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SSの幼生


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最強の男 第四部
「あれ・・・?」
 夕暮れが近づき、本日の発掘調査が終了した。平岩青年は掘り返された土を指定の場所まで一輪車で運んでいる時に、一機のヘリコプターを発見した。発掘現 場の上空を飛行機が飛んでいることは珍しくはないが、ヘリコプターはまず見かけない代物である。しかも、こんな人里離れた熱帯林に近づいてくるヘリコプ ターが警察のもののなのだ。
「・・・?」
 羽音に気づいたらしく、調査団の数名が平岩青年と同じ方向を向く。
 ヘリコプターは徐々に現場に近づき、崩れかけた寺院付近の平地に着陸した。そして、プロペラの回転が終わる前に警察官が飛び出してくる。
「・・・、ここに警官殺しの凶悪な男が、来たと彼らは言ってる。」
 警察官の言っている内容を通訳が説明している。発掘調査を企画した老人が返答をする間もなく、数名の警察官が銃を片手に付近を調査している。彼らはここ が発掘現場だと分かっているらしく、犯人にも足下にも注意して行動している。
 発掘隊員も警察官も緊張した状況が数分続いた。警察官が持っているセンサーは、ずっと近くに犯人がいることを示しているのだが、なかなかみつからないら しい。しばらくして、先ほど平岩青年が土を運んでいた小山に警察官が集まり始めた。警察官は、置かれているスコップを借りて、慎重に小山を崩す。
「・・・? ずいぶん変わった場所に犯人は隠れますね・・・。」
 老人が平岩青年に冗談を言う。しかし、平岩青年は顔が真っ青になっており、返事をするどころか、視点すら定まっていない様子だ。先ほど自分が土を捨てた 場所に凶悪犯が隠れていたなどとは考えたくもないだろう。
 今にも倒れそうな平岩青年を無視し、警察官はますます盛り上がっている。そして、残念そうな顔をした警察官が、老人元へ近寄ってきた。
「どうやら、昔の戦争で・・・使っていた装置が・・・センサーに反応したらしい。警察の・・・。」
「要するに、誤報ですかな?」
「・・・、そうだと言ってます。」
 警察官は、老人に土で汚れた金属塊をわたした。それを見た平岩青年は大きなため息をつくと共に、よろよろと休憩所へ戻っていった。


「・・・、要するに欧州各国との貿易を許可せよ、と?」
 一人の中年男性が渡された書類を読み終わり、困ったような声で聞き返した。
「その通りです。」
 目の前にいる人物は日本人ではない。高い鼻、茶色がかった髪をしており、黒い軍服を着ている。
「しかし・・・我々は、二百年にわたり清とオランダ以外は貿易をしておりません。」
 書類を丸めながら日本人が続ける。その日本人も目の前にいる外国人と同じように軍区ぷを着ている。
「我々が見たところ、日本の文化は非常に高い水準です。もう蒸気機関がかなり普及しているではありませんか・・・。」
「えぇ、十年ほど前、清国からの使者が伝えたものです。」
「先ほども話したとおり、蒸気機関を開発したのは我が国です。また、欧州の蒸気機関の技術は日本とは比べものにならないほど高いのですよ? 国伝えに技術 を知るよりも、直接最新のものを学んだ方がよいのではないでしょうか?」
「これは私だけで決められる問題ではありません。若干の時間を頂けませんか?」
「どうぞ、ご自由に。では、一月後我々はまた来ます。それまでに決定してください。」
 外国の軍人は日本人に有無を言わせず、さっさと立ち去ってしまった。日本人は大きなため息をつき、自分で丸めた書類を再び読み返した。

「ならぬ。」
 オランダの貿易船に乗っていた、イギリスの軍人・・・。彼は先ほど自由貿易を求めるために江戸城を訪れたのだ。そして、彼の要求を将軍はこの一言で片づ けてしまった。
「数少ない国との貿易により、国のどおしの摩擦を減らし外国との安全を図る。この放心のために、江戸幕府はこの長い間平和を保ってきたのではないか?」
 将軍のこの声で中年男性はますます深く頭を下げた。傍らには、先ほど将軍に渡した書類が投げ捨てられている。
「さらなる平和、そしてより高い技術力を得るために身分制度を変更したばかりではないか? 天皇を頂点に公家と将軍、貴族、藩主、国民・・・。多くの人間 が平等の地位を与えられ、現在の日本の経済成長はどうだ?」
 蒸気機関が伝わる五年前に幕府は身分制度を改正した。そのために多くの人間が身分制度から解放され、商工業が急激に発達した。そして、この急激な発展の おかげで、後に輸入された蒸気機関をスムーズに受け入れることができ、いまでは様々な場面で用いられている。また、蒸気機関の普及は経済成長に更なる拍車 をかけ、日本の経済はますます発展しているのだ。ちなみに、ここでいう身分の藩主とは今で言う政治家や公人のことである。
 将軍の言う、貿易の理論に対する意見は別として、経済成長と結びつけられてしまっては中年男性にも反論の余地がない。彼は必死に謝り、部屋を後にした。
「・・・、やはり外国が開国を求めてきましたな。」
「うむ。」
「しかし、将軍様の目は確かでした。世界の情勢を鋭く見つめ、二百年続いた国の体勢を変えました。」
 将軍の前に出た老人は一人語りを続ける。
「これによる急激な経済発展により日本は列強や清といった国と肩を並べるまでになっております。これがために、諸外国は対等の貿易しか要求できないではあ りませんか!?」
 老人は顔を声を張り上げ真っ赤にしている。
「ふふふふ・・・。その通りだ。」
 老人は満足そうに下がった。しかし、それと入れ違いに一人の青年が走ってくる。
「朝廷の意見が来たのか?」
 将軍は立ち上がり、一歩前に出た。太陽を覆っていた雲が取れたのか部屋に光が差し込む。その光は、走ってくる青年、部屋の奥で立ち上がる将軍、将軍のい る方向を向き二列で並んでいる人間たちの黒い軍服を照らした。所々に縫われている金属がきらきらと輝き、不思議な雰囲気を醸し出す。
「申し上げます! 朝廷は直ちに開国せよ、と!!」
「なんだと!?」
 将軍だけではなく、その場に控えていた全ての藩主達が驚きの声を上げた。身分改正の時ですら、国の平和と更なる発展のためと朝廷は大いに賛成をしてくれ た。それなのにここに来て朝廷と幕府の意見が分かれたのだ。二百年以上、多くの問題に対し全く同じ意見を述べ、いっさいの摩擦が起きなかった朝廷と幕府の 間に初めて亀裂が生じたのだ。

 光のような速さで砂登季は暗闇を突き進んでいく。別に本人が進もうとしているのではない。勝手に進んでしまうのだ。
 どこへ行くのか分からない不安もあったが、砂登季は別のことを考えていた。
「津時砂天・・・。」
 葵塞を倒した後、気づくと墓地にいた。それは砂登季が今まで思い出すことができる記憶だった。しかし、あの人物に出会った瞬間、走馬燈のように欠けてい た場面が浮かんできたのだ。
 葵塞を倒し、砂登季の魂は肉体へ戻った。ふいに、彼の体は中に浮き一瞬でこの空間へ昇ってきたのだ。多分、無意識のうちに霊力でこの空間を目指していた のだろう。そして彼はそこで立ち止まっていた。いや、ゆっくりと過去に戻っていたのかもしれない。
「人の子よ。そこで何をしている? お前はまだ生きているではないか・・・。」
 地球と、自分の頭の上にある光の塊を交互に見つめていた砂登季にこのように話しかける声があった。声の方を向くと、そこに立っていたのが津時砂天であっ た。
「あなたは・・・?」
 不思議そうに答える砂登季に、津時砂天は笑って答えた。
「私の名は津時砂天。時間を司る神だ。」
 自己紹介が終わると、彼の瞳がギラリと光った。
「この時代にこれほどの霊力者がいるとは。・・・、おもしろい。」
 その時、砂登季の前に立っていた津時砂天は先ほど見た時と全く変わらない姿であった。
「お前はなぜ追われることになったか分かるか?」
「いいえ。」
「ならば教えてやろう・・・。」
 その瞬間、砂登季はめまいを感じた。それと同時に記憶が流れ込んでくる。

 警察署の中で、砂登季の凶悪さを非常に大げさに語るあの警官。彼は砂登季が悪魔の様な人物であり自分を銃で狙ってきた。そして、それに対抗するために自 分は銃を撃ったのだと。そして、次に見えてきたのが警官の祖父の若い頃の姿。

「さぁ、どうする?」
 津時砂天が不気味に笑う。
 砂登季は真実を知った。自分がいきなり対テロリスト用部隊に追われたのは、あの警官が嘘の報告をしたためだと。そのために沖東山は殺され、自分も命を狙 われた。ならば、あの警官の祖父を殺せば・・・。
 そう思った時、砂登季は過去へと飛んでいた。決して霊力の力で移動していたのではない。まるで何かに引かれるように飛んでいたのだ。
「愚かな・・・。あの程度の霊力で百年近い時代を超えることは不可能・・・。時をもてあそぼうとした罰だ。この空間の概念しかない場所で永遠の命を持った 肉体として漂っていろ・・・。」
 その後、しばらく飛んでいた砂登季は突然、地球へ向けて下降し地上に降り立った。そして壁に背を持たれて誰かを待っていた青年に声をかけて、振り向く前 にナイフで刺した。自分の周りに血だまりができたころ、砂登季は我に返った。このままでは警察に追われてしまう。そう思い、砂登季は人気のない墓地を目指 して走り、そこに身を潜めていた。しかし、極度の緊張のためか、いつしか眠っていた。

 最後の津時砂天の言葉は当時の砂登季には聞こえていなかった。しかし、霊力が以前より増したために、その場面を見ることができたのだ。それと同時に、彼 が何をしたのか分かった。津時砂天は真実を伝えると共に、仮にその時代に辿り着いても生活できる程度の知識を残し、砂登季のそれまでの記憶を消したのだ。 そして、何の恨みもない警官の祖父に対する怒りを植え付けたのだ。
 この事実を知った時に、砂登季は己の行動を恥じた。
「私は過去へと進んでいるのだ。過ぎてしまった未来を変えて何になるのだ・・・?」

 その次に思い出したのが、建物内部に侵入して軍人達との戦闘をした後のことである。砂登季は葵塞を倒した後と同様、砂登季は肉体に魂を戻したのだ。その 時は体中に銃弾が食い込み、指一本動かすことができなかった。そのために、砂登季は霊力でこの空間まで浮上してきた。そして、彼は空間に漂ったまま何もし なかった。次第に傷が癒され、体の自由がきくようになっていく。
 しかし、彼は意識がなかったようだ。眠るように漂っており目を覚まそうとすると、何か強い力に引かれるように地球へ向かって落ちていってしまったのだ。 彼は浮上しようと抵抗したがその力は非常に強く逆らうことができなかった。
 そして彼は地上に降り立った。そこがあの竜身峰である。
 過去の出来事を自分の霊力で見ているうちに、砂登季はある疑問を感じた。彼はなぜ自然と過去へすすんでしまうのか? どうして他の人間のように天上界へ と浮上しないのか?
 しばらく考えているうちに、もう一つ疑問を感じた。津時砂天は時間を司る神。砂登季の未来も見ることができるであろう。では過去へと進む砂登季に対し て、なぜ未来を変えてしまうような事を教えたのか? 彼は神という存在がどのようなものか分からなかったが、もの凄い霊力を持っていることは出会ったこと で知っていた。
「霊力を邪なことに使うことはできない。」
 癒薙命の言葉が思い出される。未来を変えるような事を教えてしまうのは邪なことではないだろうか? 砂登季に更なる罪を着せるのは邪なことではないのだ ろうか?
 津時砂天へ対する疑問が沸々とわいてくる。

 ゆっくりとだが、自分が落下していることに砂登季は気づいた。いくら上昇しようとしても、速度を弱めることすらできず、確実に落ちている。
 その時になって、彼はあることに気づいたのだ。癒薙命の言葉である。
「死んだ人間は霊体となり、天上界へ登る」。では、なぜ砂登季は落下しているのか? その疑問に気づいたと同時に、砂登季はもう一つ別な事実を発見した。 地上界と、天上界の中間へ行き来することはできても、自分の力で未来へ行くことができないと言うことに。それに、自分の力で進む方向、つまり過去へ進むの を妨げることができないということに気づいた。
 砂登季の落下は止まらず、地球の横を通り過ぎてしまった。そして速度をゆるめることなくどんどん下へ落ちていく。次第に、赤茶色の星が見えてきた。大気 があるらしく、雲が浮かんでいるが、地上は赤茶色の土しか見えない。そして、彼は確実にその星へと向かっていた。
 一体、なぜ自分は過去にしか進めないのか? そして、あの星は何なのか? 少々、不安を感じつつも、砂登季はゆっくりと着地した。
「・・・、岩だらけだな。」
 彼が着地した場所は、盆地のような場所で、周囲を山で囲まれていた。山と言っても、平地よりも多少盛り上がっているだけで、土と岩しかない。木が数本あ るのだが、どれも枯れてしまっている。
 砂登季は人間の姿を探した。目で見える部分には誰もいないようだが、彼の飛ばした霊波は確実に人間がいるのを捕らえていた。
「・・・、ここも地上界なのだろうか?」
 そんなことをつぶやいた時に、他の何者かが自分に霊波を放ってきていた。初めて来た土地に仲間がいるだろうか? 砂登季は素早く霊波のする方を向き、身 構えた。
 一人の人間が、天馬に乗ってやってくる。その人物は、漆黒の鎧を着て巨大な太刀を片手に携えている。そしてその体からはおびただしい殺気と霊力があふれ ている。
 これは、普通の人間ではないと砂登季は確信し、より一層用心した。
「・・・。珍しいな。霊力者が地獄に来てしまうとは・・・。」
 その声は、砂登季が向いている方向とは逆から聞こえてきた。完全に霊力を消して砂登季に近づいてきたその人物も、天馬に乗っている人物と同じような霊力 者のようだ。
「さすがに、ここまで気配を消すと気づかないとは。やはり地上界の人間だな。」
 もう一人、天馬に乗っていた人物も降りてきた。
 太刀を持っており、殺気を漂わせているが攻撃をしてくる様子はない。
「あなた方は・・・?」
 天馬に乗った人物が軽く笑う。
「私達は、地獄の門番。死して地獄に堕ちた人間を、裁所に連れて行くのが役目だ。」
「さぁ、来い!」
 砂登季の前できらめいた太刀からおびただしい霊力が飛び出し、砂登季は気絶した。門番の一人が、砂登季を脇に抱え、一瞬で宙に浮き、どこかへ行ってし まった。

