいことがあるのだが・・・。」
「あの、私は眠いのですが・・・。」
 砂登季は阿臥命の言葉を完全に無視した。
「阿臥命、あなたはなぜ神社から追い出されたのですか?」
「えっ?」
 砂登季の目が不気味に光った。
「あなたほどの霊力者、神社も手放すと痛手になるでしょう・・・。」
「確かにそのとおりです。真実を公表する時期を誤ったために、私はこのような状況になってしまったのです。」
「と、いうと?」
 阿臥命は話そうかどうかためらったが、ここまで言ってしまったのだと覚悟を決めて口を開いた。
「先ほど話したとおり、太子様は仏教の思想を広めておられます。しかし、太子様は神の化身、いや正確に言えばかつて原因不明で蒸発した神、時津砂天が地上 界で転生した姿なのです。」
 時津砂天の名前を聞いた時に、砂登季の胸は高鳴った。しかし、表情に出ないように必死でこらえた。
「ほお、神が仏の教えを広めているとは、笑い話というかなんというか。」
「私も信じられませんでした。しかし、私が祈り続けた結果、天上界の神が教えてくださったのです。それを嘘だということはできません。私は神官だったので すから。」
 砂登季は腕組みをした。
「要するに、神の化身が仏の思想を広めようとしていると神社で言ったために、追い出されたということですか。」
「ええ。政治の中心が仏教派となり、一部には神仏共存派の神官が出てきたのですが、私がこの事実を発表したのは互いにいがみ合っていた時期です。私は異教 徒以下の悪魔のような扱いで追い出され命を狙われましたよ。」
 阿臥命は寂しそうに笑った。砂登季はねぎらいの言葉一つ口にせずに、次の質問をした。
「ついでにもう一つ。阿波山殿は一体何者なのですか?」
「さあ。私が太子様に仕える前からここにいましたよ。とにかく優れた霊力者でして、無宗教とは思えませんよ。」
「彼が生まれた場所などは分かるのでしょうか?」
「全く。大陸から来たという話や、山ごもりをして自らの悟りを開いていたとか様々な噂を聞きますが、当人は親に捨てられ太子様のお父様を警備していた人間 に拾われたと言い張っています。しかしそれを確認するすべはないのですがね。」
 自分の過去を知っているという阿波山の言葉が未だに気にかかる砂登季であったが、全く解決の糸口はつかめそうにない。
「では、最後に。聖徳太子には様をつけているが、仲間同士には殿をつけている。これは何か意味があるのか?」
 阿臥命は目を見開いたまま固まった。
「そ、そういえば・・・。様よりも殿の方が格上という感じを受けます。なぜでしょうね・・・?」
「神の化身、聖徳太子の考えることは並の人間には分からぬと言うことですか。」
「でしょうな。しかし砂登季殿、せめて太子様の名前を呼ぶときは敬称を付けてください。それから、神の化身とはいえ太子様には神として活躍されていた時期 の記憶はないのですよ。」
「これは失礼。」
 砂登季は頭を下げた。
「これが本当に最後の質問です。あなた以外に太子殿が神の化身だと主張する霊力者はいるのですか?」
「ええ。我々、太子様の側近の中に霊力者は四人います。全員が天上界の神仏からそれを教わったと言うことです。しかし・・・。」
 突然、阿臥命の顔が曇った。あまりの変貌ぶりに砂登季も不思議そうな顔をする。
「太子様がいくら祈っても、天上界の神仏は教えてくださらないそうです。これも神仏の配慮なのでしょうか・・・。」
 砂登季はまたもや腕組みをした。
(自分自身で確認できないときほど確信が持てないことはない。阿臥命が不安がるのももっともだ。)
「ありがとうございました。お引き留めして申し訳ありません。」
「いえ、お気になさらず。どうぞ、その堅苦しい鎧を脱いでゆっくりしてください。」
 阿臥命はそう言って立ち去った。障子の閉まる音がして、隣の部屋がガタガタしはじめた。どうやら、布団をしまっている押入の調子が悪いらしい。
(そういえば、将軍にもらった鎧のまま過ごしていたのか・・・。)
 帯刀し、鎧を着ている砂登季の姿は、この時代では完全武装に近い。これならば霊力者でなくとも警戒されると砂登季は思った。そして、そんな姿の彼に一切 敵意を示さずに部屋へ招いた阿波山に対する謎も深まっていった。
「寝るか・・・。」
