赤い小太鼓2
周囲の風景にとけ込むよう意図的に設計し、高台に建てられた建物がある。かつては猟師が泊まるために用いてきたが、今はただの山小屋という価値しかない。その建物の中で、若者と老人がある一点を見つめている。
「おや、そろそろ始まるようじゃ・・・。ほれ、あの辺りを見なされ。」
「本当ですね。明かりがぽつんと・・・。」
既に設計者の意図と同じ目的で使われることのないこの建物の窓から、老人はまっすぐに手を伸ばし、指を突き立てた。その直線上には、森の中にぽっかりと
ひらけた場所がある。山腹にある平地で、広さ直径二十メートルくらい。昼間は森にあるただの広場であったが、空が赤みを帯びた頃から明かりが灯り始めた。
「今からあちらへ向かえば、直接撮影できますかね?」
「やめておきなされ。帰りに困る・・・。」
「でも、祭に出ている人たちに帰り道を聞けば、・・・いいのでは?」
「・・・。」
若者の質問に老人は答えなかった。彼は黙って森に現れた人工物を見つめている。明かりは決して動くことはないが、その形は微妙ながら変化し続けている。
「祭とは本来、その土地のものだけが集まって執り行うものじゃ。よその者が行くところではない。だから行ってはならぬ。しかし・・・どんなに騒いで見物しても文句は言われまい。祭じゃからな。」
しばらく沈黙していた老人が、それだけ言って持ってきたリュックサックを開けた。中にはビールや、紙パックの酒が入っている。老人はそれらを取り出し、床に並べた。
「あいにく、私は取材なのでここでヘベレケになるわけにはいきません。」
若者は老人が差し出した酒を断り、コンビニ弁当とペットボトルのお茶を取り出した。若者は記者で、この土地に伝わる祭を取材に来たのだ。では、どうして祭から離れた小屋で老人と一緒なのかは、そのうち分かるだろう。
「そうか、そういえばそうじゃったな。わしだけ楽しませてもらうが、悪く思わんでくれ。まぁ、酒が駄目でもつまみくらいは・・・。」
「そうですね。いただきます。」
つまみを手に取った若者は、自分のリュックサックからカメラを取り出した。赤外線撮影機能搭載で月のない夜もハッキリと撮影できる非常に高価なものであ
る。キリッとした若者の顔が、窓から差し込む月夜に浮かび上がった。若者はくるりと老人に背を向け、窓から身を乗り出した。
明かりの数が先ほどよりも増えている。人が集まってきているらしい。しばらくすると、笛の音が聞こえ始め、やがて太鼓が鳴り始めた。
タンタカタン、タンタカタン、タンタカタン・・・
太鼓は一定の拍子で鳴らされている。その音を聞いた、老人が改めて窓の方を向いた。
「おや、赤い小太鼓が鳴り出したようじゃ。いよいよ祭が始まったぞ。」
「そうですね・・・。小さいながら踊っている人が撮影できそうですよ。」
祭囃子はハッキリと聞こえはじめ、若者の胸も高鳴った。楽器を演奏する集団を囲み、踊っている人々の姿を必死でフィルムに収めた。老人は満足そうに酒を飲み、笑っている。
タンタカタン、タンタカタン、タンタカタン・・・
人々の熱気に合わせて、徐々に祭囃子が早くなっていく。踊りはますます激しくなり、ただ狂喜乱舞しているようにしか見えなかった。若者は祭の空気に酔いながら、夢中でシャッターを押した。若者には自分がシャッターを押すたびに、太鼓の音が早くなっているように感じた。
「ところで、赤い小太鼓って今鳴っている太鼓ですか?」
「そうじゃ。漆やら何やらをしっかりと塗ってあって、それはまぁ見事な赤らしい。」
「見たことはないのですか?」
「わしは祭を見たことはあるが、参加したことはない。あの祭は隣村のものだからなぁ。」
「そうですか・・・。」
「あんたも気の毒に。上司が場所を間違えて、目的の村の隣にあるこの町へ来て・・・。」
「いいですよ。結果的にはこのように撮影できるのですから。」
二人は顔を合わせてはいなかったが、お互いの表情は何となく理解できた。老人は満足そうに酒を飲んでいるし、若者は頬を紅潮させながらシャッターを切っている。会話の隙間は祭囃子が埋め、夜の冷たさも、男二人だけで小屋にいるというつまらなさも感じなかった。