「起きろ!」
 強烈な霊波による衝撃で砂登季は目覚めた。一瞬、めまいを起こしたが、彼は椅子から崩れ落ちなかった。
「・・・?」
 目の前には、机がある。それを挟んで三つの目を持った老人が座っている。彼は奇妙な帽子を被っており、非常に長いひげを蓄えている。体にはいくつものシ ワやシミがあり、笑っているのか、怒っているのか、感情というものが読みとれそうもない。
 そして、その両脇には先ほど出会った門番の二人が立っていた。
「砂登季とやら。お前の罪を今から裁く。何か不満があったら、直ちに申し出るがいい!!」
 門番の声が響く。
 三つ目の老人が、砂登季を見つめた。額に付いている、第三の目が次第に赤くなっていく。そして、その目が大きく見開かれた時、砂登季は再び意識を失っ た。今までの出来事が走馬燈のように甦ってくる。そして、その全てが彼の目の前で映像として浮かび上がっているのだ。
 砂登季は多くの人間を殺していた。そして、過去に移動しながら未来を変えてしまった。そして、移動した過去でも幾度ともなく人を殺し、その土地を血で 洗った。あまりに残虐な光景のためか、門番も老人も顔をしかめている。
 砂登季の過去の映像が終わり、ゆっくりと映像が消えていく。それと同時に、砂登季の意識も戻ったようだ。
「砂登季殿・・・。お主は罪を犯しています。」
 老人が落ち着いた声で話しかけてくる。しかし、その口は開かれていない。その状況をいぶかしげに見る砂登季の顔を見て、老人が笑った。ただでさえ多いシ ワがより一層際だつ。その瞬間、老人の首が百八十度回転し、反対側にあった顔が砂登季を見つめてきた。その顔は、目が一つだけであり、鼻がない。そしてシ ワが全くない若者の顔だった。
「一つ、罪も無き人間を殺した罪・・・。一つ、己の利益のためだけに過去を変えた罪・・・。一つ、あまりの多くの人間の命を奪った罪・・・。一つ、過去を さかのぼった罪・・・。」
 非常にゆっくりとだが、目の前の人物が喋る。
「・・・、以上。これから地獄界をさまよい続け、罪を償え。」
 門番が一歩、砂登季に歩み寄る。
「砂登季、何か意見はあるか?」
 確かに自分は多くの人間を殺した。しかし、警官の祖父を殺した時は己の本心ではなかった。
「・・・、ではなぜ過去をさかのぼりあの青年を殺したのだ? 本心でないのならば、何が原因だ?」
 砂登季が意見する前に、一つ目の若者が聞いてくる。
「霊力者たるもの、相手に考えを読まれぬよう努力することだな。」
 若者が続けた。砂登季は自分の考えを読まれたことに、驚きながらも目の前の若者の質問に答えた。
「私は・・・。私は、殺すつもりではありませんでした。ただ、津時砂天が私に術をかけ、あの青年を殺すようにしむけたのです。」
 砂登季の答えに、門番が笑う。明らかに馬鹿にしているのが分かる。
「馬鹿な! 神が人間をたぶらかすだと!? 笑わせるな! 俗界の人間に関わるほど神は暇ではない!」
 門番は信じるとか信じない以前に、砂登季の意見を意見として認めていないような態度を取っている。
「あなた方は未来が見えないのですか!? 地上界と天上界の中間で私は津時砂天に会い、天は間違いなく・・・。」
 砂登季が意見している時は、見下した目をしながらも門番は黙っている。馬鹿にしているとはいえ、相手が完全に発言し終わるまでは黙っているとは、話し合 いの態度としては立派である。
「砂登季殿・・・。先ほど私は貴方の過去を拝見しました。貴方の記憶では、津時砂天に出会っています。」
「ではなぜ!?」
 砂登季は青年に顔を近づけた。
「我々が裁く時は、本人の記憶を引き出すと共に、自らの霊力で現場を見るのです。もしかすると、偽りの過去を真実として記憶している場合がありますから ね。」
 若者の話し方は、三つ目の老人と同じように遅い。砂登季はイライラしながら聞いていたが、門番は慣れているらしく平然としている。いや、意見が言い終わ るまでは黙っているという心がけのためかもしれない。
「しかし・・・、貴方が津時砂天と出会う場面までは見えませんでした。我らの霊力不足で、その時代を見ることができません。」
 若者は残念そうに言う。
「お前が罪を犯したという約三百年後の未来までは我らの力では不可能なのだ。」
「では・・・。なぜ私が罪を犯したという裁きを?」
 その質問に答えるかのように、若者の一つだけの目が机にある天秤に動いた。砂登季も釣られてそれを見る。
 天秤には、片方に光る球体が、そしてもう片方には何も乗っていなかった。天秤は球体が乗っている方向に傾いている。
「この天秤に乗っているのは、お前の魂だ。そして、お前の魂の方が重いのが分かるな?」
 自分の魂が乗っていることに驚きつつ、砂登季はうなずいた。
「そしてこの天秤は、その人間の罪深さを図るものだ。罪が重いほど、空気よりも重くなる・・・。」
 砂登季は天秤の中心に取り付けられた針を見た。針は完全に振り切れている。
「たとえお前の過去が見られなくとも、お前の記憶と魂に刻まれた罪が何よりの証拠だ・・・。それでも罪を逃れるのか?」
 門番が笑う。その豪快な笑い声には、砂登季を見下したものを感じる。
「砂登季殿・・・。これ以上の抵抗は無駄かと思います。ここで時間をかければ、より罪も重くなりますが・・・。それでもよろしいのですかな?」
 若者も続けてそう言った。
 しかし砂登季は納得いかなかった。自分は間違いなく津時砂天の言葉に乗せられて、警官の祖父を殺したのだ。どうして殺した自分は裁かれて、津時砂天は裁 かれないのか? そして、なぜ彼らは自分達で確かめてもいないのに、津時砂天が罪を犯すはずがないと言い切ったのか?
「私は罪を認めぬ! 津時砂天が裁かれるまでは、私は罪を認めぬ。」
 砂登季は叫んだ。
「神が罪を犯したというのか? 馬鹿な・・・。」
 今まで砂登季を見下していた門番の目は、もはや砂登季を一人の人間と認めているものとは思えなかった。あざけりを通り越して、もうあきれ果てている。
「地獄をさまよい、償いが終われば、貴方の魂は天上界に移動できます。しかし、ここで罪を認めねば、何の目的もなしに地獄をさまよい苦しみ続けることにな りますが・・・。」
 若者が困ったように言う。
「かまわぬ。津時砂天が裁かれるまでは私は待ち続ける。それに、己の霊力で津時砂天に会う!」
「愚かな! 獄使や鬼とて、多くの人間の協力がなければ上れぬ天上界へ一人で行くというのか?」
 砂登季の言葉に、また門番が笑い出した。
 若者の顔が回転し、老人のそれに戻った。すると彼は机の引き出しを動かして、若干赤みがかった紙を取り出した。そして、今まで机の上に置かれていた書類 を己の霊力で燃やしてしまったのだ。
 その光景を見た門番はお互いに目を見合わせた。
「そこまで、罪の意識がないのならば仕方がありません。貴方の罪は被創懺となります。」
 そう言いながら、老人は書類に砂登季の名前を墨で書いた。
「地獄界で二番目に思い罪を受けるとは・・・。それでも罪を認めないのか?」
 門番が砂登季に聞いてくる。
「なぜそこまでして私に罪を着せようとするのだ?」
 今まで罪を認めなかったために、より思い罰を与えるという強攻策に出たと感じた砂登季はこんな質問をしていた。よくよく考えてみれば、どうして今まで地 獄へ行かなかったか疑問である。彼らが罪とする殺人を何度も繰り返した砂登季が、地上界と天上界の間に漂っているのならば、自分達で地獄につれてくればい いではないか。人を殺して、地獄に行くのならば、葵塞を殺した時になぜ砂登季を連れてこなかったのか?
「これだけの罪人だ。妙貌爺鬼よ、ゆっくりと説明してもいいだろうか?」
 門番が三つ目の老人に訪ねる。
「かまいません。ただ話すだけなら、罪が増す原因にはなりませぬ。」
「ならば・・・。」
 門番の一人が軽く息を吸った。
「お前・・・霊力を持っているな?」
 どんなすごいことを言ってくるのかと身構えた砂登季は、あまりにも下らない質問のために拍子抜けしてしまった。
「ここにいる方々は皆、霊力をお持ちのようで。ならば、言わずとも分かるでしょう?」
 この砂登季の返答に門番はムッとしたようだが、すぐに話を続けた。
「ならば、宙界をさまよっていた時に、裁神の霊波を感じなかったか?」
「・・・裁神?」
 どうやら砂登季が津時砂天と出会った場所は、宙界という場所らしい。あの空間の名前が分かったのは、何かの役に立つかもしれない。しかし、砂登季は漂っ ていたらいきなり地獄へ落下してしまったと思っていた。まさか、何者かの霊力により地獄へ落ちたとは信じられなかった。
「・・・。基本的に霊力者は善人だから、地獄へ落ちぬ。そのために、俺も本当に霊力を感じるという話は聞いたことがない。しかし、宙界におわす裁神達は天 上界へ悪人が行かぬように監視していると言うからな・・・。」
 この霊力を持っている門番は、妙貌爺鬼とは違い人間のように見えた。砂登季は彼らが地獄に落ちる時に霊波を感じたためにこの質問をしたと思っていたが、 どうやら違うらしい。
「砂登季殿・・・。裁神は魂に刻まれた罪を調べ、それが許すことができぬものの場合、その人間を地獄へと向かわせるのです。私は以前、一人だけ霊力者と会 いましたが彼は霊波を感じたそうで・・・。」
 門番のどっちつかずの答えにあきれ果てていた妙貌爺鬼がついに口を開いた。そして、門番達が話を続ける前に、補足をした。
「魂というものは非常に軽いものでしてな、塵を浮かせる程度の霊力で動かせるのです。砂登季殿が感じぬとしても不思議ではありません。」
 妙貌爺鬼はそう言ったきり、黙り込んでしまった。もうこれ以上の説明をする気はないらしい。
「・・・、と言うことだ。裁神達は死人の魂以外は調べないらしい。だからお前はずっと過去をさかのぼれたようだな。そして、それぞれの時代で罪を重ね今こ こにいるのだ。」
「これで納得したか? 神が決めたのだ。お前の地獄行きを、な・・・。」
 門番がにらみつけてくる。もう、罪を認め地獄界をさまよえと言いたいらしい。
「・・・。」
 砂登季は何も答えず、門番達をにらみつけた。砂登季と門番との目が合い、目の中にある瞳が妙に黒く見える。そして、その奥にはその門番の過去が見えてき た。
「ぐっ・・・。」
 砂登季ににらまれた門番が膝をついた。体中から脂汗がたれ、呼吸がかなり乱れている。
「お前、一体何をした?」
 もう一人の門番が、危険を感じ剣を抜く。そして、門番が砂登季の顔をにらみつけた瞬間、彼も砂登季と目が合ってしまった。
 椅子に座り平然としている妙貌爺鬼と、その後ろで膝をつき苦しさをこらえる門番二人。漆黒の鎧を着て、巨大な剣を握っている二人はかなりの体格の持ち主 である。その二人が苦しんでいる様はかなり異様なものであった。
「砂登季殿・・・この獄使達に何をしたのですか?」
 妙貌爺鬼の声にはどこか笑い声が混じっている。
「彼らの過去を見ました。」
「ふふふふふ・・・。そのようなところでしょう。しかし、彼らの精神の調和を乱すのは少々やりすぎですな。」
 初めに砂登季ににらまれた方の門番が立ち上がった。顔は未だに青いが、汗はひいている。
「信じられぬ。地獄界で霊力を使いこなすとなれば、天上界でも神、仏、そして仙人のみ。地上界で死にここにきた人間ができる技とは思えぬ・・・。」
「いえ、他にもあなた方のような獄使と、長時間地獄をさまよい続けた魂のなれの果て・・・妖魔が霊力を使えますが。」
 もう片方の門番も立ち上がり、砂登季をにらみつけた。しかし、警戒してか目を見ることはなかったが、その顔は怒りに満ちていた。
 砂登季は門番の顔など気にせず、彼らの過去の記憶を反芻していた。自分と同じように人間を殺した彼らは、結局は何者かに殺され地獄へ落とされたのだ。そ して、あまりの残虐さに最も重い罰を受けていたのだ。永劫惑獄という名前のその罰は、次に地上界へ転生するまでずっと地獄にとどまらなければならないとい う罪である。しかも、転生までの期間は数百年という非常に長い時間であり、その間ひたすら罪人は苦しみ続けるのである。しかし、地獄は彼らを完全に見捨て た訳ではないのだ。
 目の前にいる門番達は、罪が決定した時に裁所の鬼と契約を結んだのだ。獄使になるために地獄をさまよい罪を償い、それと同時に霊力を高める修行をする。 霊力が高まるに連れて、己の肉体が作り替えられる。そして、それが霊力がある一定の値をこえ、かつ過去に犯した罪を償うと獄使の資格を与えられ、地上界へ 転生するまで地獄での勤めに従事するのだ。
 契約を結ばない人間は、数百年間苦しみ続けるしかない。このため、永劫惑獄の罪を受けた人間は必ずと言っていいほど獄使となる道を選ぶのである。
 ちなみに霊力で移動した場合や、死者が地獄界へ行く場合は魂のみである。しかし、彼らには必ず死ぬ前の己の肉体が再び得られるのだ。それは魂が持つ微か な霊力から作られ、本人達が意識せずとも、地獄界にいる間中肉体は維持される。肉体とはいえ霧か幻程度のもので風船のように柔らかく、少しの衝撃で壊れて しまう。しかし、壊れても痛みはなく、霊力が残っていれば直すことができる。また、霊力の高い人間ほどしっかりとした肉体ができ、地上界と寸分変わらぬ肉 体、もしくはそれ以上の肉体を持つものでないと獄使にはなれない。
 また、天上界も同じように魂は肉体を持つことができるが、獄使のように普通の人間が天上界での仕事に就くことはない。
「・・・。」
 門番達は自分よりも多くの人は殺していないが、殺し方が非常に残酷であった。砂登季はなぜ門番達が地上界で残虐な行為をとったのか聞きたかったが、それ 以上にもとは普通の人間であったことが信じられず絶句しているままだった。
「ふふふふふ・・・。獄使に危害を加えた罪で貴方も永劫惑獄にしましょうか?」
 今まで以上にしわを増やし、妙貌爺鬼が笑う。そしてその体からは今まで感じたことのない程のおびただしい霊気と殺気が漂っている。
「・・・、好きにしてくれ。あなた方が私にどの様な罪を着せようとも、私は認めない。ただ天上界を目指し、津時砂天に真意を尋ねる!!」
「では、罪を認めぬと言うのですな?」
 妙貌爺鬼は机の上に置かれた書類を再び燃やしてしまった。そして、引き出しから他の書類を取り出そうとした。
 その瞬間であった。砂登季の手のひらから閃光が放たれ、彼の前の前にいる三人は目がくらんだ。そして、閃光が消え、視力が回復した頃には砂登季の姿はど こにもなかった。
「地獄に罪を受けていない死人がいることは許されぬ! 直ちに探すぞ!」
 門番は剣を振り、軽く祈りを捧げた後、霊力により天馬を生み出した。
「ふふふふふ・・・。砂登季殿は北東に逃げたようですぞ。」
 自分は死者を裁くこと以外はしない、と言いたげに妙貌爺鬼が笑う。門番達はそれに嫌な顔をすることなく、天馬を北東へ向かわせた。
「あの門番達では歯が立たぬでしょう・・・。まぁ、所詮人間。鬼には勝てませぬよ。それに、罪人の印が押されていないためにすぐに分かるでしょ う・・・。」
 一人きりになった頃、妙貌爺鬼はつぶやいた。すぐに彼は三つある目を全て閉じ、居眠りを始めてしまった。