 念のために結界を張り、剣に霊気を送った。普通の人間ならば結界の中に入り込めないし、仮に結界を破り中に入ってきても剣が勝手に攻撃してくれるだろ う。砂登季は鎧を脱いだだけの姿で布団に入った。

 鶴平宮での宴会は最高潮に達していた。出席した面々に酒が回り始め、人々は陽気に話している。
「帝は和の思想に賛成しておられる。それなのに、どうして神官たちは従わないのだろう。」
「さあね。これは想像だが、やはり神官たちは日本に他の宗教が入ってくると、信者が減るからではないか?」
 しばらくすると、気がゆるむのかこの様な愚痴にも近い話がぽろぽろと出てくる。
「まあまあ、土の中に雨がしみこむようにじっくりと和の思想を浸透させていけばいいではないか。帝の力は絶対であり、この政治基盤は永遠に揺るがないであ ろうから。」
 まだ若い聖徳太子も笑いながら会話に加わった。
「ふっふっふ。太子よ、お前の力には期待しているぞ。まだ地位は低いとはいえ、おぬしの論法は非常にすばらしい。それに、お前に従う者たちも優秀だから な。」
「恐れ入ります。」
 徐々に眠気を訴える人間が現れ、空席がぽつぽつとできはじめた。太子も大きなあくびをしたと思うと、皆にいとまを告げて部屋を出た。外で待機していた女 中が、彼が眠るための部屋へ案内した。
「さて、明日も活動をしなければ・・・。」
 太子は用意されていた布団に潜り込んで目を閉じた。しかし、彼の敏感な感覚は枕元の霊体の存在を確認した。
(阿波山、何の用だ?)
 阿波山の霊体は頭を下げた。そして霊波で太子に呼びかけた。
(このような時におじゃまして申し訳ありません。しかし、太子様に是非とも伝えておきたいものがあります。)
(ほお。それは何だ?)
(霊力者でございます。私同様、無宗教の霊力者が久徳宮付近に現れました。)
 久徳宮とは、砂登季が現在眠っている神殿風の建物のことである。
(その様子だと敵ではないな。そうすると味方か?)
(それは分かりません。おそらく敵意は示しておらず、説得すれば我らの強力な味方となりましょう。)
 聖徳太子は笑った。
(おぬしもふらりと現れた気がする。時々思うのだ、おぬしはいったいいつから私の周りにいたのかと。)
(俺も詳しくは覚えておりません。ずっと昔から・・・。そう、ずっと。)
(ところで、その霊力者の実力のほどは?)
(おそらく俺と肩を並べる実力です。さすがに時津砂天の化身である太子様には及ばないようですが。)
 その言葉に再び太子は笑った。
(その化身という呼び方はやめてくれ。私自身では確認ができないのであるから。)
(申し訳ありません。しかし、太子様はこの事実を信じてもいい時期ではないのですか?)
 太子の顔が険しくなった。
(いまはその話をする気分ではない。用事とはそれだけか? そうならば、去れ。)
(はっ・・・。)
 阿波山の霊体はゆっくりと消えていった。太子はしばらく、霊力者のことを考えていたが、やがて内容が霧のようにぼやけ始め、やがて夢の世界へと落ちて いった。

「おのれ! 砂登季!!」
 目の前の青年が手をかざしている。その手からはこれまで感じたことのないほど強烈な霊波が送られている。それを受ける身は、徐々に蒸発していく。もはや この動きに逆らうすべはない。
「神である私が・・・、この私が愚かなる人間に負けるとは・・・!」
 聖徳太子は二人の闘いを空から見ていたが、霊波により消滅したのは、自分自身の気がした。しかし、外見も全くの別人である。
 そのことを疑問に感じた時に視界が暗転した。
「ここは・・・? そしてあなたは?」
 真っ黒な空間に、敗北者は漂っていた。すると、遠くから一人の神らしき人物が飛んでくる。すかさず、敗北者は神に聞いたのだ。
「・・・。」
 神は答えなかった。
 敗北者は自分自身を見ると、再び消滅しているのが分かった。敗北者は存在も、意識も消えた。神はその光景を寂しそうに見つめていた。そして、上から眺め ていた太子の顔をちらと見て口を開いた。
「この大鬼神に怒りを抱いているのか? この私に敗北せし、神の化身よ。」

「・・・!!」
 聖徳太子は目を覚ました。障子から差し込む光がまぶしい。
「夢?」
 夢の最後で現れた謎の神の顔を太子は思いだした。何者なのかは分からないが、以前あったことのある顔であった。
(あの戦いに負けた神が私ならば、もしかすれば私は神の化身?)