「ところで、あの祭には村人全員が出席するのですか?」
「違うだろうなぁ。わしも直接村の者に祭の話を聞いたことがないが、どう考えても少ないだろう。」
老人はそう言って、窓から身を乗り出した。そして、望遠鏡を使い祭の様子を見つめた。若者もレンズ越しにだいたいの人数を調べたが、祭に出席している人間は五十人前後だろう。性別や年齢は分からなかったが、村の祭りにしては少ないと思った。
「そろそろじゃ・・・。カメラがぬれると大変じゃから、早く引っ込めなさい。」
「えっ?」
「ほら・・・。タタッタタン、タタッタタンの拍子が早くなっているじゃろ。そろそろ雨が降るんじゃ。」
若者は首を傾げながら、窓から身を乗り出すのをやめた。それから五分も経たぬうちに、雨が降り始めた。彼は雨を見ながら、もう一つの不思議を考えてい
た。老人の話した太鼓の拍子は、若者の聞いたそれよりも若干遅いだけでなく、全く違うものであった。酔っており、舌が回らないためだと若者は判断し、カメ
ラを握りなおした。
「今まで五回ほどこの祭を見てきたが、太鼓がこのくらい早さで打たれると雨が降るんじゃよ。」
老人は笑いながらそう言って、ビールを飲み干した。
「不思議なものですね・・・。」
「ああ、不思議じゃよ。まぁ、雨粒を見たらもっと驚くぞ。明日には完全に地面に流れこんじまうから、見るなら今のうちじゃ。」
老人に言われるまま、若者は窓の外へ手を伸ばした。彼の手のひらに落ちた雨粒が、微量ながら中心に集まった。彼はその手に光を当てて、絶句した。
雨粒は赤かった。
「不思議じゃろ? やはり、赤い小太鼓が関係しているのかのお・・・。」
老人は笑っている。若者は冷や汗を垂らしながら、老人の笑顔に答えた。
タンタカタン・・・タンタカタン・・・
太鼓の音が徐々にゆっくりになり、小さくなっていった。それに応じて、雨の勢いが収まり、やがてやんだ。そして、太鼓の音が鳴りやむと、笛の音も消えた。祭が終わったのである。
「祭が終わったようじゃ。そろそろ、わしは寝るぞ。」
老人はそう言って、寝袋に潜ってしまった。
若者は窓から身を乗り出して、帰る村人たちを撮影しようとした。しかし、明かりが全く無くなってしまい、人の姿がどうしても見つからない。いくら月夜とはいえ、明かりなしで家に帰るということは考えられない。
若者はしばらく人の姿を探したが、どうしても見つからず、あきらめて自分も寝袋に入った。
「どうもありがとうございます。」
「これから、どうするのじゃ?」
「帰るのは明日でいいので、今日はこの町を散策しようと思います。」
「そうか・・・。それじゃ、良い旅を。気をつけてな。」
「こちらこそ、撮影に協力してくださり、ありがとうございます。」
翌朝、二人は町へ戻った。そして、老人の家の前でお礼と別れの挨拶をした。
老人はニコニコしながら、若者を見送ってくれた。若者も何度も礼を言い、町の中心へと歩いていった。
しかし、若者は町へ行かずに、再び森の方へ移動していった。そして、険しい山道を登っていく。
(あの祭があった場所を見てみたい・・・。)
記者という職業の性なのか、それとも単なる好奇心なのか、若者は再びあの建物へ向かっていった。老人と太鼓の調子が違って聞こえていたことや、赤い雨、
そして人が帰る姿が見あたらないという不思議に対して若者は考えを巡らせていた。町へ戻る途中に、老人にこれらのことを質問したが、彼は何も知らないらし
く解決には至らなかった。
「ふぅ・・・。」
太陽が頂上へ昇りかけた頃、若者は建物に着いた。建物の中で若者は食事を取り、少し休憩した。そして、祭のあったひらけた場所へ向かった。建物は周りの景色にとけ込んでいるが、帰りはその景色を目指せばいいので特に問題はないだろう。
道というものが全く無かったが、建物から一キロも離れていない。時々、目的の場所を確認しながら若者はゆっくりと歩いていった。