 爆音と共に目の前の土壕が破裂した。一瞬にしてその当たりの視界が悪くなる。
「ひるむな! 出撃体勢を取れ!」
 土塊を身に浴びながら、ひげを生やした中年男性が怒鳴っている。彼は腰に長細い剣を携えており、手には火縄銃が握られている。服は濃い緑色で、頭は金属 のヘルメットで守られている。そして、彼が檄を飛ばした人間たちも同じような格好をし、同じように土塊を浴びていた。
「隊長! ここにとどまっていても、砲撃で肝を冷やすだけです! いったん本部へ戻るべきではないでしょうか!?」
 喉をからさんばかりに檄を飛ばし続ける中年男性に、一人の男性が声をかけた。彼は檄を飛ばす中年男性よりも若干若いように見受けられる。
 その声に隊長が振り向く。その顔は明らかに怒りに満ちていた。部下に指図されたという怒りとは別で、その意見に対する怒りのようだ。
「馬鹿者! 私とて部下を危険な場所に待機させたいとは思わぬ! だがな!!」
 隊長の目が、ギラリと光る。彼は怒りにまかせて火縄銃を地面に突き立てた。
「相手の戦力を削り、少しでも幕府軍の戦力を増やさねばならないのだ!!」
「相手の戦力を削り・・・幕府軍の戦力を増やす・・・?」
 意見した男性は意味が分からず、ただオウム返しをしただけであった。
「そうだ! 所詮、お前達には関係のないことだ。敵の砲撃がやんだら、突撃するぞ!!」
 この隊長の命令が聞こえたのだろうか? そうはさせまいと言いたげに、彼らの近くにまた砲弾が落ちた。
「畜生! いいか! とにかく、銃に弾を仕込んでおけ!」
 再び隊長が怒鳴る。より遠くまで声が届くと思ったのだろうか、隊長は立ち上がって怒鳴っていた。塹壕に沿って土壕がもうけられているので、狙われる心配 はなかったが、明らかに危険である。
 すっと白く細い腕が、隊長の軍服を引っ張り彼を座らせた。
「隊長、あまり熱くならないように・・・。」
 腕の主は、他の軍人とは明らかに違っていた。同じように軍服を着ているものの、体は細く、ヘルメットを被っておらず坊主頭だとすぐに分かる。この坊主頭 ですら目立つのに、その顔は無表情で、まなざしは千里眼が可能とも思える鋭さであった。
「なんだい? 隆庵君?」
 熱くなり、塹壕の中で立ち上がるという間抜けな行為を恥じながらも、高圧的に隊長は尋ねた。
「霊体を飛ばしたところ、敵の砲弾がなくなった模様です。出撃するならば今かと・・・。」
「本当に、弾切れかな? 以前、他の部隊で誤認のために犠牲が・・・」
 隊長がいやみったらしく言う。しかし、隆庵と呼ばれた人間は不快な顔をすることなく、隊長の言葉を切ってしまった。
「いえ、間違いありません。敵も歩兵の準備をしております。」
「・・・。分かった。出撃準備をしろ!!」
 その声に答えるかのように、塹壕に背中をもたれていた一人の兵隊がホラ貝を吹いた。その音は、山伏が吹くよりも音が高く、不協和音としか表現できない不 気味な音であった。しかし、この音はよく響き、塹壕にいる全ての兵隊に届いたようだ。
 兵隊達が塹壕から出て、土壕から頭を出し、外の様子をうかがう。大砲が数門置かれていたが、それを操る兵隊の姿はなかった。
「隊長、仮に銃撃があっても、私の霊波で守ります! 出撃を!!」
 静な澄んだ声で隆庵が言う。先ほど嫌味を言った顔はもうなく、隊長はまじめな顔でうなずいた。
「総員、突撃!!」
 その声に再びホラ貝が鳴り響く。しかし、ホラ貝の音が聞こえたのは一瞬であった。後に続いた兵隊達の怒声と足音にうち消されてしまった。
 兵隊は怒声と土煙を立てながら、敵が潜む塹壕へと向かっていく。そして、敵側の塹壕からも兵隊が飛び出してきた。それぞれの部隊が火縄銃を撃つ。走りな がら撃つために、ほとんど狙ったとは言えない銃弾は、訳の分からない方向へ飛んでいってしまう。そして、たまたま敵の兵隊に向かっている銃弾も、なぜか途 中で止まっている。
 そんな奇妙な現象を疑問に感じることなく、部隊が衝突した。肉弾戦の始まりである。それぞれに剣を抜き、敵めがけて斬りかかる。
 軍服は針金が縫いつけてあるために、簡単には切れないが軽い打撲傷にはなるのだろう。斬りつけられた人間が、顔をしかめて倒れる。すると、その人間の首 筋に剣がのびてくるのである。
 兵隊達は戦いに慣れているし、鍛えられているとはいえ、この戦場に戦法というものは存在していなかった。目の前にいる敵をひたすら殺すだけである。戦場 には敵味方が入り乱れており、これ以上の策は見つけられなかった。時間の経過と共に、地面に倒れている人間の数が増え、数名が足下をすくわれる。そして倒 れたとしても、生き延びるためにはいながら攻撃を仕掛けようとする。
 戦いは五分五分の状況が続いた。よく見ると、前線の後方がにわかに騒がしくなっている。そして、次の瞬間には砲撃が開始された。基本的に前線に砲弾を落 とすだけで、狙っているとは思えない。正確に言えば、前線中央のやや奥、つまり敵兵が多くいると思われる部分に落としているのだが、確実に味方も巻き添え を食っている。後方が騒がしくなっているのには気づかなかったが、前線の兵隊達も砲撃の爆音で後方からの援軍を知ったらしい。それぞれの軍の隊長が、援軍 の存在を知らせ味方の士気を高める努力をしている。士気は若干高まったようだが、こうも砲弾による爆風が増えると、さすがに命の方が惜しくなる。心なしか 両軍共に攻撃の手が勢いがなくなってきた。そんな中、彼らが望んでいた声が響いた。
「大将の首を取ったぞ。総員、退却!!」
 取った方も、取られた方も少々ほっとして、勢いよくきびすを返しかけだした。そして、追い打ちをかけるかのように、後方で砲弾が爆発する。兵隊達はつい 先ほどまで潜んでいた塹壕に再び飛び込んだ。
「ふぅ・・・。みんな聞け! 敵方の隊長の首を取った。これで任務は一段落ついたぞ。さぁ、明日に備えて基地へ戻れ。」
 この部隊の任務は単純に敵の戦力を削る。これだけ単純な任務のために、退却の条件も敵大将の首を取るか、自分達の隊長が殺されるまで戦うという非常にい い加減なものであった。任務の内容を知っていたのは隊長と隆庵の二人だけで、ほとんどの隊員がただ敵と戦うしかなかった。そのために、戦略というものがな かったのである。
 任務が完了し、心なしか隊長の声も明るい。当然の事ながら、塹壕の中にいる兵隊達の顔もにこやかである。しかし、一人だけ笑っていない人物がいた。
「隊長、本部へ任務成功を報告しておきました。」
 ゆっくりと印を解いて、隆庵が言う。相変わらず落ち着いた声である。
「ご苦労、ご苦労。君も気をつけて基地へ戻ってくれ。」
 あまりに落ち着いているために、隊長も興ざめしたようであるが、できる限り表情に出さないように勤めている。
「それでは、お先に戻ります。」
「うむ、ご苦労。」
 隆庵は風のように塹壕の中をかけ、一瞬で高台にある基地へ向かってしまった。隊長は雰囲気を壊す原因が消えたことを確認してから、再び隊員達に明るい声 で隊員に「ご苦労、戻れ」を連呼していた。

「隆庵、ただいま戻りました。」
 土まみれの軍服のまま、隆庵はその場所へ入ってきた。
 そこには同じように頭を丸刈りにした人間が座っている。服装は隆庵と違いちゃんとした法衣を来ており、清潔そのものである。
 奇妙なことに祈りは一人の人物を中心にし、残り大多数が丸く囲んでいる状態である。どの人間も真剣に祈っているためか、隆庵の声に反応するものはいな かった。隆庵も全く気にせず、祈りの輪に加わった。すると、すぐに中心に座っていた人物が崩れ落ちた。その目には光がなく、人形のように体に力が入ってい ない。
「ふぅ・・・幽体を地獄へ送るのは毎回骨が折れる。」
 倒れている人物を担架に乗せながら、一人の僧侶がつぶやく。倒れている人物は、ほかの僧侶よりも若干体が大きく、かなりの体重があるらしい。これでは祈 りが辛いのか、後で運ぶのが辛いのか分からない。
「・・・幽体になって、いないからと言いたい放題だな。」
「気にするな。本人も気にして痩せる努力をしているではないか。」
 担架に乗せながら、倒れている人物の贅肉をつつく。
「仮に、脂肪に霊力がためられるのならば、我々も大いに食い太るのだが・・・。」
 苦しげに冗談を言って、二人の僧侶が担架を持ち上げた。腕がプルプルとふるえているし、それ以上会話が続かないことから、やはり相当の体重があるらし い。
 ちなみに幽体というのは、霊体状態をより強力にしたものである。霊体の時以上の霊力を発揮でき、肉体を越える戦闘能力を引き出すことができる。しかし、 ほぼ全ての力を霊体に託すために、肉体は呼吸や心臓が停止しており相当の霊力者でないとそのまま死んでしまう。幽体の状態で、術者は自分の肉体に対して特 別な術をかけて肉体を維持させているらしい。
 文字通りの巨漢の死体を二人の僧侶は運んでいく。それを気の毒そうに、ちらちら見ながら残りの僧侶達は別な建物へと移動していく。そこは寺ではなく、軍 人達がいる何かの施設のようであった。