 そんなことをぼんやりと考えていると、女中が朝食の準備ができたと呼びかけてきた。太子は布団から出て、朝食の用意された部屋へと移動した。

「砂登季殿、お目覚めですか?」
「ええ。」
 阿臥命が、縁側に座っている砂登季の姿を見て呼びかけた。鎧を着た砂登季はにこやかに答えた。
「昨日はよく眠れましたか?」
「はい。」
「あ、そうそう。もう少しすると朝食ですから、その時までゆっくりしてくださいね。」
「どうもすみません。」
 阿臥命はゆっくりと垂水岩の部屋へと移動した。
「垂水岩殿、砂登季殿についてどう思う?」
「少なくとも敵ではなかろう。しかし、ちょっと気になることはある。」
 垂水岩は阿臥命の手を握った。垂水岩の手から、阿臥命へと意志が伝わっていく。
(阿波山殿の様子がおかしいのでな。)
(それは、彼と同類の霊力者が現れて喜んでいるのでは?)
(いや、裏で何かがあるように思われる。)
(そんなことは感じなかったが。)
(まあ私が深くかんぐっているためかもしれないな。しかしそのことを頭に入れておいてくれ。)
 垂水岩はそう言って手を離した。阿臥命はうなずく。

 毛路を除いた聖徳太子の側近、十二人と砂登季の朝食は何事もなく過ぎ去った。朝食が済むと側近たちはそれぞれの活動のために久徳宮を出ていってしまっ た。唯一、阿臥命が太子の出迎えをするために残っているだけで、砂登季は庭をうろうろしていた。
「お帰りなさいませ。」
 牛車が入り口で止まり、一人の青年が出てきた。青年が門をくぐると、待機していた人間たちがいっせいに頭を下げた。
「・・・!!」
 太子の姿を見た時、砂登季に戦慄が走った。
「あの人物・・・、いやあの霊気、間違いなく時津砂天!!」
 いま彼に攻撃を仕掛けた場合、無関係の人々も巻き込んでしまう。砂登季はそう思って、彼に攻撃を仕掛けるのを思いとどまった。太子は砂登季には全く気づ かず屋敷の中へ入ってしまった。
「砂登季殿、ここにいましたか。」
 阿臥命が笑いながら近寄ってくる。
「砂登季殿?」
 砂登季が返事をしないので、阿臥命は再び呼びかけた。
「すみません。ちょっと考え事をしていましたので。」
「そうですか。太子様がお待ちです。どうぞ、こちらへ。」
「はい。」
 砂登季はそれ以上何も言わずに、阿臥命に着いていった。
(まさかここで出会うとは。時津砂天、あなたには聞きたいことがあるが、どうやら私の体はあなたを消滅させなければ気が済まないようだ。無実の人間を殺す ようにたぶらかした罪は、あなたの命で償ってもらうぞ!!)
 砂登季の思想はより過激により悪に近いになっていた。しかし、一方でそれを抑えようとする心の声がする。
(いや、一度は面と向かって意見を聞くことも大切だ。それで納得できなければ殺すのもかまわず。それに、あの男が時津砂天であることを確認しなければ、ま た無実の人を殺すことになるぞ!)
 砂登季の葛藤は心を裂くように激しくうごめいた。彼は必死で顔に出ないように努力はしたが、背中からは汗がたらたらと流れ落ちた。
「こちらです。」
(さあ、目が合い次第、己の全てを賭けて時津砂天を討て!)