しばらく歩くと、木が全く生えていない空間が見えてきた。もう少しで祭の秘密が分かるかもしれないと、若者の胸は高鳴った。
(おかしい・・・。)
近づくにつれて、若者には目の前の光景が信じられなくなった。
確かにそこは木が生えておらず、草が一面に生い茂っている。しかし、その草には人が踏んだ形跡がない。それに、レンズ越しに見た篝火が置かれていた跡や、楽器を演奏する人たちが座っていたやぐらのようなものの跡もない。
若者の背中に冷たいものが流れたが、彼は引き返すことができなかった。まるで真実を確かめようとするかのように、彼の足はひたすら前へ前へと進んでいる。足と心がお互いの主張をぶつけ合い、若者は徐々に気分が悪くなった。
足下の小石が下へ転がり落ちたと思ったら、若者の立っていた場所が崩れた。彼は悲鳴を上げる暇もなく、一気に斜面を転がり落ちた。体を何度も打ち、
リュックサックはどこかで体から離れた。いったいどのくらい下へ転がったのだろうか、岩の出っ張りが若者の体を受け入れた。若者は背骨を強打し、立ち上が
ることができない。
「うぅ・・・。」
血が目に入り、周りの風景が赤らんでいる。頭からも、体からも血が滴っていたが、若者は痛みを感じなかった。背骨を強打したときに痛覚神経をやられたら
しい。彼は死を覚悟したが、もはや恐怖を感じることもできなかった。彼の愚かさを笑うかのように、森に風が吹き、彼の体を冷やす。
日がゆっくりと傾き、また夜がやってきた。徐々にモノトーンの世界へと変わりつつある若者の目に、光が写った。その光は祭があった場所でゆらゆらと動いているようだ。暗くてよく見えないが、光の方へあかりを持たない人が集まっているのが分かった。
徐々に明かりの数が増え、人も増えた。しばらくすると、暗闇の森に笛の音が響いた。
タンタカタン、タンタカタン、タンタカタン・・・
祭囃子に赤い小太鼓の音が加わった。踊る人々は見えなかったが、若者には祭の明かりがはっきりと見えた。
(あまり遠くまで落ちてはいないようだ・・・)
目の前が白と黒の世界になり、若者は目をつぶった。もう瞼を押し上げる力は残っていなかったが、彼の耳にはハッキリと祭囃子が流れ込んできた。
タンタカタン、タンタカタン・・・タンタカ・・・
祭囃子が次第に小さく、そして遅くなってきた。
タン・・・タカ・・・・・・タン・・・、タン・・・タカ・・・タ・・・
あたりは静寂と暗闇に満たされており、時々風が駆け抜けるだけであった。森は普段どおりの平静さで、そこには人の気配も、祭の活気も無かった。まるで、はじめからそんなものが存在していなかったかのように。
しかし、その静寂はあるものによって一時的に破られた。落ち葉や小枝を踏みしめる音が、草しか生えていない森の広場へ向かっていくのだ。しかし、音の主の姿はなく、相変わらず暗闇が満たしていた。
もはや動くことのない若者の体に対して風が吹き付ける。若者の体は徐々に冷え、そこから流れる液体はあっという間に大地に吸収されていく。この若者は、死の直前に疑問を解決できたのだろうか? 悲惨な死に方をしたのに、彼の顔はにこやかであった。
そして、あの足音の主は、どこへ向かい、何を見たのであろうか?
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「赤い小太鼓」は難解だと思います。この「赤い小太鼓2」は修正版であり設定を何も変えず、加筆・修正したのです。
では、なぜ2つ載せたのか? 作品数を水増しするためではありません(ちょっとねらっていますけど)。管理人としては、難解で奇妙な雰囲気の方が好きなのです。そのために、「赤い小太鼓」の1も残したいのです。ただのエゴと言われればそれまでですが・・・。
とにかく、どうぞゆっくりと”赤い小太鼓”について考えてください。これを7000HIT記念にしてはいけませんかねぇ?
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