 まるで水中の中にいるかのように、砂登季の周辺は霊気があふれていた。それは非常に微量な霊気であり、ほとんどの霊力者は気づかないであろう。彼は自分 の周囲で動いたものの気配を察知するために、この霊気を放出し続けている。何者かが動けば、霊気が振動し、どこにいるかが分かるという仕組みである。
 そして、今のところ自分の周囲には誰もいないようである。それでも砂登季は慎重に移動し続けていた。先ほど会った門番達は一般的な僧侶よりは霊力が高い のだが、砂登季と比べると高いとは言えなかった。しかし、妙貌爺鬼からは異常なまでに強力な霊力を感じたのだ。砂登季と同じくらいの霊力、いや彼をこれる 霊力の持ち主なのかもしれない。そしてあれ程の霊力者ならば、霊気を振動させずに移動することも可能かもしれない。自分より強いかもしれない人物を相手に する時は注意するに越したことはないのだ。
「・・・、人がいないな。」
 いないことはいいのだが、こうも長い間、何の変化もないと集中力が欠けてくる。砂登季は近くにあった石に腰かけ、まずは宙界へ戻る方法を考えることにし た。
「飛べばいいのだろうか?」
 上から落ちてきたのだから、鳥のように飛べばいい。誰でも考えそうな事であるが、霊力で宙界まで行くことができるだろうか? また、空中にいる時に発見 されたら、獄使とどの様に戦えばいいだろうか?
 色々と考えれば考えるほど、心配事が増えてくる。まずは本当に自分が飛べるかどうか確かめようと、砂登季は目を閉じ意識を集中した。時間を越える時に砂 登季は確かに中に浮いて宙界へ移動したのだが、あれは肉体がある状態のことで、今回は霊体なので前例がないのだ。
 ところが、心配する必要はなかった。わずか数センチであるが砂登季は浮いていた。そして、その高さを維持したままで移動することも可能であった。空中に いることは意外と意識を集中する必要があるが、どうやらできないといものではないらしい。
 これならば、地獄を離れられるかもしれない。砂登季は少し安心し、再び地に足をつけた。その時である。遠くで何かが動いた気がしたのだ。彼が張り巡らせ た霊波の一点から振動が伝わる。しかし、振動は一瞬だけで再び静寂が訪れた。
「・・・? 石でも落ちたのか?」
 逃げてきた先に崖が何カ所かあり、今にも落ちそうな小石があったのを思い出した。あれの一つがついに落ちたのかもしれない。
 ・・・、だが、何が原因で落ちたのだろうか? 風か? いや、風は全く吹いていない。重力に負けたのか? 大いにあり得るが、小石の振動がこれほど大き なものであろうか? それとも・・・。
 砂登季は振り返り、振動が起きたであろう方向をにらみつけた。心なしか、自分のものではない霊気を感じるのだ。非常に微量であり、気のせいと片づけても いいくらいのものである。前にも書いたとおり、霊力はいかなる場所からもあふれている。そして霊力の存在を感じることができ、それが自然のものか、それ以 外から発せられるものかを判断するのは非常に簡単である。とはいえ、あまり微量だと区別が付かないのだ。
 砂登季から約一メートルほど先の砂が微かに動いた。それを確認した瞬間、砂登季は跳躍をしていた。霊力の力を借りて、数十メートルは飛んでいた。そし て、彼は空中から剣が突き出ているのを目撃したのである。
 砂登季が立っていた付近の土に徐々に亀裂ができている。そして、その亀裂から何者かの姿が見えてきた。若干赤みがかった皮膚、鍛え上げられた筋肉を持 ち、そして胸当てと篭手しか防具を身につけていない巨漢が現れた。
「地獄にいる霊力者とは、お前のような人物ではない! 地上界の遊び人よ、消えろ!!」
 巨漢は先ほど地上へ突き上げた剣を勢いよく振った。一直線に地面に亀裂が入り、それは砂登季のまでのびたが、彼の霊力によりそれ以上の前進はできなかっ た。。
 突然の攻撃に狼狽しながら、砂登季は攻撃態勢をとった。相手が攻撃をしてこないのを確認してから、相手をにらみつける。
「なぜ攻撃する!?」
「神、仏、鬼、獄使以外の霊力者が地獄に存在していることは許されぬ! 消えろ!!」
 巨漢は砂登季に向かって叫んだ。二人の距離は約百メートルほど離れていたが、声により生み出された霊力で砂登季の髪の毛が揺れた。
「ん? その腕の印は屍の印・・・。なぜ、地獄にきた死人が罪を得ていないのだ?」
 その声に釣られて砂登季は自分の右腕を見た。巨漢の言うように、二の腕に奇妙な焼き印がされていた。多分、門番に出会い、気絶している最中に付けられた ものであろう。
「いや、先ほどの無礼はわびよう。早く裁所へ行き裁きを受けよ。」
 巨漢がそう言って、近づこうとした。ところが一歩踏み出したとたん、動きが止まる。彼は砂登季から発せられる異常なまでの霊力を感じ取ったのだ。その霊 力はただ発散しているものではない、明らかに彼に対する敵意の現れである。
「なぜ? 死を認めぬのか?」
 巨漢は先ほど納めた剣を再び抜き、構えた。その時になって砂登季は彼が人間ではないことに気づいた。微妙な違いではあれど、巨漢の発する霊気は妙貌爺鬼 と似ていた。巨漢は地獄の鬼であった。
「私は先ほど裁所へ行き、罪を認めなかった。そのためにここにいるのだ。」
「理由はどうあれ、地獄に来た者が罪がないというのは許されぬ。力づくでもお前を裁所へ運ぶ!!」
 そう叫んで、巨漢は一度剣を振った。再び強烈な霊波が砂登季に迫る。砂登季はそれを受け流し、巨漢に向かって走った。いや、走ると言うよりも中に浮き、 銃弾のような速さで距離をつめたのだ。
 巨漢はあわてて砂登季と距離を開け、もう一本剣を抜いた。そして、二本の剣を霊力により空中に浮かせた。そのとき、勝ちを確信したように巨漢は不適に笑 い、自分から距離をつめてきた。
 左右から間髪入れず手刀が飛び出す。そして、後ろから複雑な軌道を描きながら剣が飛んでくる。砂登季はそれをよけながら、巨漢へ攻撃を与える機会をうか がっていた。しかし、同時に四種類の攻撃から身を守らねばならぬためにどうしようもない。
 手刀を紙一重でよけた時、右肩に向かって一直線に剣が振り下ろされる。それを倒れるようにしてよけながら、砂登季は風を巻き起こした。それは彼を中心に 竜巻を作り、巨漢の剣を空中に巻き上げてしまった。
「うぬ・・・。」
 一瞬にして、武器を奪われてしまったことに焦りを感じながらも、巨漢は手刀を放つのをやめなかった。しかし、攻撃が四つから二つに減ったことで砂登季に も反撃の機会が生まれた。
 放たれた手刀をよけて、砂登季は巨漢の手首をたたいた。たたいたと言えばたいした威力がなさそうだが、巨漢の手首は折れてしまい、指先が力無く下を向い ている。もはや拳を作ることもできなのだろう。
 痛みを感じてはいないようであるが、巨漢は息をのんだ。その焦った顔を確認した時、砂登季の顔に不気味な笑みが浮かんだ。そして、その笑みが浮かんだ時 には彼は行動に移っていた。砂登季は軽く跳躍し、巨漢の首を狙ったのだ。正確に横に放たれた砂登季の手刀は見事に首に食い込み、血の弧を描いた。そして、 焦った顔の首が地面に落ちた。
 巨漢の肩から滝のように血が流れている。しかし、巨漢は倒れなかった。血を流したまま立っているのだ。あまりに異常な光景に砂登季は目を見張り、攻撃態 勢のまま硬直していた。
「ふふふふふふ・・・。霊力者ならば俺が鬼だと分かるだろう。しかし、鬼の恐ろしさは知らぬと見える。」
 両足の間に落ちている首の口が微かに動いている。首はそれだけ言って、動かなくなった。それにかわって巨漢の体がゆっくりと動き出したのだ。腕がゆっく りと動き、片手だけで印を作る。そして体中からおびただしい霊力があふれてきた。
 砂登季は危険を感じ、巨漢の胸に聖拳を打ち付けた。胸当てが砕け、体にくぼみができる。そして、居場所がなくなった血が首から勢いよく吹き出した。だ が、巨漢は倒れなかった。巨漢は砂登季の攻撃を気にせず、祈りを続けていた。そして砂登季が着地し、巨漢と適当な距離を取った時に祈りが終わったらしい。 巨漢の体が崩れ落ちたのだ。鈍い音と土煙が当たりを包む。
 土煙がおさまる前に砂登季は霊波を放っていた。その霊波は、ある物体に当たり、その物体は倒れた。しかし、すぐに起きあがり砂登季に向かって同じように 霊波を放ってきたのだ。
「・・・? 霊体ではないのか?」
「鬼は不死だ。己の霊力で傷を癒すことができる。」
 砂登季の質問に、その物体は答えず、一人語りを続けた。しかし、お互いに本気で霊波をぶつけ合っており、ゆっくりと喋っている余裕などあるはずがない。
「俺の力ではお前を裁所へ連れて行くことができなかった。肉体では無理だった・・・。」
 その物体が放つ霊波がより一層強くなる。
「だが・・・幽体ならば可能なはずだ!!」
 受けきることができないとみて、砂登季は霊波を受け流した。霊波は背後の山に当たり、頂の形状を変えてしまった。
 一陣の風が吹き、その物体を包んでいた土煙が消えた。そして砂登季の目に入ったものはあの巨漢の姿であった。見た目は先ほどの変わらず、胸当てと篭手を して首が付いているのだが、体から発せられている霊力が前回にまして強い。そして、その肉体は霊力によって作られていた。
「俺は今肉体を捨てた。俺が肉体を維持するために使っていた力も、今や戦闘に使うことができるのだ!!」
 何の前触れもなしに砂登季の周りの地面が爆発した。
「もはやお前は勝てぬ! 大人しく裁所へ来い!!」
 砂登季を取り巻く土煙が引かぬうちに、空中から霊力により作られた槍が大量に落ちてきた。それは地面を埋め尽くし、砂登季の肉体に無数の風穴を開けた。
「・・・。」
 霊体ため痛みはないし血も流れていないが、砂登季の体は穴だらけになった。彼は霊力により体のかけた部分を修復して、攻撃の構えを取った。
「これ以上戦っても無駄なことを教えてやる!!」
 巨漢は砂登季に向かって腕を尽きだした。すると今までの比にならないほど強力な霊波が砂登季に向かってきた。そしてそれは異常な速度で砂登季に伸び、彼 は中に舞い上がった。よけることも、受け流すこともできず、砂登季は後方の斜面に体を打ち付けた。体が完全に地中にめり込んでしまっている。
「どうだ? 今までの比ではなかろう・・・。」
 不適に笑いながら巨漢が斜面を登ってくる。砂登季は焦った。現在の状況では自分が明らかに不利である。自分の霊力と巨漢の霊力にはかなりの開きがある。 霊体や幽体といった、霊力しか使えない状態での戦いの場合、霊力の違いは直接戦力の違いへとつながってしまう。
 巨漢と砂登季との距離が後数歩というところになった。そのとき、地面にめり込んでいた砂登季の姿が一瞬にして消えた。巨漢は一瞬驚いたが、すぐに周囲に 霊波を送り砂登季の姿を調べ始めた。
「うむ、地行術か。うかつであった。」
 自らの霊気の放出を極力抑え、地中を高速で移動してしまったために巨漢には砂登季の行き先がつかめなかった。しかし、巨漢はたいした焦りを感じている様 子はない。なぜならば、地獄には多くの獄使と鬼がおり、死者で罪を受けていない砂登季を探すことなどたやすいことなのだ。ただし、無事捕らえて、裁所へ連 れて行くことができるかどうかは保証できないのであるが。
 巨漢は自分の肉体に戻った。そして、再び印を結び祈ると肩から首が生えてきたのだ。彼はもう命を失って地面に転がっている首を足で砕き、どこかへ去って いった。