(落ち着け、まずは議論からだ。)
 いよいよ対面できると思うと砂登季の胸は高鳴り、その場に座り込んでしまいそうになった。
 阿臥命により障子が開かれ、砂登季は一礼して中に入った。部屋の奥には座布団に座った青年がいた。その顔は時津砂天とは似てもにつかぬものである。
(人違いか!? しかし、この霊気は・・・)
 砂登季は部屋の中心に座り、太子に礼をした。後から阿臥命が障子を閉めて中に入ってきた。
「あなたが砂登季ですか?」
「はい。」
 はたしてちゃんとした返事ができたかどうか砂登季は不安であった。彼の心は荒らしの海のように揺れ動き、その揺れが声にも伝わっているようであった。
「すばらしい霊力を感じます。あなたの目的は・・・。」
「私の目的は・・・。」
 砂登季はほおを伝わる汗の冷たさを痛いほど感じた。
(さあ、聞くのだ! この男の正体を!!)
「私の目的は・・・あなたの正体を確かめることです。」
「何!?」
 太子、阿臥命ともに顔がこわばる。
「砂登季・・・。おぬし、以前私に出会っていないか? 実は昨晩の夢にお前が現れた。」
 太子は一呼吸置いて、逆に砂登季に質問してきた。
「私は以前、あなたに会っています。いえ、正確に言えば時津砂天に・・・。あなたは時津砂天の化身でしょう?」
 にわかに不穏な空気が漂いだし、阿臥命は攻撃態勢に入った。
「あなたまでも私が時津砂天だと言うか・・・。すると、昨日の夢で私が見たあの人物は・・・。」
 太子は夢に出た敗北者を思いだした。あれは本当に自分だったのか? その答えは永遠に出ないであろう。そして、その人物が時津砂天なのかも分からないで あろう。
「時津砂天の化身であることを認めるのですね?」
 砂登季は熱を帯びた声で聞いた。
「いや・・・。」
 しかし太子は冷たく答えた。
「なぜです!? あなたから漂う霊気はまさに時津砂天のそれです!」
「砂登季殿、それくらいにしたほうがいいのではないですか? 太子様はご自分で神の化身であることを確認できなければ納得しないとおっしゃっておりま す。」
 たまりかねて阿臥命が声をかけた。
「あなたはなぜ私をたぶらかしたのですか? そのために私は無実の人間を殺してしまいました。神は人を導くもの・・・。それなのに、悪の方向へと導いたの はなぜですか?」
「私が神の化身と言うことは認めぬ。」
 この太子の言葉で全てが決まった。ため込んだ砂登季の感情が一気に吹き出したのだ。
「・・・。聖徳太子! いや、時津砂天、あなたを討つ!」
 その声で砂登季は剣を引き抜いた。
「お待ち下さい!!」
 阿臥命が慌てて霊波を発し、聖徳太子に振り下ろされた剣はむなしくはじき返された。砂登季は怒り狂った目で阿臥命をにらみつけた。
「砂登季殿、あなたは敵か味方か・・・? 太子様を傷つける人間は私が許しません。太子様を討つ前に私と勝負を・・・。」
 無言のまま砂登季は阿臥命に近づいた。阿臥命はふわりと宙に浮き、山の頂上まで飛んでいった。砂登季もそれに続く。
「まさか・・・。私はここで?」
 残された太子はしばらく考えたが、阿臥命と砂登季の後を着いていった。仮に阿臥命が倒された時のことを考えれば、久徳宮で戦うことは得策ではない。霊力 者どおしの戦いの場合、あの程度の広さの建物、一瞬で破壊されてしまうだろうし、そこに仕える無関係な人が命を落とす危険がある。

「さぁ、ここで心おきなく戦いましょうか・・・。」
 阿臥命の顔には影があった。
(私は太子様のために命を捧げ今まで仕えてきた。ここで命を落としても悔いはない・・・。ただし、もし太子様まで命を落とした場合は・・・。)
「阿臥命、あなたは私に勝てぬよ。」
 砂登季は笑いながら剣を振り下ろした。阿臥命はそれをかわす。剣の描いた弧の延長線上の木が次々と倒れていく。
「力だけに頼っては駄目ですよ・・・。」
 阿臥命は不適に笑い、砂登季に手刀を突き立てた。しかし、それはあっさりとかわされた。無造作にのびた阿臥命の腕は、砂登季の剣で切断されてしまった。
「愚かな・・・。」
 痛みで絶叫する阿臥命に砂登季はそれ以上攻撃を加えるつもりはなかった。あの痛がりようでは、とても戦えないと判断したのだ。
「さて、時津砂天よ、私の怒りを受けろ!」
 二人の短すぎる戦いを見ていた太子は慌てて攻撃態勢に入った。わずかにゆがんだ唇の砂登季の姿が消えたと思うと、太子の衣が切り裂かれた。そこから、血 が飛び散る。
 その光景を見た阿臥命が再び絶叫した。
「太子様!!」
 彼は滝のように血が流れる傷口を押さえて立ち上がった。そして、足下に転がる自分の右腕をつかんだ。
「砂登季! 私を倒す前に太子様を・・・。」
 もはや棒きれと化した己の腕を阿臥命は砂登季にたたきつけた。しかし、それは砂登季の剣によって切断された。地面に指先がポロポロと落ちる。
「まだ立てるではないか・・・。」
 砂登季は不気味に笑い、体から霊気を放出した。彼の髪の毛がいっせいに逆立つ。その霊気にはかすかに妖魔のそれが混じっていた。
「うおぉぉぉぉっ!」
 次の一撃で、手首より腕が切れた。そして次の一撃で肘から上が落ちた。そして、つぎの一撃で阿臥命は左手も失った。自らの手を武器に戦う阿臥命の姿は、 妖魔でも鬼でもないえもいわれぬ恐ろしさを漂わせていた。
「ぐっ・・・。」
 傷口を押さえる手を失った阿臥命はその場に崩れ落ちた。もはや立ち上がるために体を支える手はないのだ。
「愚かなやつだ。もう武器は握れまい。」
 阿臥命は己の未熟さに怒りふるえていた。しかし、彼は霊力で体を宙に浮かせ砂登季に突進してきた。もう全てを犠牲にした決死の突進であった。
 手のない左腕が地面に落ちたかと思うと、両腕のない上半身と、下半身が地面に落ちてた。そして、それらの間を血が埋めていく・・・。阿臥命は砂登季の手 で葬られた。
「聖徳太子・・・。先ほどの攻撃は致命傷にはしていない。まだ戦えるな?」
 太子は痛みをこらえながら立ち上がった。彼は砂登季の姿をじっと見つめた。
「阿臥命は命をかけて私を守ってくれた。」
「しかし、阿臥命はもうお前を守ってはくれぬぞ。」
「・・・。」
 目をつむった太子は砂登季へ手をかざした。その瞬間、強烈な衝撃が砂登季を襲った。思わず彼はその場にしゃがみ込んだ。体がきしみ、どころどころから血 がにじみ出した。
「・・・。私が神の化身だとするのならば、人間が私に勝てるはずがない!!」
 その声で、太子の放つ霊波がさらに威力を増した。砂登季はもう体を動かすことすらできない。
(これが・・・神の実力か。私など手も足も・・・。)
 地面がくぼみ、砂登季はそこへ食い込んでいく。
「つぶれて死ね・・・。砂登季!」
 勝利を確信した聖徳太子の声が聞こえる。その声は、時津砂天そのものであった。
(ここで、負けるわけにはいかない・・・。)
 砂登季は慌てて地行術を使った。彼の体は土の中に潜り込み、太子の霊力は届かなくなった。
「負けた・・・。」
 土の中で砂登季はうつむいた。砂登季の今の実力では、聖徳太子には手も足も出ない。
「いったい、どうすれば・・・。」

(けっけっけ。砂登季! 私はまだ戦えるぞ!!)
 魂となった阿臥命の声がしたかと思うと、砂登季は一瞬にして地上へ巻き上げられた。勢いは衰えずに、砂登季はさらに上へ、宙界の方まで飛ばされた。それ を確認した阿臥命は、満足そうに天へ昇っていった。
「阿臥命・・・、そこまで私のことを・・・。」
 決して太子の手を煩わせないようにつとめた阿臥命の姿に、聖徳太子は感動して見つめていた。彼は砂登季が降りきてもいいように、そこに座り上を見つめ た。

「阿臥命、執念深いぞ。死者として素直に神に裁かれ、行く道を決めろ!!」
 地上界と宇界の中間で砂登季は叫んだ。
(うおおおおお。砂登季、砂登季、私はお前を倒す・・・。)
 阿臥命の心は砂登季に対する恨みという感情に支配されていた。それにより魂が作る姿も変化しており、阿臥命の姿は妖魔とほぼ変わらない。
(砂登季、私はお前を許さない。私は、太子様を守る・・・。)
 妖魔の姿へと変貌した阿臥命は砂登季に近寄ってくる。霊気をただもんもんと発して近寄る阿臥命は恨みに突き動かされているだけであり、隙だらけであっ た。その姿を見た砂登季は急に戦う意欲がなくなった。
(恨みは力を増す。しかし、恨むだけで戦う意志のないやつと戦う気はない!)