「・・・もう追ってくる気配はないな。」
 地面のそこから微かにこんな声が聞こえた。それからすぐに直径数センチの小さい穴が地面にでき、噴水のように霊気があふれてきた。それは徐々に人の形と なり、最後に砂登季の姿に戻った。
 彼は再び霊波を送り、周囲の状況を調べ始めた。今度は砂登季の周りに数人いるようだ。彼は仮に姿が見つかっても、すぐに死者と間違われぬように屍の印が 押された部分をはぎ取った。霊力で作ってある体なので痛みもないし、簡単に取ることができた。そして、再び何も印が押されていない二の腕を回復させること ができた。
「高台から飛べば素早く宙界に行けるのだろうか?」
 彼の左側にある山の頂上をぼんやりと砂登季は見た。相変わらず土がむき出しになっており、何もない。そして、山の反対側にも誰もいないようだ。砂登季は 数センチ地面から浮いたまま、風のように頂上を目指した。こちらの方が移動しやすく時間がかからない。砂登季は頂上に立ち、周囲を見渡した。霊波を張り巡 らした時同様、目に見える距離には誰もいない。少し安心し、砂登季は空を見た。灰色の雲がかかりはじめ、太陽の光を受けた雲は所々赤い色が混じっている。
 そんな中、砂登季は上空のある一点を見つめたまま、攻撃態勢に入った。空から霊力を持った何者かが降りてくるのだ。しかも先ほどの巨漢ほどではないが、 一般的な人間とは思えないほど強力な霊力の持ち主である。
 相手も砂登季の存在に気づいたらしい。微かな霊波を送り、砂登季を調べているようだ。相手から送られる霊波がとぎれた。それを感じた瞬間、砂登季は後方 に飛び上空の人物の姿を探った。先ほどまで自分が立っていた場所には強力な霊波がかかり、地面が陥没している。
「ちっ、外したか・・・。やはり朝廷軍も動き出していたとは。」
 上空にいる人物がゆっくりと着地した。やや太っており、頭は丸刈りの僧侶である。彼は砂登季を丸い目でにらみつけ、再び霊波を送った。砂登季は風のよう によけるとともに、僧侶の視界から消えた。そして、僧侶が霊力を感じる範囲からも消えたかに見えた。
 僧侶は驚き周囲を見渡したが、砂登季の姿は全く見えないし、それ以外の人間の姿もない。もっとよく調べてみようと僧侶は一歩前に出ようとしたが、それは 叶わずその場に倒れてしまった。驚きながら自分の足元を見ると、僧侶の足はくるぶしから綺麗に切断されていた。
「ちっ、逃げられたか。しかし、こうしてはおれぬ。早く獄使殿に会わねば。」
 幽体のためか痛みがないらしく、素早く霊力で両足をくっつけて僧侶はどこかへ飛んでいってしまった。
「確かにすごい霊力の持ち主だが、使いこなすまでには至っていないのか? それとも初めから手を抜いていたのか・・・。」
 僧侶が立っていた場所から声が響く。そして、そこの地面が割れて砂登季が現れた。
 砂登季は軽く肩に掛かっている土をはらいながら、周囲の状況を確認した。もう僧侶はどこかに消えてしまっている。しかし、困ったことに以前よりも多くの 霊気を感じるのだ。先ほどの僧侶との戦闘で、霊力の存在を確認した獄使たちが集まってきているようだ。
「そういえば、あの僧侶の目的は・・・?」
 いまになって砂登季は疑問に思ったが、問いただす相手はすでになく、集まってくる獄使を対処する方法を考えることにした。
 獄使は砂登季に対して微かな霊波を送りながら、ゆっくりと確実に近づいてくる。八方ほぼ全ての方向から近づいてくるので、安全な逃げ道は確保できそうに ない。また、奇妙なことに、先ほどであった門番達とは違い、どことなく探りを入れるかのように霊波を送り、接近の仕方も非常に遅いのである。天馬に乗って いるにしても、歩いているにしても人間の歩みよりもかなり遅い。
 砂登季もこの異常な行動に気づき、周りに霊波を送り攻撃態勢を崩さなかった。獄使達の動きが一気に早くなる。全ての方向から、非常に高速で近づいてく る。
「お待ちしていました。」
 次に聞こえた声は、砂登季を驚かせるものであった。
「幕府軍の方ですね。以前来ていた方とは違うので少々驚きました。」
 天馬に乗っている獄使が親しげに話しかけてくる。どうやら誰かと間違えているのだろう。その後、もう一人の獄使が風のように山の斜面を駆け上がってき た。
「さぁ、鬼達に発見されると後が厄介です。こちらへ!!」
 次々と、合計で九人の獄使が砂登季を目指して近づいてくる。どの顔にも敵意や警戒心はなく、親しげな顔である。しかし、砂登季には全く心当たりがない。
「ちょっと待ってくれ!」
 そんな砂登季の声にすら獄使たちは全く気にしない。
「お急ぎだとは思いますが、鬼に見つかってしまえばあなた方の計画ですら水の泡となってしまいます。さぁ! 南東にある洞窟の中で話をしましょう!!」
 そう、逆にこんな訳の分からない合いの手を入れられてしまったのだ。
「いや、そうではなくて・・・。」
「とにかく早く!!」
 一人の獄使が天馬の上に砂登季を乗せた。そして、その後すぐに 全員が同じ方向へ走り出した。自分に攻撃をしてこないことは分かったのだが、どうしてこうも親しげなのか分からず砂登季には気味が悪かった。
 獄使一団は一直線に走っていく。その後ろには土煙ができ、不気味な生き物のようであった。そして、最前列で天馬に乗っている砂登季は、山にぽっかりと開 いた洞窟を見つけた。そして、そこから微かな霊波が放たれていることも。
 砂登季を後ろに乗せ、天馬の手綱をとている獄使もその霊波に気づいたらしい。獄使は手を前に付きだして、同じように霊波を送り返している。しかし、天馬 の速度は落とそうとせず、どんどん洞窟に近づいていく。
「・・・、まさかな。」
 獄使がひとりごち、ちらと砂登季を見たような気がした。
 天馬が洞窟の入り口に着き、獄使は天馬から降りた。砂登季にここで待つように言い、ゆっくりと洞窟の中の様子を見ている。しばらく暗闇の先を観察した 後、獄使は印を結び光源を洞窟に向けて放った。光源は青白い光を放ちながら、洞窟の奥へ飛び、一人の人間の影を作り、奥へと消えていった。
「貴方は、侶網笙殿?」
「そのとおりです。」
「・・・、では今我々が連れてきた青年は?」
「青年?」
 獄使は印を結び、霊力のみで会話をしている。しかし、霊力者の砂登季もそれは聞こえていた。そして、彼の後ろに立っているその他の獄使達にも聞こえてい るらしい。彼らの表情が若干こわばっており、砂登季に視線が注がれている。砂登季は平静を装いながら、いつ何が起きても対処できるように周囲に気を配って いた。
 ゆっくりと洞窟の中にいる人物が近づいてくる。
「予定より早く着いてしまったので、ここで待っていたのですよ。」
 どこかで聞いた声である。それもそのはず、先ほど砂登季と一戦交えた僧侶が洞窟の中から現れた。
「時間になっても来ない場合は、洞窟へ行くという初めからの決まりですからここへ獄使殿も来るとは思っていましたが・・・まさか、朝廷軍の人間を連れてき てしまうとは。」
 日の光を受けた僧侶は、丸い目を少し細めながら砂登季を見つめた。
「そちらも我々と同じ事を考えているようですが、その計画は失敗に終わるようですね。」
 僧侶はそれ以上何も言わずに、攻撃の構えを取った。それと同時に全ての獄使が手に持っている武器を構える。
「一言、言っておくが私は朝廷軍ではない。」
「ならば一体何だと言うつもりか? それほど高い霊力を持つ幽体が地上界から来た人間でないことが証明できるのか?」
 どうやら人並み外れた霊力を持ち、屍の印や罪人の印を受けていない砂登季を霊体ではなく、地上から来た幽体だと勘違いしたらしい。
 このように冷静に分析をしている暇すらなく、獄使と僧侶が攻撃を開始してきた。あちこちから霊波が飛び、剣や槍が弧を描く。砂登季はそれを素早くよけな がら、隙を見て上空へ飛んだ。そしてそのまま彼らと距離を置いて着地し、目を閉じた。砂登季は気づいていなかったが、無意識のうちに印を結んでいた。癒薙 命や仁海、そして巨漢との戦闘で印を組んでいる時に強力な霊力が発揮しているのを見て、気休め程度にまねたのかもしれない。ところが、気休めとは言い難い ことが起きた。獄使達が立っている場所から地鳴りが聞こえ、地面に亀裂が入った。そして、その亀裂は山に伸び斜面が崩れた。揺れがおさまると、山の頂上付 近で小さい土石流が起き、それは獄使達の所へ流れてくるころには巨大なものとなって襲ってきた。
 一瞬、跳躍が遅れ数名の獄使が土石流に埋もれた。無事だった獄使と僧侶は仲間を見捨て、砂登季の追跡に向かった。獄使も霊体のために、死ぬということは 滅多になく、心配する必要がないのである。
 砂登季は獄使達へ向けて閃光を放ち、逃げ出した。獄使達は目をくらませて砂登季の姿を見失ってしまった。しかし、その閃光で目をくらませることなく、怪 しい人物がいると判断した第三者がいたのだ。
 再び山頂へ戻った砂登季は、反対側の斜面に先ほどの巨漢の鬼を見た。またそれに、自分を裁所へ連れて行った門番達が従っているのも見えた。
「砂登季とやら! 大人しく裁所へ来い!!」
 巨漢は見事な跳躍で、山の頂上付近へ着地した。そして、またあの不適な笑みを顔に浮かべて剣を抜いた。
「先ほどは見事に負けてしまったが、今回はそうはいかぬぞ・・・。」
 巨漢に続いて、長身の鬼が現れた。こちらもすさまじい霊力の持ち主である。
「力でだめならば、数で勝負か・・・。」
 そう言って砂登季は身構えた。どこかで再び入手したのであろう剣を巨漢は空中に浮かせた。そして、次の瞬間には砂登季につっこんできたのだ。
「食らえ!!」
 巨漢の絶叫と共に砂登季の周辺に火が上がった。砂登季はあわてて飛び上がったが、彼の胸に向かって一筋の光が伸びてきた。それは砂登季の胸を貫き、途中 で旋回し砂登季の腹部を貫いた。
「ふっ・・・。」
 長身の鬼が銀色に輝く円盤を手にして笑った。先ほどの光の正体はあの銀色の円盤らしい。
 切断された部分を捨て、砂登季は霊力で肉体を復元した。砂登季が着地すると同時に、巨漢と門番達が一斉に攻撃を仕掛けてきた。そして、山頂で戦っている 砂登季を発見し、僧侶と獄使達もこちらに向かってくる気配がある。
「砂登季! 大人しくしろ!!」
 いたるところから火が上がり、雷が落ちる。また、天からは槍やら刀やらが落ちてくる。砂登季はぎりぎりでそれらをよけて、門番の一人に迫った。一撃を放 ち、体勢が傾いていた門番は全くよけることができず、砂登季の拳を受けた。そして、門番の首は山頂に向けて走っている僧侶と獄使達の中にぽとりと落ちた。
 ただの霊力者が獄使の首を飛ばすという異常な光景を見て、巨漢以外の全ての人物の動きが一瞬止まった。そこで生まれたわずかな隙をつき、砂登季は山を 下っていった。しかし、彼は下りながらも山頂に仕掛けをしておいた。砂登季を狙う全ての者が、我に返り彼を追跡しようとした瞬間、突風が吹いた。獄使達は 後方をあおられて次々と倒れ、ついに将棋倒しになってしまった。
「くそっ!」
 自分の上に倒れている獄使を吹き飛ばして巨漢が立ち上がった。そして巨漢は砂登季が勢いよく走り去っていくのを見た。
「・・・、あっちに逃げるとは愚かな。」
 上の方で長身の鬼も立ち上がり、そんなことを言っている。それを聞き流しながら、巨漢の鬼は印を結び、地獄にいる鬼や獄使達へ報告を行っている。それを 見た長身の鬼は振り返って獄使達に叫んだ。
「門番と私に従う獄使達、そして山頂にいる獄使達に告ぐ! 先ほどの人間を追跡し、直ちに裁所へ連れて行け! 奴は死人だが裁きを受けておらぬ!!」
 その声に応じて様々なかけ声が響き、獄使達が風のように走っていく。そしてすぐに長身の鬼も巨漢の鬼も走っていった。
「聞いたか?」
 獄使と鬼が将棋倒しになった頃、僧侶とともにいた獄使は山頂に着いた。その獄使の一人が、仲間以外に誰もいなくなった時につぶやいた。
「あぁ、俺達が連れてきた人間はただの死人だったか。」
「鬼達には悪いが、自分達の仕事を片づけるとするか。」
 そう言って、二人の獄使は山の反対側へ下っていく。そして、山の下の盆地には僧侶と数人の獄使が立っていた。
「どうやらあの男はただの死人らしい。鬼と獄使達が大勢追いかけているからそのうち捕まるだろう。」
「そうか。それではこの近くの洞窟で始めるとするか。では侶網笙殿、こちらへ。」
 僧侶が天馬に乗ると、獄使の一団はまたどこかへ走っていってしまった。

 鬼は不死だし、獄使は霊体のために死ぬことはない。このような者に追われていてはとても宙界へ移動する暇がない。とにかく人がいないところへ逃げようと 砂登季はかけだしたのだが、どういう訳か死者ばかりがいるところへ来てしまった。
 死人は目もうつろで足を引きずりながらゆっくりと歩いている。声をかけても全く気づかないのか、無視しているのかこちらを向かず、ただ気の向くままに歩 いているようにしか見えない。
「どいてくれ!」
 一人の中年男性が砂登季の目の前を歩いている。しかし、彼は砂登季の声に気づかず、前しか見ていない。もはやよけることは不可能である。砂登季は男性を 殴った。男性の体は破裂したように四方八方に飛び散った。
「おい、お前何をしている!!」
 飛び散った体の破片が当たったのか、一人の男が砂登季に声をかける。その鋭い目からただの死人ではなく、獄使か鬼であることがわかる。
「待て! まさかお前が砂登季か!?」
 砂登季を注視しているのにもかかわらず、彼は腕に抱えていた死者の頭を刃物で切断した。頭を切られた男性は絶叫しながら、気絶した。
「くそっ! 頭斬を後十人やらねばならぬと言うのに・・・!」
 地面に落ちた男の頭部をどこかに投げながら、鬼は苦々しげにつぶやいた。そして、振り向いて一列に並んでいる死人に目を光らせた。そこにいる死人達は、 目はうつろだが明らかに恐怖に震えている。
「次はお前だ! さぁ、来い!!」
 鬼の近くに立ってた女性の腕を無理矢理引っ張り、刃物を向けた。
「おい! 砂登季を見なかったか?」
 鬼の行為を止めようともせず、走ってきた巨漢の鬼が声をかけてきた。
「あぁ、あっちに走っていった。まだ俺にはつとめがあるから、頑張ってくれ。」
「ありがとう。終わり次第、手伝ってくれると幸いなのだが。」
 砂登季の走っていった方向へ向いていた切っ先が再び女性の頭に向かった。恐怖に涙を流す女性の顔に刃が徐々に食い込んでいく。
「婚約者を殺して遺産を奪った罪だ・・・。」
 その声と同時に、女性の顔が目を境に二つに分かれた。
 女性の泣き叫ぶ声など一切気にせず、数名の獄使と鬼が走り抜けていく。