 砂登季は阿臥命をにらみつけた。
(砂登季、うらめしき霊力者よ・・・。)
「阿臥命! それほど聖徳太子が守りたければ、地上へ戻れ!!」
 怒りにより何倍にも増幅された砂登季の霊波は、阿臥命の魂を地上へたたきつけた。霊波を浴びた阿臥命の魂は、黒ずんだ物体と変化し、地上にぶつかった衝 撃で飛び散った。
「な、なんだ!?」
 黒ずんだ阿臥命の魂は霊力者でなくとも見ることができた。砂登季が降りてくるのを待っていた太子は、見たこともない黒ずんだ物体が振ってきたために全く 動けなかった。地面にぶつかり、飛び散った物体の一部は聖徳太子にもこびりついた。
 黒い物体は聖徳太子からはがれ落ち、徐々に集まり大きくなっていく。そして、それは不気味な妖魔の姿へと戻った。不気味に輝く目で聖徳太子の顔を見た妖 魔は、いとおしそうに聖徳太子によりかかろうとした。太子は慌ててそれをさける。
(太子様、私はあなたを守ります・・・。死しても私は天上界へ行きません・・・。)
 聖徳太子は目の前にいる妖魔が阿臥命だと分かった。しかし、彼は阿臥命を突き放した。
「阿臥命、死者は宙界へ行き、神の裁きを受けるのがつとめ。私にはまだ忠誠を誓う仲間がいます。どうか、安らかに天に昇ってくれ!!」
 妖魔はその場に座り込んだ。そして、苦しそうな声を上げた。
(太子様、これほどまでに忠誠を誓った私はもう不要なのですか? それとも、もともと私など無用だったのですか・・・?)
 阿臥命の魂は、身も心も妖魔となってしまったようだ。彼の体に蓄積された恨みは、体から拭きだし大地へと広がっていった。その恨みに触れた草木は枯れ、 じょじょに荒れ地が広がっていく。
「このままでは・・・!」
 太子は阿臥命を宙界へ飛ばすために霊波を送った。しかし、阿臥命の執念は地面に深く根を下ろし、なかなか動こうとしない。荒れ地は徐々に広がり、山頂は 完全にはげ山となった。
(このままでは、この周囲が完全に不毛の土地となってしまう。阿臥命はもはや魂ではない。妖魔だ!!)
 そう確信した太子は必死で霊波を発したが全く通じない。もはやこれまでと太子があきらめかけた時、阿波山の霊波が届いた。
「太子様。この妖魔は!?」
 阿波山の協力を得て、妖魔は無念の咆吼を残して宙界へと飛ばされていった。それを確認した太子は阿波山に礼をした。
「あの砂登季により倒された阿臥命の無念の魂だ。」
「そ、そんな。では、阿臥命は・・・。」
 その時になって太子の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。彼はぼやけた目で、血まみれになった阿臥命の体を指さした。それを見た阿波山も顔を押さえ、その場 に座り込んだ。
「太子様、砂登季は・・・?」
「分からぬ。肉体を持ったまま宙界へ飛ばされたことは分かっているのだが・・・。」
 その後、太子の泣き声が全てをかき消した。その声はしばらく森の木々を揺らし、空を曇らせた。
「阿臥命の葬儀をせねば。」
 しばらく泣き続け気持ちが落ち着いた太子は、それだけ言って久徳宮へと戻っていった。しばらくうつむいていた阿波山は、太子がいなくなった時に舌打ちを した。
(まさか太子様との戦いで生き延びるとは・・・。)
 阿臥命の死体が動物に害されぬように結界を張り、阿波山も久徳宮へと戻っていった。

 それから数日間は何事もなく過ぎていった。神官との交流をいっさい絶たれていたので、阿臥命の葬儀はごく少数の人間のみにより行われることとなった。バ ラバラになった阿臥命を入れた棺に向かって、聖徳太子の側近たちが祈りを捧げた。そして、和の思想をさらに広めていくことを誓った。
 それぞれが阿臥命への思いを口にし、いよいよ火葬するために運び出されようとした。その時である、そらから不気味な咆吼が聞こえた。オオカミの遠吠えを 大きく、そして長くしたようなその声は、空一杯に広がり地上に降り注いでくるようであった。
「あの声は阿臥命だ! まだ地上界へ未練があるのか!?」
 慌てて外に飛び出した太子は、空から降りてくる阿臥命の姿を見た。はじめはゴマ粒のようであったが、阿臥命の無念の姿は巨大な黒い物体であった。
「お前は阿臥命か?」
 漂う霊波からして阿臥命ということは分かっていたが、太子は相手に尋ねた。
「おおお・・・。いかにも、お前は誰だ? お前は砂登季ではないな? 砂登季、恨めしき男よ・・・。どこだ・・・、どこだ・・・。」
 黒い物体の声を聞いた時に太子は愕然とした。目の前の阿臥命はもはやかつての彼ではなかった。過去の記憶はいっさいなく、砂登季に対する恨みしか残って いない。おそらく、なぜ恨みを抱いたのかということも覚えていないだろう。
「太子様、これ以上この妖魔をここへはびこらせるのは危険です。彼の霊気は植物を狂わせ、動物を狂わせ、人間の怒りを増幅させています!!」
 太子に続いて外に出た阿波山が言う。
「しかし、相手は阿臥命だぞ!」
 阿波山はうなずいたが、すぐにそれを否定した。
「違います。太子様、目の前にいるのは妖魔です・・・。」
 雲行きが徐々に怪しくなってきた。山の山頂では稲光が見え、風がどんどん強くなっている。どこからともなく、不似合いな祭囃子が聞こえてきた。その音は 時に人の心を鼓舞するように、時に人の心を悲しませるようなしらべである。
「太子様! あなたの霊波で宙界へ飛んだ阿臥命が今まで何をしていたかは分かりませんが、もはや彼は妖魔です。早めに封じなければ、日本の将来に関わりま す!!」
 太子は阿臥命は再び見つめた。黒い、ひたすら黒い塊は上の方についている目を左右に動かし、恨み続ける砂登季を探している。
「分かった。阿波山、垂水岩、池兵、この妖魔を封じるのに協力してくれ。」
「はっ。」
 太子はその場に座り、印を結んだ。その後ろに三人の霊力者が座り、祈り始める。彼らが作り出す霊気は徐々に巨大なものとなり、妖魔の周りを取り囲んだ。 妖魔はにわかに苦しみだしたが、やがて観念したかのようにおとなしくなり、小さくしぼんでいった。そして妖魔は親指ほどの大きさの小石へと変化した。
(砂登季を巻き上げた時よりも力が弱まっている。一体、阿臥命に何があったのだ?)