 砂登季の前に死人が数名立っている。そして、彼らは自分達の前にある湖を凝視していた。湖は非常に大きく、迂回して逃げなければならないだろうと砂登季 は思った。しかし、数名の死人が湖の中を歩いており、意外と浅いらしい。
「おい、そこの獄使! そっちは食池だぞ。」
 大きな棍棒を持った鬼が砂登季に声をかける。この鬼は本当に鬼らしく、頭に角が生えている。そして彼は岸で立ちつくしている死人達に、湖に入るようにせ かしていた。そして、それでも進もうとしない者には容赦なく棍棒を振り、無理矢理湖に投げ込むんでいる。
 砂登季はその鬼の忠告を無視して、死人達の上を飛び越えた。鬼はその時になって、砂登季が獄使ではなく、先ほど警告が発せられた”砂登季”という人物で あることに気づいた。しかし、それに気づいても鬼は軽く笑っただけで、追跡しようとせずに次の死人の元へと歩いていった。
「おい、お前の犯した罪を償うためにこの湖を渡るんだよ。さぁ・・・」
 初めは優しい声で言う。しかし、口から長い犬歯がのぞき、角が生えている異様な姿に死人は震え上がっている。
「さぁ! 早く行かぬと、この棒でたたくぞ!!」
 死人は湖の先と鬼を交互に見てどうしようか考えている。
「とっとと行け! この死に損ないめが!!」
 頭をそして次に背中をたたかれ、死人は湖に倒れ込んだ。鬼の腕力はすさまじく、頭がへこみ、胴体が二つに分かれてしまっている。そして、水面に倒れてい る死人に小さな虫が集まってきた。虫たちは死人の体に次々と付着し、その体を食べ始めている。それを見た他の死人達の顔により深い恐怖が刻まれる。
 砂登季は湖の中に着地した。次の襲ってきたのは猛烈な痛みであった。下を見ると、底は剣山のように針がのびている。しかも不思議なことにこの針は霊体に 刺さることで、その人物の魂に痛みを伝えるのだ。まるで、肉体に刺さったかのように伝えてくるのである。砂登季は痛みをこらえながら周囲を見た。よく見る と、湖の周りは高い山に囲まれており、そこにも多くの針がのびている。さらに困ったことには、真っ赤に煮えたぎる溶岩が針の間を縫って流れているのだ。お そらく溶岩も湖の針同様、触れるとかなりの痛みがあるのだろう。
「くっ、岸を回ることはできぬか。ならば・・・。」
 後ろから、巨漢の鬼を先頭にして獄使達が集まってきている。砂登季は霊力により体を浮かせると、一気に反対側の岸へ向かおうとした。しかし、彼の背中め がけて一直線に銀色の円盤が飛んできた。円盤をよけたのはいいが、砂登季は何かに体中を刺されるような痛みを感じた。
 己の体を見渡すと、小さな虫が体を食べている。そして、底の針同様、痛みが伝わってくるのだ。虫は霊力で作られた肉体に足を食い込ませており、手で払う ことができない。また、羽が生えているために、砂登季が水面から少し浮いているにもかかわらず足めがけて飛んでくるのだ。
「ぐあぁぁ!!」
 すぐ近くを歩いていた男が、針と虫による痛みに耐えきれず崩れ落ちた。その男は既に膝より下を虫に食べられており、まさに気力と根性だけで進んでいたの だが、もうどうにもならない。崩れ落ちた男の体は虫により徐々に分解されている。
 自分もこうなってしまうのか? 砂登季に不安がよぎる。しかし、自分は霊力を自在に操ることができるのだ。他の死人と違い、何か他のことができるはず だ。そう思った瞬間、砂登季の体は炎に包まれた。自分の体を燃やしている光景に、岸辺の獄使達から驚愕の声が挙がる。自分の霊力で燃やしているので幸い全 く痛みはなかった。また、炎に焼かれ虫たちは次々と死んでいる。
「くそっ! 逃がすか!!」
 巨漢の鬼が岸辺で剣を数回振った。霊力による衝撃が伝わり、湖にいる数名の死者が破裂したが、砂登季はそれを防ぎ、先へ進んでいる。
 そして今度は自ら突風を巻き起こし、岸辺にいる獄使達に湖の水をかけた。体を虫に食われ、獄使達が絶叫している。彼らを率いてきた鬼達は、肉体を持って いるために虫に食われ事がないので、獄使を救うべきか砂登季を追うべきか立ちつくしている。しかし、すぐに鬼達は印を結び中に浮いた。
「獄使は俺に任せて、早く追跡を!」
 角の生えた鬼が、死人を棍棒で殴りながら言う。その死人というのは、水を被り湖に入る前に虫に食われて苦しんでいる人物達である。まことに気の毒なこと だ。
「恩に着る!!」
 二人の鬼は砂登季に向かって飛んでくる。湖の上で戦い、万が一中に落ちたら、戦局が不利になる。こんな状況で戦うのは無謀の一言に尽きる。そう考えて砂 登季は一目散に逃げ出した。
 湖を渡りきり、いくらか進んだところに大きな門があった。門の両側には門番が立っており、砂登季を見るやいなや攻撃を仕掛けてきた。もう、彼の名前は地 獄界全体に知れ渡っているらしい。
「裁所へ行け!」
 持っている槍を一振りすると、突風が吹き、地面が割れる。しかし、それは砂登季の少し前では止まってしまう。もはや獄使の力では砂登季の相手はできない ようである。
「どいて頂こうか!?」
 一瞬のして門番の目の前に現れた砂登季は彼の持っていた槍を奪い、風のようにそれを振り回した。獄使の体が細かく切断されてその場に積もる。
「あなた方では相手にならぬぞ!」
 太刀を持ったもう一人の門番は砂登季と一合交えようとしたが、それすら叶わなかった。彼の太刀は二つに折れ、槍の刃先が顔に食い込む。霊体のために血は 出ないし、痛みはないのだが、一瞬の出来事で対応ができない。これ以上の抵抗がいっさいできないまま、二人の門番はその場で肉塊へと変わってしまった。
「ちっ! 獄使では足止をすることができないのか!?」
 岸を渡りきった鬼達が悔しそうに言う。砂登季は門を抜けて、さらに奥へと向かっている。鬼達は一瞬、ためらった様子を見せたが、意を決したように門を抜 けて砂登季の追跡に向かった。
 残された門番達の肉体が微かに動き出した。そして肉塊の中からふっと白い球体が飛び出し、淡い光で肉塊を照らす。すると肉塊が浮き上がり、次第に人間の 形を作り始め、再び元の門番の形に戻った。門番達は砂登季にやられたことを悔しがりながら、門の前に立った。ちょうどその時、鬼達が率いてきた獄使達がイ カダに乗って岸に着いた。
 獄使達は門の先へ向かう鬼達の姿を見ていたらしく、ためらうことなく奥へと進んでいった。

「さぁ、ここならば安心でしょう。地上界の方々と連絡を取ってください。」
 暗い洞窟の中で獄使の声が響く。彼の顔は、彼の手にしている光源により照らされている。
「分かりました。それでは。」
 体格のいい僧侶がその場に座り、印を結んだ。霊波が矢のように上空へと走り、地上界のある場所へとのびていった。

 僧侶が祈り始めたのとほぼ同時に、隆庵達が急に騒がしくなった。先ほどまで休憩を取るために思い思いの格好で床に寝転がっていたのだが、皆きちんと座 り、印を結び始めた。印を結んでいない僧侶は急いで部屋から出て、数名の軍人を呼びに行った。
「いよいよ地獄界の獄使達を地上界へ呼ぶことができそうです。」
 一人の僧侶が連れてきた軍人たちに説明する。どの軍人も勲章をたくさん着けており、シワのない綺麗な軍服を着ている。
「うむ。それでは早速、作戦会議と行こうか。」
「はい。分かりました。」
 そう言って、僧侶は軍人達の前に座った。軍人は近くにあった椅子に腰かけて様子を見ている。
「こちら、侶網笙。獄使達と接触しました。」
 どこからともなく声が響く。
「うむ。侶網笙殿、私だ。魎山だ。」
 その場にいる全ての人間が、獄使と一緒にいる体格のいい僧侶、侶網笙の姿を思い浮かべた。
「魎山殿、お久しぶりです。」
 魎山と名乗った軍人はうれしそうにうなずいた。
「早速だが、作戦会議といきたいのだが。」
 もう一人、壮年の軍人が話しかけた。
「分かりました。・・・綾結殿、こちらへ。」
 侶網笙の声の後、しばしの沈黙が生まれた。
「綾結です。侶網笙殿以外で地上界の人間と会話をするのは初めてですな。」
 低くてすごみのある声が響いてきた。軍人達は初めて聞く地獄の者の声に一瞬驚き、お互いに顔を見合わせた。
「綾結殿、初めまして。私、熊岡と申します。私は徳川将軍様からここの前線を任されております。」
「さぞかし激しい戦闘なのでしょうな。様子は侶網笙殿からたびたび聞いております。しかし、ご安心下さい。我々はいつでも出撃の準備ができております。」
「それは心強い。ではいきなりですが、今夜、朝廷軍に奇襲をかけて、そのまま朝廷軍をつぶしてしまおうと思っております。その時に参戦して頂けないでしょ うか?」
 返事がない。獄使達に何か割ることを言ったのだろうかと、軍人達はまたもや顔を見合わせた。
「分かりました。では、浮上はいつごろ開始すればよろしいでしょうか?」
 熊岡を含め、軍人達はほっと息を吐いた。
「そうですなぁ・・・。あなた方がこちらの世界に慣れる時間が必要でしょう。奇襲が深夜の予定なので・・・。日が沈む頃にというのはどうでしょうか?」
「あいにく、こちらは常に昼なので分かりません・・・。」
 軍人の提案に、苦笑いする綾結の声が返ってきた。
「これは失礼。およそ、今から四刻ほど経った時ですな。」
「分かりました。それまでは侶網笙殿と生気を養っていますよ。」
「分かりました。それでは、四刻後に・・・。」
 綾結が返事をする前に、他の軍人が話しかけてきた。
「ところで、何人の獄使達が参戦してくれるのですかな?」
「全部で十五人です。何、ご安心を。獄使一人の人間で二十人の人間は相手にできますよ。それでは、お互いに霊力が保たないのでこのあたりで・・・」
 今回は侶網笙が答え、それから何の音も聞こえなくなった。そして、部屋にいる僧侶達がゆっくりと印を解き、ため息をついている。
「ふぅ・・・。無事、事が運びそうですね。」
 僧侶の一人がそう言って、その場に横になった。自分よりも身分の高い軍人達を前にして、だ。
「みなさん、我々は非常に疲れましたので夕方まで休ませて頂けませんか?」
 額の汗を袖でふきながら他の僧侶が軍人達に近づく。
「うむ、分かった。ゆっくりと休がよい。」
 魎山がそう言うと、脱力感しか感じられない声が部屋中に響き、僧侶達はその場に横になってしまった。もはや、軍人達を見送ろうと考えるものもいないらし い。
 僧侶達は全員、かなりの汗をかいており軍人達も彼らの苦労を察したのであろう。見送りがない事に対して不満そうな顔をせずに、さっさと部屋から出ていっ てしまった。
「ふぅ・・・。」
 侶網笙も地上にいる僧侶達同様、印を解きため息をついた。
「なかなか疲れるもののようですな。地上界との交信は・・・。」
「本当に命を削る気分ですよ・・・。」
 幽体のために汗はかかないが、侶網笙の顔は疲れ切っている。
 周りにいる獄使達の数が先ほどより若干少ない。洞窟から出ていった獄使達は、地上界へ行く仲間達を呼びに行ったのであろう。

「大変です!!」
 ふすまに控える貴族がそれを開けるやいなや、一人の僧侶が駆け込んできた。もはや会うべき人の前での格好など気にしていない。
「なんじゃ?」
 僧侶が会いに来た人物は、一段高い畳の上に座って、傍らにある机に肘をついている。
「帝、恐れながら申し上げます! ただいま、幕府軍の僧侶らめが地獄の獄使達との交信をしているのを突き止めました!!」
「何? 幕府軍もこちらと同じ事を考えているのか?」
「はい、おそらくは。獄使を召喚し、戦力に加えようと・・・。」
 僧侶は今になって服の乱れに気づいたらしく、頭を下げながらこっそりと直している。彼を高台から見下ろしている帝は軽く笑って、立ち上がった。右手に持 つ扇子が僧侶に向けられた時、僧侶はより一層頭を下げて硬くなった。
「柱支天よ!! 一刻も早く獄使を召喚し、戦力に加えよ! 今晩にでもあやつらは我々の元へと攻め込んで来るであろう?」
「はい! その通りでございます。我ら、命をかけ獄使召喚を!!」
 その時、一人の老人が僧侶に近づいてきた。今までずっと部屋の隅で静かに座っていたのだが、立ち上がるとかなり背が高い。
「柱支天よ。帝直々の命令である。心してかかるように。」
 老人は険しい顔だが、諭すように僧侶に言う。その声でますます僧侶は頭を下に下げる。
「分かりました! 右大臣様!!」
「報告はそれだけか?」
 立ち上がっていた帝は、扇子を懐に収め座り直した後、僧侶に尋ねた。それを見た、右大臣も元いた場所に戻る。
「はい!」
 僧侶はゆっくりと顔を上げる。
「ならば今すぐ下がり、地獄へ幽体を飛ばせ! 私もうまくいくよう神仏に祈りを捧げようぞ・・・。」
 僧侶は一瞬、目を大きく見開いてから再び頭を下げた。
「ありがとうございます!! 我々、僧侶一同宗派の違いを越えて一所懸命、獄使召喚に勤めます!!」
「うむ・・・。」
 僧侶が部屋から出ていった後、帝の前に右大臣と左大臣が座った。
「帝・・・江戸という時代は長すぎました。二百年以上、我々が政治の舞台から一線を引き、栄華を誇っているうちに一部の僧侶・神官は金と権力を求め幕府側 へ接近しました。」
「一刻も早く権力を取り戻し、全ての僧侶・神官をまとめねばなりませぬ。」
 右、左大臣がそれぞれ意見を言う。
「その通りだ。我々、朝廷とての栄華を誇りたいがために権力を幕府へ譲った訳ではない。お前達は知らぬだろうが、徳川家が幕府を開く以前から、朝廷は徳川 家とある契約を結んでいるのだ。」
 帝がゆっくりと言う。その内容は右大臣、左大臣共に初めて聞く内容らしい。
「帝、もしよろしければ我らにそれを聞かせて頂けないでしょうか?」
「ならぬ。」
 左大臣の声に、帝は冷たく答えた。
「申し訳ありません!」
 左大臣は必死になって頭を下げ謝っている。
「これを知ることができるのは、公家のみだ。ところで、戦局はどの様な感じなのだ?」
 帝は不適に笑い、二人との距離をつめた。
「今のところ、鋳笠藩の土涼岡という場所に前線をしいております。朝廷軍、幕府軍ともに数およそ二万五千でございます。」
「うむ・・・。」
 帝はふすまに描かれている日本地図を眺めてうなずいた。しばらく地図を見つめた後、右大臣の方を見る。
「思った以上に朝廷の近くであるな。朝廷軍は攻められて後退したのか?」
「いえ。そうではありません。鋳笠藩の隣、永厘藩の魎山家は幕府軍に従っており、そちらまで前線を伸ばすことは不利となるためにここに陣を構えたので す。」
 帝は少し考えてから、独り言のように言った。
「ならばいい・・・。ここで獄使を呼び、どちらが勝つかは重要である。お前達も兵の士気を高める努力を怠るな・・・。」
「はっ!」
 帝は後ろに下がり、机にひじを突いて考え事をしている。それを確かめると、二人の大臣は一礼して部屋から出ていってしまった。

 砂登季は急に走るのをやめた。ずっと前から前方へ見えていたあの真っ赤な揺らめきはやはり炎であった。
 針と虫ばかりの湖を抜け、門番を倒し奥へ進んだ。すると山を背にして、また門が建ててあったのだ。別に飛び越える必要もなかったので砂登季は門をくぐっ た。しかしその時、彼は後ろを振り返った。門の先は、なぜか洞窟につながっており、その先はたいまつの小さな明かりがちらちらと揺れているだけであったか らだ。ところが、振り返ってみても、既に門の姿はなく岩の壁が立ちふさがっていた。
 岩の壁を砕くべきか、前に進むべきか彼が考えていると、「待て」という怒声が響き、空間から鬼が二人出てきてしまったのだ。それを見て大慌てで砂登季は 薄暗い洞窟を奥へ進んだのだ。
 洞窟を進むと、次第に明るくなってきた。出口かと思えば、その光は赤く揺らめいており太陽のそれではない。そして、さらに近づいた砂登季が見たものが、 いままさに目の前にある巨大な炎であった。
 炎は洞窟全体を占めており、時々おぞましい音と共に風を巻き起こしている。また、赤から黄色へ、黄色から黄緑へと徐々に色を変化させている。触れてみる と、湖の針同様、体を燃やす痛みが伝わってきた。
「その先へ進もうとするのか? やめた方がいい。」
 あまりの巨大さにただ立ちつくしてた砂登季に鬼達は追いついた。
「この炎は地獄で最もおぞましい試練だ。そう、獄使となるべき人物が最後に罪を償う場所なのだよ・・・。」
 もはや砂登季が先に進めないと鬼達は確信しているらしく、攻撃もせず勝手に話している。
「その炎はここから先、約五里に渡って続いている。どれだけ強大な霊力を持ってしても通り抜けることは不可能だ。それに、出口もないしな。」
「それに、罪を受けぬ霊体がここで浄化されても、何の慈悲もなくただ転生の時を待つだけだ。そう、ただ意識として宙界を漂うだけだ。」
 鬼達は勝利を確信したのか、その声に笑いが混じっている。
「意識だけが漂うとは辛いものだぞ。意識は誰にも見えない、誰にも発見されない。ただ、死人が地獄に落ちたり、天上界へ登ったりするのを孤独に耐えながら 無意味な時間を過ごすがいい・・・。」
 巨漢の鬼がそう言うと、長身の鬼は大きく息を吸い込んだ。
「どうだ? 裁所へ来るか? 罪を受けて、ここに来たのならば獄司神の慈悲があるぞ?」
 長身の鬼はそう言った瞬間、銀色の円盤を手にし、砂登季の方へ向けた。それと同時に、巨漢の鬼も剣を抜いている。
「地獄で暴れたがためにお前が受ける罪は、永劫惑獄しかないのだが。まぁ意識として漂うよりは有意義な生活が送れるだろうよ・・・。」
 じり、じり、と鬼達が砂登季との間合いをつめる。砂登季も距離を置きたいのだが、炎があるために下がることができない。
「その炎はなぁ・・・地獄で苦しむ死人達の悲鳴と恐怖を燃やしているのだよ・・・。地獄は苦しみを味わう場所だが、その苦しみを土地へ刻む必要はない。」
 遠くから獄使達が鬼を呼ぶ声がする。さらに敵が増えてしまったようだ。
「さぁ・・・。どうする?」
「何と言われようが、私は地獄で罪を償う気はない。」
 砂登季は目をつぶり、意識を集中させた。その瞬間、彼の体が青く輝き、体を水が取り巻いた。
「おぉ!」
 その時、鬼達は砂登季の変貌ぶりに驚いた。姿形が大きく変化しているのではなく、彼の目が怪しく赤く輝いたのだ。その輝きは、まるで彼が背にしている炎 の色のようであった。
 砂登季が右腕を上げると、足下から水があふれだした。
「水神よ・・・。」
 その声は非常に澄んでいて、なおかつ不思議な響きを持っていた。もし誰かが聞いたら砂登季の声とは思わないだろう。しかし、このことに気づいたものは誰 もいなかった。砂登季がこの声を発した時、鉄砲水のごとく、鬼達へ向かって巨大な水流がのびてきたのだ。霊力で防ぐことも、地行術でかわすこともできず、 鬼達は後ろに流されてしまった。
 砂登季は振り返り、目の前の炎に向けてその腕を突きだした。先ほど同様、一直線に水が流れ、炎が消えた。しかし、完全に消えることはなく、地面で小さな 火がちらちらと燃えている。
 一度消えかかった炎が徐々にその勢いを取り戻していたが、、砂登季は洞窟の奥へ奥へと進んで行った。時々かかる火の粉も、彼の体を包んでいる水の幕が防 いでいるために、何の影響もない。
 そして、砂登季はいかなる死人もたどり着けなかった洞窟の行き止まりへ辿り着いたのだ。彼は霊波で岩の深さを調べ、薄いことを確認すると、その拳でうち 破った。そして、体を覆っている水の幕を消し、外へと飛び出したのだ。
 多くの獄使は水圧で押しつぶされて、地獄界における死を迎えた。霊体と魂が天上界へと移動してしまい、鎧しか残っていない。そんな中、鬼達は意識を取り 戻し、砂登季の追跡を試みたがもはや彼の姿はなく、地獄の炎がゆらゆらと燃えていたのだった。

「ところで、ここ洞窟はずいぶんと悲しみであふれていますな。」
 侶網笙は周囲を見渡してそう言った。獄使達と侶網笙は、砂登季が鬼達を押し流した洞窟のそばに集まっていたのだ。
「えぇ、ここは死人の苦しみを燃やすための炎がありますから。」
「ほぉ・・・。そのようなものが・・・。」
 侶網笙は周りを見渡したが、当然岩ばかりで炎は見えない。しかし、洞窟の奥から悲しみとしか表現できない気配が漂ってくるのだった。
「どうぞ安心してください。このように居心地の悪い場所には鬼も獄使もあまり近寄りません。」
「それは好都合ですな。ところで今、地上界の時間はいつ頃なのでしょうなぁ・・・。」
 侶網笙がそう言った時、急に洞窟が揺れた。その振動は一度きりで、あたりはまた静寂に包まれたのだ。
「・・・?」
 獄使も何が原因か分からず、周囲に気を配っているが特に何もないようである。侶網笙はたいして気にせず、地上界の人間と連絡を取るために祈りを始めた。
「おや、若干名の鬼と獄使がここに集まっている様子が・・・」
 ちょうど侶網笙が祈りに集中し始めた頃、獄使の一人がそうつぶやいた。他の獄使も同じ事に気づいたらしく、そわそわし始めた。
「侶網笙殿、どうやら我々が幕府軍の使者と間違えた青年がこのあたりにいるようです。今すぐ地上界へ移動できないものでしょうか?」
 今から洞窟を飛び出して他の場所へ移動するのは手遅れである。不用意に幽体の人間と一緒に行動すれば怪しまれるだろうし、他の場所へ移動する前に地上界 の夕暮れとなってしまうかもしれない。そこで綾結は侶網笙にこう尋ねたのだ。
「少々待ってください・・・。」
 祈りに集中しながらも侶網笙はきちんと応対した。そして、しばらくの沈黙のうちに彼は祈りを解いた。
「分かりました。今すぐ地上界へ行く準備をします。」
 その声に獄使達は息をのんだ。どの顔も先ほどとは比べものにならないほど緊張し始めている。

「・・・、かなりの数が集まってくる。」
 砂登季が立っている山を目指して、百数十人の鬼や獄使が近づいてくる。もはや砂登季一人が対処できる数ではないだろう。
「ならば、多くの敵が集まる前に・・・。」
 他の場所よりも山の頂上は高いため、宙界へ若干早く移動できるだろう。そう思い、砂登季は山の頂上を目指し、跳躍した。
 しかし、そう上手くはいかないようだ。山の頂上の地面が吹き飛び、巨漢の鬼と長身の鬼が現れたのだ。水に押し流された後、地行術でここまで来たらしい。
「砂登季! もはや逃げ場はないぞ!!」
 水に流されたことを相当恨んでいるのか、巨漢の鬼が顔を赤くして叫んだ。
「大人しく裁所へ来い。」
 それとは対照的に、長身の鬼は諭すように言ってくる。
「くどい!」
 その声と同時に砂登季は腕を鬼達へ向け突きだした。一瞬で三人がいる上空に雲がかかり、激しい雨と風が巻き起こる。
「雨雲など呼んで何になる?」
 巨漢の鬼が笑い、印を結んだ。すると彼の周りに火柱が生まれ、そこから醜悪な姿をした人間らしいものが現れた。長身の鬼も同様に、この醜悪な姿の人間を 呼び寄せ、砂登季の目の前にいる敵は合計で四人となった。
「ははははぁ! 妖魔を相手にしたことはなかろう?」
 巨漢の鬼はそう言って、手を動かした。それが合図だったのか、妖魔がおぞましい叫び声を上げた。その声には霊力が含まれており、砂登季に強烈な霊波がた たきつけられた。彼は空中で平衡感覚を失い、地面に落ちた。
「怒りと憎しみのみに生きる死人の最後の姿だ! 恐ろしいか? 哀れむか? こいつらはいくら攻撃しても死ぬことはない! ただ、転生の時まで苦しみ嘆く しかないのだ! 苦しみ続けているが、殺すことができない・・・。この人間に手を挙げることが、砂登季、お前にできるか!?」
 落ちた時の衝撃はたいしたことはないのだが、空中で受けた霊波はすさまじかった。彼は立ち上がって、妖魔の姿をまじまじと見た。髪は伸び、垢や土で皮膚 や服は汚れきっている。体はやせ細り、骨と皮しかないし、顔は無表情で、目だけが黄色く光っている。そして、彼らの動作全てにおいて霊気がもうもうとあふ れてくるのだ。鬼のものとも、地上の霊力者のものとも違うその霊気は、異質な力を感じざるをえなかった。
「お前が受けるであろう罪、永劫惑獄を受けた者のなれの果てが妖魔だ。お前は裁所へ行ったら、獄使になるのか・・・妖魔になるのか・・・。」
 鬼は何度目かの、勝利を確信した笑みを浮かべて言った。
「苦しむ人間を救わずに、苦しみ続けるようにし向けるとは・・・。これが地獄と言うものなのか?」
「今頃気づいたか? 地上での罪がどれほどのものであるかを死人に知らしめるためにこそ、地獄はあるのだ!!」
 砂登季の独り言に、鬼は大声で答えている。
「ならば、あの時代には地上界も地獄なのか?」
 砂登季の頭の中には、建物の中で死体に対し容赦なく銃を向けた兵士達の姿が目に浮かんだ。その時の怒りと、妖魔に対する哀れみが交錯し、砂登季から強力 な霊波があふれ、空が光った。そして、一筋の光が伸び鬼達に突き刺さった。
 大きな爆発音と巻き上がる煙。強烈な雷は鬼の肉体を炭へと換え、妖魔は肉塊へと変化している。しかし、皆死んではいない。
「・・・。この鬼にこれほどの攻撃を加えるとは・・・。」
 炭と化し、動かすことができない左腕を外しながら、長身の鬼が攻撃の構えを取った。彼の持っている円盤の形状が変わり、一本の剣と変化していく。
「そこまでして私を連れて行きたいのか?」
「地獄の秩序を守る。それが鬼の役目だ!! それが手段であってもかまわぬ!」
 長身の鬼は剣を砂登季に向けて振り抜くのではなく、天に突き上げた。その時、地面が波打ち大量の妖魔が出現した。妖魔達は紫に輝く剣に呼び寄せられるか のように、長身の鬼の所へ集まってくる。
 そして、長身の鬼は近づいてくる妖魔をつかみ彼らの頭を食べた。食べるごとに鬼の霊力が高まっていく。そして、霊力が高まるにつれ、角が生え牙が伸び、 より一般的な鬼の姿へと変わっていくのだった。妖魔達は火に集まる蛾のように、食われることを恐れる様子もなく剣に群がっている。この異常な光景に砂登季 はたじろいだが、鬼の霊力の急激な上昇に気づき、もう一発雷を落とした。
 妖魔達が紙くずのように飛んでいくが、煙の中で長身の鬼はしっかりと立っていた。
「無駄だ、無駄だ。お前の霊力では、もはや勝てるはずがない・・・。」
 煙の中から鬼の声が聞こえ、強力な霊気が漂い始めた。
「ここで俺に負けて宙界を漂うか、裁所へ行き地獄を旅するか・・・どちらがいい?」
 鬼の問いかけに砂登季は答えずに、軽い跳躍で長身の鬼との間合いをつめた。その砂登季の行動に、鬼は満足そうに笑うと再び剣を構えじっとにらみつけた。 妖魔を食べたためか、血に飢える正確へと変わったらしい。
 どちらが先に動いたのか分からない。二人はほぼ同時に攻撃を仕掛けてきた。鬼の剣が紫の弧を描き、砂登季の拳が淡い残像を残して消えていく。お互いに全 く攻撃が与えられない状態がしばらく続いたが、鬼の剣が砂登季の左腕に食い込んだ。そして、剣は砂登季の体を真っ二つに切断してしまった。
 砂登季の上半身と下半身は崩れ落ちたが、霊体でできた肉体であるためにすぐに回復して立ち上がった。しかし、一度倒れた状態から再び攻勢に転じるのはか なり難しい。砂登季は攻撃をかわすばかりでいっさい攻める機会が与えられなかった。
「どうした? どうした?」
 鬼は笑いながら砂登季に斬りつけてくる。そして、鬼の目には自分達に徐々に近づいてくる獄使の鬼の姿も映っていた。
「くっ!」
 砂登季は苦し紛れに糸縛術を使った。僧侶や神官が使っていたのを見よう見まねで試してみたのだが、鬼に対しては十分な効果があった。
 砂登季の手から放たれた数千、数万という白い糸は一瞬にして鬼の剣にからみついた。そして、鬼は何が起きたのか分からず、剣から手を離してしまったの だ。砂登季は糸をたぐり寄せて、剣を素早く握りしめた。そして、己の失敗を悟った鬼の顔に対して剣を振り下ろした。
 真下に一撃、水平に一撃、そして、あらゆる方向に剣を振り回した。とたんに鬼の体は肉塊へと変化し、その場に崩れ落ちた。しかし、砂登季はそれで満足せ ずに、霊力を使い全ての肉片を地獄界に振りまいてしまった。肉体から霊体を抜いている最中に飛ばされたらしく、鬼が攻撃してくる気配はなかった。
 一方、巨漢の鬼は頭部が炭と化したために、全く動かなかった。また、霊体として戦おうとする気配がなかったので砂登季は跳躍して山頂を目指した。鬼は不 死といっても、一時的に仮死状態になることはあるのかもしれない。
 山頂から砂登季が見た景色はすさまじいものであった。針の山、血の海、そして自分の元へ続々と集う鬼と獄使の影・・・。彼は意識を集中して浮上しようと した。しかし、その時に地面から腕が伸び、砂登季の足をつかんだ。そして、腕は砂登季を軽く振った後、彼を地面にたたきつけた。どうやら鬼という存在は、 霊体に物理的に触れることができるのだろう。
 地面が盛り上がり一人の鬼が砂登季の前に立った。そして、他の場所からも一体、二体と鬼が次々に現れた。
「地獄で暴れ回っているが、これだけの鬼に囲まれては手も足も出まい・・・。」
 霊力を隠し、地行術で気配を消し鬼達は砂登季のいるところへと集まってきたのだ。自分の霊感のなさを砂登季は痛感したが、悔やんでいる暇はない。早く鬼 達を対処しなくては、宙界へ行くことはおろか、地獄にとどまらなくてはならないかもしれない。
「大人しくしろ・・・。罪を償う旅に出るまでは危害を加えることはない・・・。」
 「ただし、裁所へ行くことを認めるのならば」と言いたげに、鬼達は攻撃態勢に移った。槍を構えるもの、剣を構えるもの、印を結び霊力を使用する準備をす るもの。砂登季が指一本動かそうものならば、すぐに攻撃を仕掛けるだろう。
 果たして自分の霊力でこれだけの鬼を相手にできるのか? 砂登季は周囲を見渡した。一体ずつ相手にするのならば何とかなるかもしれないが、目の前には十 体以上の鬼が砂登季を狙っている。八方を囲まれているために逃げ場もないし、山頂では隠れる場所もない。
「・・・。」
 天空から一筋の霊波がのびてきた。それと同時に砂登季の体が上昇を開始し始めた。そして、彼を囲むかのように数名の獄使達が昇っていく。
 あまりにも突然の出来事で砂登季を囲んでいた鬼達はただただ見ているだけであった。
「これは・・・?」
 例えるのならば上昇気流であろう。霊波は地獄にいる霊体を宙界へとどんどん引っ張っていく。しかし、あまり速くなかったので、砂登季は自らの霊力でさら に速度を上げた。
 砂登季の姿が確認できないくらい小さくなった頃、鬼は我に返ったかのように行動へ移った。報告のために印を結ぶもの、砂登季の追跡のために直ちに上昇す るもの、獄使に指示を与えるために山を下るもの様々である。とにかく、死人が再び宙界や地上界へ戻るということはあってはならないのだ。
 一部の鬼が、砂登季に混じって上昇している獄使の姿に疑問を持ち、理由を調べるためにどこかへ向かっている。また、集まりつつある獄使達も鬼の指示に従 い、それぞれ行動を開始した。