 封じ終わった太子は疑問に感じた。地獄界で砂登季と戦い、再び倒されたことなど想像すらできないらしい。
 太子は妖魔が変化した小石を拾い、懐にしまった。阿臥命の葬儀は、再会され問題なく終了した。
(太子様、私は過去の全てを失いました。もう私はあなたを支えること意外には存在しません。どうぞ、よろしくお願いします。)
 阿臥命と初めてあった場面を太子は思いだした。

「何ですって? 阿臥命をまつる?」
 天坂大社の完成が間近になり、太子と霊力者が話し合っていた。その時の太子の提案に一同は唖然とした。
「ただの霊力者を神として扱うようにと?」
「太子様、あなたは神の化身、まつるとしたらあなたが先でしょう。」
 霊力者たちは反対をしている。しかし、阿波山だけが賛成派に回った。
「いや、皆考えてみろ。阿臥命の妖魔はいつ封印を解き、この世で暴れ始めるか分からぬ。今後、どのようなことが起きても恨みが増幅されぬように、神として まつるのが得策ではないのか?」
「しかし、実力は別として霊力者の数は増えている。仮に妖魔が暴走してもいつでも封じられるではないか。」
「そうではない。妖魔が暴れることで、この政治の体制が崩れるとも限らない。早めに危険因子を取り除くほうがいい。」
「阿波山の言うとおりだ。妖魔が現れ、その都度国民がおびえ、政治に影響が出ては国力を高めることはできない。どうか、私の意見を受け容れてはくれぬ か?」
 太子は頭を下げた。その姿を見て、霊力者たちは黙ってしまった。
「分かりました。太子様の意見、私は賛成します。」
 池兵がそう言うと、他の霊力者たちも頭を下げた。
「すまない。」
 太子は再び頭を下げた。
「ところで、太子様。阿臥命はいかなる神としてまつるのですか?」
「八百万の神々がいる日本だ。阿臥命は天一月戦の話に出てくる刑神の化身ということでまつろうと思う。」
「刑神?」
「ああ、裁神とは少し違う役割の神で、もともと数が少なく話に登場することも少ない。しかし、刑神はどの面々も天御中主神などの最上級の神々に匹敵する実 力者だという。」
 天一月戦とは天上界に妖魔の集団が現れたという話である。その時、天上界は突然の奇襲で、妖魔に征服されかけたという。しかし、天上界にいた神々は苦労 しながら妖魔を封じ、再び天上界を安定させたというものである。神々ですら回復までに一ヶ月苦労したという伝説の戦いであり、そこで活躍しもっとも成果を 上げた神の一人が今の天皇の血を引くということになっている。しかし、この天皇の血を引くという部分は聖徳太子が極秘で書き換えさせた部分であった。決し て悪気があったのではなく、神官や僧侶たちを従わせるためにやったことであった。太子はこのことを死ぬまで口にしなかったという。
 太子は無言で阿臥命が封じられている石を取り出した。
「阿臥命の姿をかたどった木像を作らせる予定だ。そして、その右目はこの石を使わせる。」
 その太子の考えに誰も反対しなかった。
「そして、さらに万全を期するためにこの天一月戦のことが書かれている文章は禁書として扱い、天坂大社の奥に封印する。過去を正しく伝えなくてはならない とは思うが、日本の平和のためだ。」
 この言葉に霊力者たちは唖然としたが、太子の言葉に従った。

 数週間後、阿臥命の像は完成し、箱に入れられ天坂大社に置かれた。太子は別に天一月戦の話を記した本を作らせ、阿臥命は登場する三人の刑神の中から、醒 闘大鬼神(めざめいくさおおおにのかみ)の化身であるということになった。ちなみにこの神は、刑神の中でもっとも実力があったらしい。
 天坂大社につとめる神官は、太子の思想に賛同し、神社から抜け出してきた者ばかりである。そういう神官たちにより、阿臥命の像に祈りが捧げられた。阿臥 命の像の入っている箱は、本殿の隅の方に置くこととなった。
(おのれ、聖徳太子・・・。大鬼神として私をまつるとは・・・。大鬼神は・・・、大鬼神は・・・。)
 阿臥命の像の右目が不気味に輝いた。それと共に、像の右腕がゆっくりと消滅した。しかし、箱の中にあったためにこの光景を目にしたものはいない。

「統鬼、大変だ!!」
「どうした、獄使?」
 一人の鬼に向かって獄使が駆け寄ってきた。
「地上の霊力者が不気味な術を使い、阿臥命を強大な妖魔としてしまったのだ。」
 この獄使、砂登季と阿臥命が地上へと戻るのを目撃した人物らしい。
「それがどうした? 俺たちは地獄界が一瞬で荒れ地となった原因を探っているのだぞ。」
「だから地獄がこうなったのは、その妖魔が原因なのだ。」
「何!? すると、地上から来た霊力者に阿臥命が操られ、この地獄を荒れ地に変えたということか?」
 獄使はうなずいている。鬼はちょっと考えてから、地獄を治める神々のいる神殿へ獄使を連れて行くことにした。
「おのれ・・・地上の霊力者め。いったい何が目的なのだ?」
 馬に乗る鬼と獄使は怒りを増幅させていた。


 ゆっくりと絡まった糸が一本の糸へと変わっていきます。
 いよいよ砂登希の暴走(冒険)も最後になります・・・。



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