 地獄の一角にある不思議な都。荒れ果てた大地とは対照的に朱に塗られた柱と、真っ白な壁で囲まれている。内部は碁盤の目のように整備されており、かつて の平城京や平安京を連想させるものである。
 そして、その都の中央には他のものとは比べものにならないほど広く、高い建物があった。ここには地獄を司る神々がいて、地獄で起きた全ての情報が集まっ てくる。当然の事ながら、砂登季に関する情報も伝えられていた。
 四階にある展望台で一人の神が周囲の様子を眺めていた。地獄の大地は殺風景とはいえ、ぱらぱらと人影が見えて、思いのほか趣があるのかもしれない。獄司 天の称号を持ち、地獄の鬼を統率するこの神は手に持っていた杯を飲み干し、ふっと息を吐いた。神の行う全ての行為から霊気があふれるが、地上の霊力者と も、鬼とも、そして獄使のものとも違う霊気である。その時、風が吹き神の後ろに一体の鬼が現れた。
「獄司天、申し上げます。」
 呼ばれた神は、鬼の存在に気づいているらしいが返事をしなかった。しかし、鬼も気にせずに続ける。
「先ほど、獄使数名が宙界、もしくは天上界へ向け昇っていきました。本日、獄使が上昇する用事があったでしょうか?」
 神は全く考えるそぶりなしに「知らぬ」と即答した。そして、鬼の方へ向き直り、鋭い視線を浴びせた。
「だが、先日の会議の時、一部の獄使の不穏な動きについて私が言及したであろう?」
「はい、それは確かに。大統鬼として、私も含め、部下数名と協力して真相を突き止めようとしましたがいっさい手がかりはなく、今日に至る次第です。」
 その声に神は笑った。
「ふっ、飴詛よ・・・。私は言及する前に、真相を突き止めていたのだがな・・・。」
 その瞬間、鬼にむけて強力な霊波が放たれた。鬼は体にのしかかる重さに必死になって耐えている。
「過ぎたことをあれこれ言っても仕方がない。聞け・・・。地上界の幕府軍が獄使を召喚し、戦に勝利しようとしている。」
 鬼は口から血を吐きながら神の顔を見た。鬼が見た神の顔には、「獄使の行動についてどう思うか言ってみろ」と書いてあった。
「は・・・。地獄の者が地上界の事に干渉するのは・・・あってはならないことです。直ちに鬼と獄使を率い、地獄の法を破った獄使、そして地上界の人間を処 罰いたします・・・。」
 鬼の周りに血だまりができていく。しかし、神は顔色一つ変えずに鬼に霊波を浴びせ続けた。とうとう鬼の体が重みに耐えきれずに破裂し、内臓や血が神の服 についた。
「飴詛、分かっているのならば直ちに行動へ移れ・・・。」
 神はそう言って印を結んだ。その途端、鬼の体は元に戻り、神の服に付いていた血も消えていた。
「獄司天、直ちに行動へ移ります!!」
「分かった。それから、私の名前もいい加減に覚えろ・・・。」
 獄司天とは、地獄に勤める神の通称であり、彼の名前はもう少し長い名前であった。
「申し訳ありませぬ!!」
 再び霊波で圧死されるのはたまらないと言いたげに、鬼は一目散に展望台から逃げていった。その様を笑いながら見つめていた神は、再び杯に酒をつぎ、外の 様子を眺め始めた。
 しばらくすると、神の目にも地獄界で指折りの実力者達が、地上界から放たれる霊波をたどって上昇しているのが見えた。

 夕暮れの空に、二つ目の太陽かと思うほどの閃光が大地を照らし、次々と人間が降りてくる。彼らは幕府軍の塹壕付近に降り立ったようだ。
「獄使達が到着する模様です!!」
 たき火をして外で暖を取っていた隊長達の元へ一人の僧侶が走ってきた。その時には全員が空の閃光を見つめていたために、報告の必要はなくてもよかったの だが、その場にいた全員が心の準備ができたようだ。
「総員、戦闘態勢に付け!!」
 どこからともなくそんな声が聞こえ、銅鑼やホラ貝の音が響く。
 ところが、しばらくするとそれは爆発音でかき消された。基地にいる人間があわてて塹壕の様子を見ると、待機していた兵が木の葉のように飛ばされていた。 そして、彼らを飛ばしているのは頭から角を生やした鬼達であった。
「獄使! 理由は何であれ地上界の出来事に手を貸すことは許さぬ!」
「いや、砂登季を地獄へ引き戻すことが先だ!!」
 こんな事を言いながら、鬼達は破壊と殺戮を繰り返した。本当は幕府軍に参戦した獄使達と砂登季に攻撃を加えているのだが、幕府軍の人間は霊体が見えない ために鬼達が怒り狂い暴れているだけにしか見えなかった。
「しまった! 鬼達に気づかれたようだ!!」
 先ほどまで死体同様であった侶網笙が顔を真っ青にして僧侶達がいる部屋に戻ってきた。その声を聞いた時、祈りが終わり疲れ切った僧侶達の顔が急に引き締 まる。
「だからどうした?」
 侶網笙があまりにも真剣な顔をしているので、表情が変わったのだが疲れ切っているために気に留める様子がない。事実、彼らは外で響く爆発音は朝廷軍を攻 めている音だと思っていた。
「獄使が地上界へ来て、地上界へ干渉することは許されないのだ! そして、獄使にそれを依頼した人間たちもな!!」
「すると、俺達はどうなるのだ?」
 侶網笙があまりにも取り乱しているために、僧侶達も心配になってきた。
「地獄の掟を破った獄使や、獄使をそそのかした人間は鬼に殺されるのだよ! そして、鬼達はもう我々の企てに気づいているのだ!!」
 僧侶達は何も言えなかった。ただ顔から冷たい汗をたらたらと流しているだけであった。心なしか人間の悲鳴と怒声、そして爆発音が近づいているように思え る。

「くそ! 砂登季がいない!!」
 砲撃してくる兵士の頭を握りつぶしながら一体の鬼が叫んだ。
「あぁ、そのようだ。奴のことは後続にまかせて、俺達は獄使と接触した人間を始末するぞ!!」
 近くの鬼が印を結びその場に座り込んだ。もちろん他の鬼に霊波として伝えるためである。それを力つきたと勘違いした兵士の一部が勢いよく斬りつけてくる が、刀は岩を斬りつけた時のようにむなしくはじき返された。
 鬼達は兵士の攻撃、僧侶の霊気、砲弾をもろともせず着実に幕府軍の基地へ近づいていった。

「おもしろい・・・。」
 地獄の都の中央。神のいるその建物で彼は笑っていた。
 座敷にゆったりと腰を下ろし、都にいる人の行き来をゆっくりと見つめていた彼は、一人の鬼の報告を聞き、不適に笑ったのだ。地獄を司る神、獄司天の一人 である彼は地獄に来た死人を処理する役目であった。ちなみに閻魔様とは全く別な存在である。
 傍らに置いていある杯を飲み干してから、彼は続けた。
「神より宇宙が生まれ、その後、人が生まれた。しばらくして人が死に初め、地獄が必要となってから幾年が経ったことか・・・。」
 そこまで言って、自分で酒をつぎ足し、一気に飲み干した。
「その間、罪を受ける前に死者が再び宙界へ戻ったりすることはなかった。これも時代の変化というものか。」
 そう言って彼は高らかに笑った。その豪快な笑いは、地獄のどんなおぞましい光景よりも迫力があり、報告に来た鬼がふるえている。
 笑い声が徐々に小さくなり、霊気が混じった視線が外にのびた。
「ふっ、その砂登季とやらにもう一度生きる機会を与えるのも一興かもしれぬ。」
「お、お待ち下さい!!」
 蚊の鳴くような声で鬼は彼を止めようとしたが、彼の視線は鬼の動きを止めてしまった。
「お前には関係のない事だ。それに、私が地獄を統治しているのだぞ・・・。」
 そう言って彼は印を結び、宙界から徐々に地上界へ引っ張られている砂登季の霊波を送ろうとした。
「・・・何?」
 彼の顔に焦りが生まれる。
「どういたしました・・・?」
 再び鬼が恐る恐る声を発する。
「奴は過去へ飛んでしまった。信じられぬ!!」
 彼は砂登季が地上界へ降り立つように術をかけた。そして、再び肉体を与えるために術をかけようとしたのだが、それよりも早く砂登季は過去へと飛ばされて いった。砂登季の魂は、肉体を持たずに過去の地上界へと向かっていった。

 帝は朝廷でも最高位の面々を集めて会議をしていた。
「土涼岡の戦闘に破れた幕府軍は撤退を続け、もはや地方での小規模な抵抗しかできない状態です。帝、そろそろ新しい時代を築くべきです。」
 朝廷軍を指揮する大将が熱っぽく語る。
「うむ。」
 帝は小さな声で答えたが、決して戸惑っているのではなかった。彼の頭の中には次の時代の構想が渦巻いており、それを整理するのに必死になっていたのだ。
「帝。私めが見るに帝は既に新しい時代の構想ができているように見受けられますが・・・。もし、差し支えなければ我らに教えて頂けませんぬか?」
 右大臣の問いかけに帝はしばらく反応しなかった。
「・・・。列強諸国をまねて議院内閣制にしようと思う。我らは再び政治から一線を引き、僧侶・神官を束ね直さねばならぬだろう。」
 帝が朝廷の頂点に立つ存在であるという理由だけではなく、かなり的確な意見であるためにその場にいる人間たちは反論する必要がなかった。
 幕府から政府へ・・・。新しい時代が始まろうとしていた。


 回を重ねるごとに分量が増えてしまいます。すごい疲れます・・・。
 ちなみに、地獄の設定は管理人が勝手に考えたものです。そのために、仏教などのものとは全く違います。



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